作戦失敗
「アルベール!」
ずっとずっと、大好きだった。
愛しい女の子の名は、エルネット・トヨシーハと言う。
あの子は黒魔術の解呪に秀でた才能を見出された、天才魔術師だ。
誰もが彼女の太陽のような笑顔に見惚れ、誰もがあの子を求めて手を伸ばした。
でも、それらはすべて振り払われる。
「エルネット・トヨシーハは、アルベールと結婚させる」
そんな国王の、一言によって。
――だけど……。
あの子を好きになったのは、僕だけじゃなかった。
僕と一緒に生まれた、双子の兄弟。
レオドールは、彼女に屈折した想いを抱いている。
「貴様が憎い……」
時折彼の口から語られる恨み節が、恐ろしくて仕方なかった。
このままでは恨みを募らせた弟に、殺されてしまうかもしれない。
そう危惧した僕は、弟にチャンスを与えた。
「俺とレオドール。2人のうちどちらか1人を、エルネットに選んでもらおう」
このまま婚約者で居続けても、あの子の心は手に入らないと思ったから。
「好きにしろ」
――自分から嘘をついてまで、許嫁を解消などしなければよかった。
そうすれば、今も笑い合えていたかもしれないのに――。
レオドールの同意を得た僕は、彼女と繋いだ手を自ら手放した。
*
お姉さまの頃から、10年もずっと一緒にいたんだ。
レオドールと僕。
どちらか1人しか選べないのなら、エルネットは僕を選んでくれるに決まっている――。
そんな傲慢な考えに支配されていたせいで、その選択が失敗だったと気づいて遅れを取ってしまった。
――夜会でレオドールと口喧嘩をしながらダンスを踊るエルネットの姿は、とても楽しそうだ。
満面の笑顔なんて、僕は引き出せたことがなかったのに。
このままじゃ、駄目だ。
あの子が弟に奪われる。
それだけは絶対に、嫌だ。
――レオドールに同情なんかしなければよかったと思いを巡らせても、もう遅い。
自分勝手にも程があると、重々承知している。
弟だけではなく、一ミリも愛していないのに婚約を結んだマリンヌまで、傷つけた。
全部、僕のせいだ。
僕が最低だったから、みんなが苦しんでいる。
――それに気づいてもなお、諦めきれないほどに、君を愛している。
そう自覚してしまったら、止まれない――。
「どうして。お姉さまだけ……! わたし、だって……。愛されたいのに……!」
僕の想いに気づいたマリンヌは、嫉妬に駆られた。
僕の愛するエルネットを傷つけるため、黒魔術を使って間接的に彼女の命を何度も奪おうとしていると気づいた。
「マリンヌ……」
胸を抑えて黒魔術の代償に苦しむ彼女の姿を目にした僕は、あの子の婚約者だ。
優しく抱きしめて、愛を囁くべきなのに――。
この子とはもう、やっていけないと思った。
マリンヌ・トヨシーハは化け物だ。
この少女を生かしておいたら、間違いなく国が傾く。
どうにかして黒魔術を止めさせるか、自ら罪を償うように誘導するべきだ。
それをわかっていたはずなのに――。
「僕もエルネットを、始末したいんだ」
僕は彼女に嘘をついて、心の隙間に入り込む。
そして――。
甘い言葉とともに、黒魔術のやり方を引き出した。
「許さない……!」
僕は彼女の言葉が真実か確かめるため、何度か復讐に燃える民間人を唆し、黒魔術を発動させた。
エルネットに見つかったらどうしようって、ずっと気が気ではなかった。
けれど……。
僕とあの子がけしかけた人々の解呪に翻弄され、周りに気を配る余裕すらなかったみたいだ。
僕は無事に魔術を成功させ、歓喜に打ち震えた。
――ああ。
これさえあれば、エルネットは僕のものになる……!
マリンヌなんてもう、必要ない。
さっさと見捨てて、あの子を迎えに行こう。
「う、ぅ……っ。ある、べ、る……さま……っ。助け……て……!」
エルネットを始末するため、かなりのハイペースで黒魔術を人々へ伝授していたのだ。当然、病弱なマリンヌの身体が持つはずもない。
――彼女は後遺症に苦しみ、床に臥せっていた。
「幸せに、なり、たい……。もう、嫌だ……」
彼女の額からは多量の汗。
愛らしい瞳には涙が滲み、顔面蒼白な姿は気の毒で仕方がないとは思う。
けれど――。
それを慰める気には、なれなかった。
僕にとってこの子はもう、利用価値のない少女だ。
泣こうが喚こうが、どうでもいい。
「マリンヌ」
「アルベール、様……! 会いに来て、くださったの、ですね……!」
これから僕が背中を押して、奈落の底へ叩き落とすなど考えもしないのだろう。
彼女は不相応にも、助けを求めるように指先を差し出して来た。
しかし――。
僕はその手をはたき落とし、この子に笑顔で宣言した。
この打算に満ちた狂った関係を、終わらせるためにーー。
「僕と、婚約破棄をしてほしい」
「ど、して……?」
その時の絶望たるや。
想像など、したくもないけど……。
理由を聞かれたなら、答えてあげないとかわいそうだよね。
僕は笑顔を貼りつけたまま、明るい声で告げる。
「ごめんね。全部、嘘だったんだ」
「な、何を……」
「君が純粋な子で、助かったよ。黒魔術の代償によって身体が動けないのも、僕にとっては都合がよかった」
この子が僕の周りをウロチョロとされると、エルネットの勘違いが加速してしまう。
彼女の自室へ会いにさえいかなければ、顔を合わせずに済むのは――都合のいい道具として、利用価値があったんだけどね……。
「誰でもよかったんだよ。エルネットとの婚約破棄は、一時的なもの。僕とあの子が相思相愛になるための、試練なんだ!」
マリンヌは僕が思っていた以上に、エルネットに対して恨みを募らせていた。
愛する人を傷つける敵と手を取り合い続けるなんて、できるわけがないだろう?
