第百話 蚊ぁ?
浄化によって清々しさを取り戻した森を歩くこと数分。
道の先に石造りの壁が見えて来た。
砦というだけあって城壁は高く長く、見張りに使うのか聳え立つ円柱の塔などもある。
しかしそのどれもが、焼け焦げていたり穴が空いていたり傷がついていたりで、ここで大変激しい戦闘があった事を物語っていた。
「うーん、でっかいなー。どっか怪しいポイント見つけな、重要な記憶は出て来ぇへんよね」
何の見当も付けず過去の記憶を探っても、隊士達の訓練などを延々と見る羽目になりそうだ。
鈴音の声に骸骨が頷き、皆で手分けして秘密めいた部屋等がないか探す事にした。
探索中に怪物と遭遇する事も想定し、神人一行はそのまま一塊で行動して貰う。
鈴音達はバラバラになって、砦の周辺も含め見て回ると決めた。
「よっしゃ、私は上から順番に下りてくる事にするわ」
「じゃあ僕はあっちからこっちに戻って来るね」
塔を指差す鈴音に、虹男は城壁の右側を指して、それならばと骸骨は左側を指す。
「オッケー。隠し部屋とか地下室とかが無いか要注意で。あと、隊長室は問答無用で調査対象なんで見つけたら場所覚えといて下さい」
「解りました」
頷くイキシアに微笑んで、鈴音は地面を蹴った。
「ほなまた後でー!」
塔の天辺まで跳んだ鈴音を見送ってから、骸骨と虹男も手を振って左右に別れる。
「お気を付けて……って、もう居ない」
四人も居るのにポツンと取り残されたような気分を味わいながら、イキシア達も壊れた扉を潜って砦の中へ歩を進めた。
塔の屋上に降り立った鈴音は、何とも微妙な顔で固まっている。
怪物が居たのだ。
いや、勿論何か居る事は感じ取っていたが、地球人の常識からすると咄嗟に思い付かない生き物だったので、呆気に取られてしまったのである。
逞しい二本足で立つそれは、オレンジ色のビニールのような質感の肌をし、翼竜のような羽、やたらと筋肉質で長い腕を持つ。
丸みを帯びた顔に鼻は見当たらず、複眼らしき巨大な目と、ストローのような細長い口があるだけだ。
手にも足にも鋭い爪が生えており、張られても蹴られても怪我では済まないだろうなと思わせる。
こちらと同じく向こうも観察を終えたのか、怪物がおもむろに身構えた。
「プォゥゥゥーーー!!」
出して来たのは謎の音。
「うわ気色悪ッ!蚊?エイリアンみたいな蚊?」
「あのほっそい口からこのけったいな音出しとんのか?鬱陶しいやっちゃなー」
高低入り混じる割れたような音で威嚇され、鈴音も虎吉も嫌そうな顔をした。
それをどう取ったのかは知らないが、怪物は無警戒にのしのしと近付いて来る。
「ん?普通は今の音で身動き取れんようになるんやろか」
「そうかもしらんな。けったいな音やったし」
「あと、地球やとあれ系の色した生き物には毒があるやん」
「ああ、あるんちゃうかアレにも。鈴音が丸腰やから、素手ではどないも出来へん思とるんやろ。効かへんのになぁ毒」
怪物を見ながら、揃ってニッコリと目を細めた。
「よし、やってまえ鈴音」
「やってまいます虎吉先生。……あ、そうや。素材。あれからも取れるやろか。蚊ぁやし叩いたろ思たけど、傷無い方がええかな?」
「んー、それやったら氷やな。蚊ぁやし寒いのアカンやろ」
「おー!やっぱり虎ちゃん天才やなー。よし、凍らして村に持ってったげよ」
鈴音も虎吉も普通の声量で話しているのだが、怪物には言葉が解らないらしい。
自分を蚊と呼び素材扱いしている危険生物達へノコノコ接近し、無造作に腕を振り上げた。
「あー、そのポーズはアカンわ。持ち運びに不便やし」
首を振った鈴音はさっさと背後に回る。
獲物を見失い慌てた怪物が腕を下ろして振り返ると、満面の笑みを浮かべる鈴音が居た。
「ええやん、羽も畳んであるしバッチリやん」
やはり意味が解らない様子の怪物が鈴音の方へ向かおうとして、足が動かない事に気付く。
どういう訳か羽を広げる事も敵わない。
状態を確かめようにも腕が全く動かず、徐々に感覚も無くなってきた。
「表情が無いから死んだかどうか分かり難いなー」
首を傾げる鈴音を見つめながら、いつ何をどうされたのかも解らぬまま、怪物はゆっくりと生命活動を停止する。
「ちゃんと死んだかな?村で生き返ったらアカンもんね。暫くここに置いとこ」
念の為分厚く氷を纏わせ直し、屋上に怪物を放置したまま鈴音は階下へと向かった。
塔の中はひたすら続く螺旋階段で、部屋などは無い。
軽快に下り終えて外に出ると砦の屋根にあたる部分で、広い空間の左右に城壁の狭間が見えた。
