第二十一話 弱いところ
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
その日の夕方。
リリアナはまっすぐ帰宅した。
誰とも話したくなかった。
レオとも。
ルイーゼとも。
アレクシスとも。
部屋の扉が閉まる。
静かだった。
椅子へ腰を下ろす。
そして。
初めて大きく息を吐いた。
「お嬢様」
エミリーが心配そうに見ている。
「紅茶をお持ちしました」
「ありがとう」
カップを受け取る。
だが手は伸びなかった。
湯気だけが揺れている。
「……」
「……」
沈黙が続く。
エミリーは何も聞かなかった。
いつもそうだ。
私が話したい時まで待ってくれる。
だから。
気付いた時には。
口が動いていた。
「最低よね」
エミリーが驚く。
私自身も驚いた。
こんな言葉を口にするとは思わなかった。
「お嬢様……」
「何も悪くないのに」
声が震える。
「レオは何も悪くないのに」
思い出す。
教室での顔。
驚いた顔。
傷付いた顔。
それでも謝った。
何も悪くないのに。
「私は……」
言葉が詰まる。
「私は何をしているのかしら」
エミリーは黙っている。
だから止まらなかった。
「最近ずっとおかしいの」
視線を落とす。
「いなくなったら気になる」
「怪我していたら心配になる」
「戻ってきたら安心する」
自嘲するように笑った。
「馬鹿みたい」
全然公爵令嬢らしくない。
冷静でもない。
賢くもない。
まるで。
ただの女の子だ。
「そして今日」
胸が痛む。
「私のせいで傷付けた」
言った瞬間。
涙が一滴落ちた。
自分でも気付いていなかった。
「お嬢様」
「分かっているの」
強く握り締める。
「婚約者候補なんて当然よ」
「公爵令嬢だもの」
「家のために結婚するのも当然」
幼い頃から知っていた。
逃げられないことくらい。
それなのに。
「どうしてこんなに苦しいのかしら」
答えなんて分かっていた。
分かっている。
でも口にしたら終わる気がした。
「もし」
小さな声。
「もし婚約者が決まったら」
その先が言えない。
エミリーは静かに聞いていた。
「もう今みたいに話せないわよね」
「一緒に帰れないわよね」
「課題も終わるわよね」
課題。
便利な言葉だった。
全部ごまかせた。
でも今は違う。
自分で分かってしまう。
課題じゃなかった。
会いたかった。
一緒にいたかった。
だから課題を探していた。
だから。
こんなにも苦しい。
「好きに……」
言葉が止まる。
その先だけは言えない。
まだ。
まだ認められない。
エミリーはしばらく黙っていた。
そして静かに言った。
「お嬢様」
「なに……」
「レオ様は今日、とても悲しそうでした」
胸が締め付けられる。
「でも」
エミリーは少しだけ笑った。
「怒ってはいませんでした」
リリアナは目を閉じる。
分かる。
そういう人だから。
だから余計に苦しい。
「明日になれば」
エミリーが言う。
「きっといつも通り話し掛けてきます」
リリアナは首を振った。
「駄目よ」
「お嬢様?」
「駄目なの」
今戻れば。
きっと決意が揺らぐ。
婚約者候補。
公爵家。
家の責任。
全部忘れてしまう。
だから。
距離を取らなければならない。
自分から。
自分の意思で。
***
窓の外を見る。
夕暮れだった。
レオは今頃何をしているのだろう。
木剣を振っているだろうか。
それとも。
傷付いたまま帰ってしまっただろうか。
考えるだけで苦しかった。
それでも。
***
リリアナは知らなかった。
今日の言葉が。
レオを初めて本気で動かすことになるとは。
お読み頂き、ありがとうございます。




