第75話 アラン・スミシーの行商
アランは王都へ行商に向かう
アランは、エールのジョッキをぐいっと呷り、ぷはー、と大きく息をついた。
オルフェイシア王都の酒場である。
「やっぱ、商売がうまくいった後のエールは最高だな!」
アランが独り言ちると、隣席の、こちらも商人と思しき男が声をかけてきた。
「いい飲みっぷりだねえ! さぞいい商売ができたんだろうな!」
アランは男にウインクを返しながら答えた。
「おう。たんまり稼がせてもらったよ!」
「一体、なにを商ったんだ? いや、教えられないってんならいいけどさ」
商人が自身の商いを隠すのは、ままあることである。同じものを皆が商うようになると、供給過多でその値が下がるからだ。うまみのある商材は隠すに限る。
しかし、アランは、男の問いにあっさりと答えた。
「ベルモントの魔物素材だ。あそこのダンジョンで獲れる素材は、質がいいからな」
「なるほどねえ。魔物素材か」
と言って、男は頷く。
ベルモントの特産品である魔物素材は、現地でこそ安値で取引されているものの、外に持ち出せばそれなりの値で売れる。武具や防具の材料となるからで、戦地に近いほどその値は上がる。
納得顔で男が言った。
「今の王都は武具の生産量が増えているからな。なるほどなるほど」
王都は、まだ戦地ではない。しかし、隣国との戦争の可能性が取りざたされている。それに備え、武具防具の生産量が増えているのである。
アランはその噂を、商人のネットワークで仕入れた。そこで、偽造金貨で儲けた金を元手に、幌馬車いっぱいの魔物素材を、ベルモントから王都に持ち込んだのである。
「しかし、ベルモントから王都は遠いだろう。よく無事に持ち込めたな」
ベルモントと王都の間は片道一週間ほどの距離がある。街道が通ってはいるが、状態はあまりよくない。十年も前の人魔戦争の被害から、まだ復旧しきれていないのである。
そして、街道には、魔物に加えて、野党の類も出る。それを取り締まる衛兵の数は、圧倒的に足りていないのが現状である。
武装した隊商ならばまだしも、アランのように幌馬車一つというのは、あまりいない。
アランは男に、肩をすくめて見せる。
「ま、一人というわけでもなし、腕に覚えもあるんでな」
そして、にやりと笑みを浮かべて、言った。
「それに、俺にはアイシャ様の加護がある」
「アイシャ様の?」
「俺はこれまで、賭けに負けたことがないのさ」
アイシャは闇を司る使徒である。男であるとも女であるとも言われている。そして、遊興を司る使徒でもあった。それもあって博徒たちからの信仰も厚い。
それを聞いた男が笑った。
「そいつは面白い! 一丁、俺と勝負してみないか?」
「いいねえ。何を賭ける?」
「ここの酒代ってのはどうだ?」
「乗った!」
物価の高い王都ではあるが、市民街にある酒場である。払いは大した額ではない。本当に座興である。
男が懐から聖銅貨を取り出して、アランに見せた。
「こいつを、俺が左右どちらの手に握るか。それをあんたが当てるってのはどうだ?」
いいぜ、とアランが答えると、男は両手を背中に回した。
しばらく背後でもぞもぞとしてから、握った両手をアランに突き出す。
「さあ、どっちだ!」
男が言うや否や、アランが即答した。
「どっちにもない」
その答えに、男は一瞬ぽかんとして、それから笑い出した。
両手を広げる。そこに聖銅貨はなかった。
「なんでわかった?」
「そのイカサマはもう手垢がつきまくってんだよ! ルール説明の段階で答え言おうと思ったわ」
アランは苦笑して、男の背中に手を回す。尻のあたりにあった聖銅貨をつまみ上げ、男に見せた。
男は本当におかしそうに笑い、アランの背を叩いた。
「あんた面白いやつだな! 賭け云々じゃなく、ここはぜひとも奢らせてくれよ!」
アランはため息をついた。
「んじゃ、ま、新たな友誼に、あらためて乾杯といこうか」
二人はジョッキを打ち付けた。
そのまま、夜が更けるまで、情報を交換したのである。
その翌日である。
アランは王都のある商店を訪れていた。そこで商われているのは、物品ではない。
店主が、にやにやとした笑みを浮かべて、アランを出迎えた。
「毎度どうも、アランの旦那。今日はどういったものをお探しで?」
アランは愛想なく答えた。
「いつもと同じ。馬車の護衛だ」
アランの軽薄さは鳴りを潜めている。無表情といってもよかった。
「運がいいですねえ。ついこないだ、軍人くずれの猫人を仕入れたところですよ」
「強いのか?」
「先の戦争でかなりの兵を殺してるって話でさあ」
「嘘だな。そんな奴が捕まったなら、すぐにでも国に処刑されるだろう」
「いやいや、そういう奴を、うまいこと表に出ないように流通させるのが、私たちの生業ってやつでしてね」
「見せろ」
「あいよ」
店主は、アランの短い要望に、同じく短く答えると、店の奥へと案内した。
薄暗い中から、獣のような匂いがする。何度嗅いでも好きになれない匂いだった。
それは人間から発されていい匂いではない。そう、アランは思う。
店主の持つランプの明かりに照らされるのは、いくつかの檻である。五つほどある。そのそれぞれに、人が入っている。
しかし、彼らはこの国で、人でないとされている。
それは、亜人であった。
檻のうちの一つに、店主がランプを掲げ上げた。
照らされた檻の中には、猫の耳と尻尾のある女が、膝を抱えて座っていた。体にはぼろ布が巻かれている。他に身につけているものといえば、首輪だけである。
猫人の女は、ランプの灯かりから目を背けた。大きな目をしている。瞳孔が縦に窄まるのが、ここからでも見えた。
アランは尋ねた。
「こいつが?」
はい、とアランに頷いてから、店主は女に言った。
「おい! お客様だ! 立て!」
女が、きっと店主を睨んだ。すぐに、苦悶の表情を浮かべた。
アランはその理由を知っている。彼女の首に巻かれたそれは、従属の魔道具である。主人の命令に背くと、装着者に苦痛を与えるのだ。
女はよろよろと立ち上がる。ぼろ布がふわりと床に落ちた。
その裸体を、アランは美しいと思った。がりがりに痩せてはいるが、筋肉は落ちていない。肉食動物のそれである。
アランは問うた。女に対してではない。
「いくらだ?」
店主が答えた。
「聖金貨三百枚」
「二百」
「二百八十」
「二百五十」
「二百七十枚。申し訳ないですが、これ以上はまかりません」
アランは頷いた。本来、奴隷の相場はひとり聖金貨二百枚といったところで、それと比べればかなりの高価である。
懐から聖金貨を取り出して数える。言われた金額に十枚を足して、二百八十枚を店主に渡した。
「へへ、毎度どうも!」
店主が笑みを浮かべる。
アランは言った。
「身綺麗にして、夜にいつもの宿に届けてくれ」
追加した十枚は、そのための資金である。
「あいよ!」
機嫌よく店主が言った。
「また来る」
言いおいて、アランは店を出る。
大きく息を吸った。何度も、繰り返し。肺の中で淀んだ空気を、入れ替えるかのように。
お久しぶりです!
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次回更新は、8/7(木)です。




