サイラスからのお見舞い
「お嬢さまは今の状況をどれだけ理解していますか? 怪我をした時のことを覚えているのでしょうか?」
厳しい表情を湛えながらも優しく告げたローガンを見つめ、クロエはもう一度自分の記憶を辿った。
「狩猟祭が終わる頃にアンセル殿下が黒い格好をした人たちに襲われるのが見えました。お兄さまたちが応戦している姿も。そしてサイラス殿下が……。私は咄嗟に殿下を庇って……そして……っ……」
その先の記憶はない。
記憶はないが、思い出していくにつれ体が小刻みに震え始め、心臓がどくどくと激しく鼓動を刻んでいく。そして額にはジワリと嫌な汗が浮かんできた。
「ゆっくり深呼吸してください。吸って……吐いて……吸って……吐いて……。申し訳ありません。嫌な記憶を思い出させてしまいました。……まずは傷の手当てをしましょう」
そう言うとローガンはクロエを支えながら起こし、背中の傷をたしかめ始める。
(あの時のことを思い出したら体の震えが止まらないわ。傷も、少し動いただけであれだけ痛かったのだもの。どれくらいの怪我なのか、考えるのも怖い……)
クロエの不安を察しているのか、ローガンは極めて丁寧に傷の処置を施していく。それでも、消毒薬が触れるだけでも酷い痛みがクロエを襲った。
「う……」
「痛みが強いようですので、鎮痛剤をお出しします。他にもいくつかの薬を出しますので、薬の説明書と共にサラに渡しておきましょう」
「先生、この怪我、ちゃんと治るのでしょうか?」
背中の傷ということもあり、クロエは自身の怪我の状態がわからない。今まで怪我らしい怪我もしてこなかったから、今の状況がどれほどのものなのかの判断もできなかった。
「……治りますよ。痛みもだんだん良くなっていくはずです」
ローガンの返答に一瞬の間があったようにクロエには思えた。しかし彼の表情は変わらず、その後も薬の説明をわかりやすくしてくれる。
一抹の不安は拭えなかったが、今この場でこれ以上のことを聞いても自分の望む答えは返ってこないだろう。そのことだけは何となくわかった。
一通りの処置と薬の説明を終えたところで、部屋の扉をノックする音が響く。
「はい、どうぞ」
クロエの代わりにローガンが答え、扉が開くと母が姿を見せた。母の後ろにはサラが大きな花瓶を持って立っている。
「サイラス殿下からお見舞いの花が届いたわ」
サラの手にある大ぶりの花瓶に生けられていたのは色とりどりのガーベラだ。ピンクに赤、オレンジに黄色。可憐な花たちが競うように咲き誇り、花瓶を持っているサラの周りがパッと華やいでいるように見える。
(殿下は覚えていてくださったのね)
花々を見てクロエはすぐにサイラスとのやり取りを思い出した。
あの日、たくさんの植物や花を見ている時に好きな花の話になった。ガーベラは華やかさでは薔薇などには敵わないけれど、クロエはその可憐さが好きだった。
何の気なしに話題にしたことを、サイラスは覚えていてくれたのだろう。
サラがクロエの部屋のテーブルへと花瓶を置く。その間に母がベッド脇の椅子に腰掛けた。
ローガンはナイトテーブルの上に広げていた治療のための用具を専用の鞄にしまい、サラに薬の説明を始めている。
「狩猟祭の後、サイラス殿下はクロエが目覚めるまではとおっしゃってこちらに滞在されていたのだけど、さすがに長い間王都から離れていただくわけにはいかないでしょう?」
「そういえば、私はどれくらいの間眠っていたの?」
母の言葉に、あれから何日過ぎているのかが気になってクロエは問いかけた。
「一週間になるわ。本当に……心配したのよ」
どこかしら疲れた顔をした母は、娘がずっと目覚めなかったことで心労が重なっていたのだろう。
そんなことも知らずにただずっと寝ていたことを申し訳なく思うものの、それはクロエにもどうすることもできないことだった。
「心配かけてごめんなさい」
「あなたのせいではないわ」
思わず言った言葉に母が首を振る。
「クロエが目覚めたら必ず連絡をするとお約束をして、三日を過ぎたところで殿下には王都へ戻っていただいたの。それから毎日、殿下はお花を届けてくださっているわ」
そう言われて部屋を見回せば、先ほどの花瓶だけでなくあちこちに綺麗な花々が飾られていた。窓辺にはピンクと黄色のデイジーが、部屋の入り口脇にはピンクとオレンジのカーネーションが、他にも様々な種類の花で部屋の中が華やいでいる。
もちろん体調への配慮もされているのだろう。飾られていたのは香りが控えめな花ばかりだったし、ベッドの近くには置かれていない。
「ずっと心配されていたから、先ほど王家には使いを出したわ。これで殿下も少しは安心してくださると良いのだけど……」
そう言いながら、母がたしかめるようにクロエの右手を握った。娘がちゃんと意識を取り戻したのだと、何度でも確認したかったのかもしれない。
だからクロエも母の手をしっかりと握り返した。
「お嬢さまは長い眠りから目覚めて疲れていらっしゃいます。薬を飲んで、まずはお休みください」
そう言うローガンにうながされて、クロエはいくつかの薬を服用した。怪我による痛みで眠れないのではないかと思っていたが、体力が落ちていたせいか、やはり体が休息を求めていたからか、ほどなくしてだんだんと眠気がやってくる。
うとうとしている内に背中の傷に障らないように横たえられ、やがてクロエの意識は深い眠りに落ちていった。
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