第九話 エスコート
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
春季舞踏会当日。
私は朝から落ち着かなかった。
理由は分からない。
分かりたくなかった。
***
「お嬢様、とてもお綺麗です」
鏡の前。
エミリーが嬉しそうに微笑む。
淡い蒼色のドレス。
銀の装飾。
そして髪には青い花の髪飾り。
レオから貰ったものだった。
「変ではないかしら」
気付けば聞いていた。
エミリーが固まる。
「お嬢様がそのようなことを聞かれるのは初めてです」
「答えなさい」
「とてもお綺麗です」
二度目だった。
少しだけ安心してしまう自分がいた。
その時。
部屋の扉がノックされた。
「お嬢様」
ヴァルだった。
「どうしたの?」
「お迎えが来ています」
心臓が跳ねた。
「……迎え?」
ヴァルが静かに頷く。
「レオです」
私は立ち上がった。
理由は分からない。
ただ少しだけ。
急がなければと思った。
***
公爵邸の正門前。
一台の馬車が停まっていた。
使用人達が少しざわついている。
そして。
その前に立つ一人の少年。
レオだった。
黒の正装。
磨かれた靴。
背筋を伸ばした立ち姿。
見た瞬間。
言葉を失った。
格好良かった。
本当に。
悔しいくらいに。
「お嬢様」
レオが一礼する。
「お迎えに参りました」
言葉遣いまで違う。
私は思わず瞬きを繰り返した。
「本当に来たのね」
「約束しましたので」
やっぱりレオだった。
少しだけ安心する。
すると。
「一つ確認する」
ヴァルが前へ出た。
真剣な顔だった。
「本気か?」
「はい」
「エスコートの意味は理解しているか?」
使用人達も静かになる。
レオは迷わなかった。
「お嬢様を安全に会場へ導くこと」
「恥をかかせないこと」
「誰よりも誇らしく振る舞うことです」
静寂。
ヴァルはしばらくレオを見ていた。
やがて。
「合格だ」
小さく頷いた。
私はなぜか少し嬉しくなった。
自分が認められたわけでもないのに。
レオが馬車の扉を開く。
そして手を差し出した。
「お嬢様」
私はその手を見る。
大きな手だった。
剣を握り続けた手。
三年前から変わらない手。
気付けば重ねていた。
「ありがとう」
「はい」
馬車が動き出す。
二人きりだった。
思ったより静か。
思ったより落ち着かない。
「緊張してる?」
聞いてみる。
「少しだけ」
意外だった。
「あなたでも緊張するのね」
「課題なので」
私は吹き出した。
やっぱりそれ。
どんな時でもそれ。
そのおかげで肩の力が抜けた。
***
王都舞踏会場。
巨大な宮殿の前には既に多くの馬車が並んでいた。
貴族達が次々と降りていく。
華やかだった。
そして。
私達の馬車も止まる。
レオが先に降りた。
そして扉を開く。
自然な動作だった。
手を差し出す。
「お嬢様」
私はその手を取った。
周囲がざわつく。
「誰だ?」
「学院首席だ」
「平民だろ?」
「公爵令嬢をエスコートしているのか?」
全部聞こえている。
でも。
レオは全く気にしていなかった。
堂々としている。
私の半歩前を歩き。
人混みを避け。
自然に案内する。
完璧だった。
昨日までダンスを教えていた人とは思えない。
気付けば私は少し笑っていた。
「お嬢様?」
「なんでもないわ」
「そうですか」
レオは首を傾げる。
その仕草だけがいつものレオだった。
***
そして二人は並んで会場へ入る。
リリアナはまだ知らない。
この入場が。
ダンスよりもずっと。
多くの貴族達の目に焼き付くことになることを。
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