僕たちの協力関係は、期間限定のつもりだった。
人を疑うことを知らない純粋無垢な少女が騙されてショックを受けていたところで、自業自得としか思えなかった。
「僕と婚約者になったあとに態度を改めれば、君を好きになる未来もあったかもしれないけど……」
「わ、わたしの、せい……なのですか……?」
「そうだよ? 今さら、気づいたのかい?」
「嘘……」
「エルネットに対する攻撃の手を緩めるどころか、過激さを増すばかり。こんな状態じゃ、新しい恋なんてできるわけがない」
マリンヌは僕の言葉を、よく理解できていないみたいだ。
何度も首を振って嫌だと泣き叫ぶが、どれほど拒絶されても彼女と関係を続けるつもりはなかった。
「わたしのほうが……お姉さまよりも、かわいくて……魔術の才能があって……。アルベール様を、愛しているのに……」
「それはどうかな」
「ひ、酷い……! どうして、信じてくれないのですか……!?」
「君だって。僕じゃなくても、よかったんだろう?」
彼女は涙を引っ込めると、驚愕で目を見開く。
まさか言い当てられるなど思いもしなかった。
そんな表情だ。
――僕も、舐められたものだね。
普段は苛立ちをぐっと堪えて、表には出さないけど……。
もうすぐ縁の切れる相手に、気を使う必要はないだろう。
「レオドールにも、言い寄っていたよね? 失敗したみたいだけど」
「そ、れは……!」
忌々しい弟の名を口にすれば、マリンヌは明らかに狼狽えた。
図星でなければ、しない反応だ。
そうやっていちいち反応を示すから、身動きが取れなくなってしまうのにね。
僕は容赦なく、彼女を切り捨てにかかった。
「君は自分を愛してくれる人を求めていた。弟がまんざらでもない様子を見せていたら、乗り換えるつもりだったんだろ?」
「違う……」
「お互い、腹を割って話そうよ。どうせ、修復不可能なんだから」
「わたし達は、まだ……! 婚約者です!」
――本当に扱いやすくて、助かるよ。
レオドールとエルネット。
あの2人は隙を見せても、僕が奥底まで入り込むのを嫌うから……。
「君の中では、そうかもしれないけど……。どれほど嫌がったところで、無駄だよ。僕達が生涯、添い遂げることはない」
そう言う意味では、似た者同士。
惹かれ合うものがあったのかも知れない。
「どうしてそんな、意地悪を言うんですか……!?」
エルネットは弟との関係性を、仲が悪いと称していた。
けれど――。
それは結局のところ、喧嘩するほど仲がいいって関係性なんだよね。
考え方が似ているから、自分のものにならないのが気に食わない。
自分だけのものにしたい。
あの子は男の独占力を引き出す天才だ。
「僕が王太子で、君が犯罪者だからかな」
容姿だけ優れた、醜い心の持ち主など――どれほど努力したところで、彼女の足元にも及ばない。
「え……?」
その指摘はマリンヌにとって、思いもよらない内容であったようだ。
混乱の中にいるこの子に、どこまで僕の言葉が伝わるかは、わからない。
けれど――。
気づいていないのなら、突きつけてあげるよ。
見て見ぬふりをしてきた、現実を……。
「黒魔術の使用は重罪だ。ただで済むと、見逃してもらえると、本気で思っていたのかい?」
「だ、だって……! アルベール様だって! わたしにやり方を聞いてきましたよね……!? 同罪ですよ……!」
「うん。僕もいずれ、地獄に堕ちるだろう」
「だったら……!」
「一緒に朽ち果てようって? 君とだけは、絶対に嫌だ」
マリンヌの瞳からは、再び涙が溢れ出す。
あの子は何があっても絶対に泣かないし、誰かに頼るような子じゃないのに。
精神面の弱い女性って、面倒くさいから嫌いだな……。
「エルネットの妹でなければ、僕の婚約者になる権利すらなかった。あの子に牙を剥く女性と人生をともにするなんて、あり得ないよ」
「酷い……!」
僕は冷たく彼女を突き放したレオドールの対応が正解だったと反省しながら、マリンヌの一方的にぶつけられる想いを拒絶し続けた。
「あんな女の、どこがいいの!? わたしのほうがかわいい! この小説のヒロインは、わたしなのに! 酷い、酷い、酷い、酷い! みんな、消えちゃえ! みんな、みんな、みんな……!」
彼女の憎しみは、無意識に黒魔術の発動を誘発する。
このままここに居座っていたら、悪しきオーラに食い殺されてしまうのは時間の問題だった。
「僕との婚約破棄は、決定事項だ。君に拒否権はない。それじゃあ、元気で」
僕は心にもない別れの言葉を口にすると、彼女に背を向けて歩き出す。
――エルネット……。
ようやく君を、迎えに行ける……。
胸の奥底に抱いていた素直な気持ちを打ち明ければ、きっと歪な想いを抱えた弟よりも、僕を好きになってくれるはずだ。
だって君を好きだと思うこの気持ちは、純なる愛なのだから……。