「こっから弓とか魔法……精霊術?で下に居る敵を攻撃するんやね」
「けどさっきの奴にも羽生えとったし、上から来られたらしんどいな」
猛禽類が天敵の虎吉は空を見上げて渋い顔だ。
「精霊術である程度はいけるんやろけど、纏めて一遍に倒そ思たら長い呪文唱えなアカンみたいやし、あんまり大量に襲って来たら対処出来ひんのやろね」
鈴音の視線の先には、床に散らばる折れた矢や乾いた血痕、火の精霊術の跡か壁に残る黒い焦げ。
皆、必死に戦ったのだろう。
けれどあの黒い鎧が言った通り、群れる筈の無い怪物まで集団で襲って来たのなら、長い詠唱を必要とする精霊術では追い付かなかったに違い無い。
「これを引き起こしたんが隊長やとすると……」
半眼になる虎吉に鈴音は頷く。
「うん。王子達に命を狙われてたんやのうて、王子達の命を狙ってたんやろね。この方法使て、怪物達に襲わせるつもりやったんかな」
「わざわざ紋章入りの短剣持ち歩いて見せびらかすような奴やもんなあ。扱いの差に腹立っとったんやろなあ」
「ね。でも純粋な人らは素直に『大事な物をわざわざ見せて下さるなんて、ホンマに気さくな方や』て思てたんやろねぇ。けど、みんながみんな鎧の人みたいな性格ちゃうやん?私みたいなんも居るやん絶対」
「何するつもりか知った上で協力しとった奴も居るやろなあ。消された奴も居るんかなあ」
嫌そうな顔で揃って溜息を吐き、とにかく手掛かりをと周辺の調査を始めた。
一方、砦内部の調査に入った神人一行は、打ち壊された鎧戸や壁、只の木片となった家具などに加え、人が引き摺り回されたと解る血痕などを目の当たりにして表情を曇らせている。
「これは……酷いな」
「どれ程の大群に襲われたんだ……」
タイマスとアジュガは顔を顰め、イキシアとサントリナは沈痛な面持ちで首を振った。
「行きましょう。手掛かりになる物を見つけて、無念を晴らしてあげなくちゃ」
辛そうな顔のまま前を向き、イキシアは隊士達の部屋がありそうな奥へと歩き出す。
頷き合った大人達も彼女を守る位置につきながら、皆で荒れ果てた砦内を進んだ。
周囲を警戒しつつ慎重にいくつかの部屋を見て回った所で、神人一行は足を止める。
ここまでは二段ベッドの残骸がある大部屋ばかりで、隠し部屋や地下室の気配すら無かった。
「やっぱり神様の勘違いで、隊長さんは悪くないのでは?」
そう信じたい表情で振り向くイキシアに、サントリナは困った顔をする。
「鈴音様はあの短剣の事を、鎧の女性に確認しておられましたよね。隊長がずっと持っていたのか、と」
「……はい。鎧の女性は隊長室に置いてあって、いつでも見せて貰えると答えていました」
「残念ながら、それがおかしいのです。『自分に王位継承権が無くて良かった』と本当に思っているのなら、周囲に王家の血を引く者だと知らしめる必要は無い筈です。紋章付きの短剣など、箪笥の奥にでも眠らせておけばいい。何故わざわざ持ち出し人に見せるのですか?」
「そ……れは……」
指摘されて初めて矛盾に気付いたらしく、イキシアは呆然としている。
「見てもいいが触ってはいけない、これもおかしいです。互いに命を預け家族同然だと言うのなら、手に取るくらい構わないでしょう?王家との関わりを重要視していないのなら、短剣に平民の手垢がついたところで気にならないとは思いませんか」
サントリナの話を聞いてから鎧の女性の話を思い返すと、まるで違った内容に思えてイキシアは黙り込んだ。
「イキシア様は素直で真面目で……そういう純粋な部分は無くしてほしくありません。ただ……私も叱られましたし偉そうに言える立場ではないのですが、物事は一方向からだけではなく多方向から見る必要があるという事だけ、それだけはどうか覚えておいて下さい」
「……はい」
優しく諭す声に頷いて顔を上げると、皆の温かい目に気付く。
「……もっと、もっと勉強して立派な神人になります。絶対に」
凛々しい表情になって宣言するイキシアに、大人達は笑顔で頷いた。
「では、先へ進みましょうか。隊長室も探さなくては」
にこやかな顔のままサントリナが促した所で、逆方向つまり背後から大きな音が轟く。
それに続いて緊張感の欠片も無い声が響いた。
「うわーぁ、何で指で突付いただけでそんなとこまで吹っ飛ぶんだよう。物壊したら鈴音が怒るんだってば、やめてよねー」
轟音を聞きつけたのか、前方から物凄いスピードで骸骨が、玄関ホールにある階段を使って上階からは鈴音が、それぞれすっ飛んで来る。
「何事!?えーと、神人様御一行は無事っぽいから、虹男か!」
