目覚め
まるで長い夢を見ていたようだった。
沈み込んでいた場所からゆっくりと意識が浮上し、クロエは目を開ける。
少し翳った部屋の中に茜色の光が差し込んでいた。
一瞬自分がどこにいるのかがわからず、クロエは何度か瞬きを繰り返す。
いつもなら仰向けに寝ているのになぜかうつ伏せになっていて、疑問に思いながら視線だけで周囲を見回せば、そこはいつものクロエの部屋だった。
(私、寝ていたの?)
頭の中が霞がかったようにはっきりとしない。
ぼんやりとしながら、クロエは専属侍女を呼ぶためにいつものように身を起こそうとした。
「……イッ……」
変な呻き声が口をついて出て、同時に熱さを伴った猛烈な痛みが背中を貫いた。
「……はぁ……はぁ……」
なぜか息が上がり、訳のわからない痛みに翻弄されてクロエはただ呼吸することしかできない。
(いったい何が?)
頭の中が疑問でいっぱいになったところで、部屋のドアが小さな音を立てて開いた。
「お嬢さま‼︎」
悲鳴のような声を上げたのはクロエの専属侍女であるサラだ。
茶色の髪の毛を一つに結び、マンダリンオレンジ色の瞳が不安に揺れている。
すぐにベッド脇に駆けつけたサラは手に持っていたピッチャーをナイトテーブルに置くと、クロエの肩に手を置きゆっくりとその身を横たえさせた。
「急に起き上がってはいけません。すぐに旦那さまとお医者さまを呼んで参ります」
焦ったようにそう告げて、サラは身をひるがえすとすぐに部屋を出て行った。
(お医者さま?)
なぜ医者を呼ぶ必要があるのか。もしかして先ほどの背中の痛みせいだろうか。
そんなことをぼんやり考えていたクロエは、急に開けられた扉の音に驚いて視線を向ける。
先ほどの痛みを体はしっかりと覚えているのか、賢明にも視線以外を動かすことはなかった。
「クロエ‼︎」
叫ぶようにそう言って、ベッド脇に両親とガルド、そしてヒューゴもやってくる。
マディソン家は家族仲が良いが、クロエの寝室に家族全員が揃うことなど珍しかった。
「お父さま、お母さま。お兄さまたちも。そんなに慌てていったいどうされたのですか?」
いまいち現状を理解できていないクロエは戸惑いながらそう聞いた。
「クロエ……何があったのか、覚えていないのか?」
言葉に詰まる両親に変わって、ガルドが恐る恐るとでもいうように問う。
「何が……?」
起きたばかりよりははっきりしてきた頭で、クロエは言われた言葉を反芻する。
(背中がとても痛いわ。身動きすらできないくらいよ。みんなすごく心配しているし、何があったというの?)
そうやって考えて、意識が戻るまでのことを思い出していく。
そして唐突に、その事実がクロエの中に降ってきた。
「……! 私、狩猟祭に参加していたんだわ……。……⁉︎ そうよ、殿下は⁉︎
サイラス殿下は無事なの?」
意識が途切れる直前の光景。黒い襲撃者が襲いかかるその瞬間を思い出し、クロエの体はブルブルと震え出した。
「クロエ、安心しなさい。殿下は怪我もなく無事だ」
父がベッドサイドの椅子に腰掛けるとクロエの目を見ながらゆっくりとそう言う。母が父の隣に跪き、投げ出されていたクロエの右手を両手でギュッと握った。
「あなたはずっと目覚めなかったのよ。このまま起きなかったらどうしようかと……!」
そう言う途中から、母の声は涙声になっていく。ポロポロとこぼれ落ちる涙がクロエの右手を濡らした。
「クロエ……すぐそばに居たのに、守れなくてすまない」
いつの間にか両親とは反対側に回ったガルドがそう言う。眉間には皺がより、その瞳には拭いきれない後悔が伺えた。
ガルドの隣にいるヒューゴは言葉が見つからないのか、その瞳にはうっすらと涙が見える。
「ガルド兄さま……」
何と声をかけたら良いのかわからず、クロエはそう呟いた。
(ガルド兄さまが悪いわけではないわ。兄さまはアンセル殿下を守って戦っていたのだもの)
たとえ近くにいたとしても、クロエたちのことまで守るのは不可能だったとクロエもわかっていた。
「兄さまのせいではないわ。悪いのは殿下たちを襲った者たちでしょう?」
クロエの言葉に、ガルドがその唇を噛み締めた。事実が何であれ、ガルドはきっと自分のことが許せないのだろう。
「皆さま、ご心配される気持ちはわかりますが、そろそろ診察をさせていただきたいのですが」
重たい空気が満ちた中に凛とした声が響く。誰もが目覚めたクロエに注目している横で、家族の後に部屋に入ってきた医者が診察の用意をすませて声をかけた。
「ローガン先生」
マディソン家専属医師のローガンは四十代半ばの男性だ。代々マディソン家の医療分野を担う家の出身の彼には、クロエも生まれた時からお世話になっている。何かと相談しやすい相手でもあった。
「クロエお嬢さまはお目覚めになったばかりです。まずは診察をして、それからゆっくりお話をされるのがよろしいかと」
『診察もしていない状況で患者を疲れさせるな』
言外に込められた意図を、マディソン家の家族はしっかりと汲み取った。
「それはそうだな。すまない。では診察が終わったら声をかけてくれ」
代表して父がそう言い、家族は揃ってクロエの部屋を出ていった。
身分としては辺境伯である父親の方が当然高いが、こと辺境領において医療技術や知識を持つローガンは大事な人材である。また、父は身分を笠に着て命令することはなく、自身に非があれば謝罪できる人格者だった。
「やれやれ……」
全員の退出を見届けて、ローガンがぼやくように呟く。
「先生、すみませんでした」
何だか申し訳なく感じてクロエもまた謝罪を口にした。
「クロエお嬢さまが謝るようなことはありませんよ」
小さく笑いながらそう言ったローガンは、しかし次の瞬間厳しい表情になるとゆっくりとその口を開いた。
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