イキシア達の姿を確認した鈴音は骸骨と頷き合って、音のした部屋へと向かった。
慌ててイキシア達も後を追う。
「虹男ー?どないしたーん?」
歩きながら鈴音が呼び掛けると、一瞬の間を置いて声が返って来た。
「べ、別にマモノが吹っ飛んで壁を壊したりしてないから大丈夫だよ!?」
「……ほう?」
この世界では怪物と呼ぶ生き物を魔物呼ばわりしてしまうぐらいには、焦っているようだ。
「どれどれ?」
鈴音にとっての小走り、人から見れば瞬間移動の速さで部屋の前へ行くと、虹男が広げた両腕をブンブンと大きく上下に振って慌てている。
「わーわー!僕はツンってやっただけだし!勝手に吹っ飛ぶ方が悪いと思う!僕にはどうしようもないよ!」
不可抗力を訴える神に思わず笑ってしまいながら室内を見れば、皿の無い河童のような緑色の怪物が、石壁をぶち抜いて床に転がっていた。
「なにしてんねーん、て言いたいトコやけど、これって隠し部屋ちゃう?」
部屋と呼ぶには狭いスペース。
出入口があるのは虹男が壊した壁ではなく、隣室側の壁のようだ。
そして河童モドキのそばには、床下収納がありそうな四角い蓋。
「という事は、隣が隊長室かな?」
そう言いながら鈴音は隣室へ移動する。
遅れて皆も移動すると、ちょうど鈴音が隠し部屋への入口を開けた所だった。
開けたといっても、熊にでも引っ掻かれたような跡が残る大きな本棚を移動させただけだが。
「うん、やっぱりここが隊長室やんね」
一人用のベッドや机、今動かした本棚といった家具がそれを物語っている。
「ほなあの蓋開けて、地下室も見とかなアカンな」
耳で空気の動きを探り、フンフンと鼻を動かして匂いを確認する虎吉の声に頷くも、鈴音はちょっと嫌そうだ。
「どうかなさいましたか?」
気遣うサントリナに情けない笑みを返す。
「いやー、何かねー、変な臭いがねー、するんですよねー」
「おう、濃いぃ血ぃの臭いやな。人のんとはちゃうけども」
虎吉があっさり答えを言うと、神人一行も微妙な表情になった。
見なくていいなら見たくない、と顔に書いてある。
「うーん……サントリナさん、生贄捧げて作る呪いとかってあります?」
鈴音の問い掛けにサントリナはハッとした顔になって頷いた。
「そのような事が記されている書物を読んだ覚えがあります。ただ、詳しい内容は無く、そういう術もあるという事だけが記されていた筈ですが」
サントリナの説明を聞き鈴音は幾度も頷く。
「そういう術があるいう事は、それを止めたり防御する方法も研究された筈ですよね。対抗する方法作る為には、元の術がどんなんか知る必要がある」
「……王家。王家の書庫なら、そのどちらもが記された書物があるのでは?どこの王家でも王族を守る為に専属の精霊術師も居るでしょうし、彼らの研究資料として保管されていそうです」
二人の会話を聞いていたイキシアが、辛そうな顔で俯いた。
「隊長さ……隊長は、国王の息子という自分の立場を利用して、その書庫に入ったんでしょうか」
痛みを堪えるような声に、残酷だとは解りつつも鈴音は頷く。
「そうやろね。この砦が集中的に襲われてる事から考えて、怪物を呼び寄せる類の術を作ろうとしたんちゃうかな。それを王子達が居る場所で使うつもりやった。けど、手違いがあったんか、人が扱えるような代物やなかったんか、ここで発動してしもた」
鈴音が話している間に部屋の隅へ陣取った骸骨が、青白い円を空中に描き出した。
「砦が襲われた経緯は大体こんなんやろなて思うけど、その後に怪物がパタッとおらんようになった理由とか、あの鎧が森を離れて復讐に行かへん理由がよう解らんねんなー」
顎に手をやりブツブツ言いながら、骸骨の隣まで進んで皆を手招く。
「解らんもんは見るに限るっちゅう事で。今から骸骨さんの特殊能力使て貰て、砦や森が覚えてる過去の出来事を見ます。はい、皆さん円の中に入って下さいよー」
鈴音が何を言っているのか殆ど解らぬまま、それでも大人しく全員が円の中に収まった。
「ビックリしたり、頭にきたりしても、円の外には出んようにして下さいねー。因みに出たらどないなるん?んー、頭が?モヤモヤ。あれかな、記憶障害が起きてまうんかな」
石板を見せながら頷いた骸骨は、円を少しだけ広げてから光を上下に伸ばし、円筒形の膜を作り出す。
「とにかく皆さんそのまま動かんように。……あー、なるべくスプラッタは回避出来ますようにー」
祈る鈴音に同意しつつ、骸骨が眼窩に青白い光を灯した。
途端に巻き戻り始める周囲の光景。
驚きのあまり声も無い神人一行の前に、黒っぽい制服に身を包んだ一人の男が現れた。




