事件
午前中に行われた狩りはすでに終わり、広々とした庭園で大人も子どもも食べ物や飲み物を片手に好きに過ごしている。
ワインが振る舞われていることもあって、いつの間にか自然と大人たちの集まる場所と子どもたちが遊ぶ場所が分かれていた。
とはいえ、あちらこちらに騎士が配置され、子どもたちがのびのびと遊べるように配慮されている。
「近くにいなければダメだよ」
そうガルドに良い含められたクロエは、兄たちを視界にとらえながらサイラスと近くの花々を観察していた。
「これは何の花だろう?」
「それは薬草にもなる花です。王都にはないと思うので、こちらでしか見ることはできないと思います」
サイラスはおっとりとした性格のためか最初はアンセルの後ろに隠れていたが、植物や薬草に興味があるらしく、クロエが案内役を買って出ると嬉しそうについてきた。
会場には他の貴族家の令息令嬢もたくさんいたが、その誰と話すこともなく庭園の隅でこうしてクロエとしゃがみ込んでいる。
(せっかくのドレスが汚れてしまうかしら?)
辺境という場所柄か、クロエは王都のご令嬢たちとは違い日頃それほど凝ったドレスを着ていない。
もちろん、着たいと言えばそれこそさまざまな種類のドレスを手に入れることはできるだろう。
しかし、ドレスというのは布の塊だ。
令嬢としてははしたないと言われてしまうかもしれないが、馬に乗り野をかけ、領地内のあちこちを兄たちと共に駆けることのあるクロエにとって、ドレスは動きやすいもの一択だった。
とはいえ、クロエとて八歳の少女らしく綺麗なものは好きだ。
今日は王族も招いた祭りということもあり、クロエも可愛らしいドレスを着せられていた。
いつもとは違いたくさんのフリルやレースのついた薄ピンク色のドレスはすぐに汚れてしまいそうだった。
それでも、だからといって庭園にしゃがみ込むことが嫌だなんて思わない。
「クロエ嬢は変わっているね」
不意にサイラスにそう言われ、クロエは慣れないドレス姿のどこかにおかしいところがあるのかと自身の体を見回した。
「ああ、ごめん。言い方が悪かった。君もそのドレスも、どこから見ても可愛いよ」
クロエの慌てた様子がおかしかったのか、そう言うとサイラスはふわりと微笑んだ。
(……!)
綺麗な人の笑顔というのは時に暴力にさえなり得るのだと、齢八歳にしてクロエは実感した。
アンセルが表情豊かに話す性格だからか、相対的にサイラスは無表情に見える。そんな彼の満面の笑顔は、不意打ちということもあってクロエの心臓を直撃した。
(体に悪いわ……)
ドキドキと鼓動を刻む自身の胸の辺りに手を置いて、クロエはそんなことを思う。
「たいていのご令嬢は可愛いもの、美味しいもの、おしゃべりが好きだろう? ただ花を眺めるだけならまだしも、こうしてしゃがみ込んで花を観察するのにつき合ってくれることなんてないんだ」
「えっと……この花は下の方に群生する種類なので、しゃがまないと見えないです」
果たしてその答えで合っているのか、わからないなりにクロエは言った。
邸宅内に飾る切り花とは違う美しさが自然にはある。
もちろん庭園内だから庭師の手によって整えられてはいるが、地に根差した植物からは力強く咲き誇る力が感じられた。
それもまた、クロエにとっては『綺麗なもの』であり、その花を愛でるためにしゃがむことに躊躇いはない。
「ふふ……」
クロエの返答のどこに笑う要素があったのか。
サイラスは嬉しそうに微笑むと、再び図鑑を片手に質問を開始した。
(綺麗と言うのなら、サイラス殿下もとても綺麗だわ)
プラチナブロンドの髪が太陽の光を弾き、コバルトブルーの瞳を輝かせながらサイラスが話しかけてくる。
そんなキラキラと光輝く彼自身が、クロエにとっては眩しく見えた。
♢♢♢
素敵な相手との楽しい時間というのはあっという間に過ぎていく。
時折、離れたところからこちらを見てくるご令嬢方の視線は感じたが、当のサイラスがクロエから離れることがなく、結局二人はずっと一緒にいた。
話す時間が長くなればそれだけ馴染んでいくもの。ましてや子どもであればなおのことだろう。
最初は相手が王子殿下だということに緊張していたクロエも、身構えることなく話せるようになっていた。
(サイラス殿下が親しみをもって話してくれたからかもしれないわ)
そんなことを思い、名残惜しく感じながらも兄たちの元へ戻ろうとしたその時、クロエの背中を身震いするような寒気が駆け抜けた。
「……え?」
突然感じた嫌な予感にクロエが小さく呟く。そして視線の先にいた兄たちに向かって黒い何かが襲いかかるのが見えた。
「アンセル殿下! 下がってください!」
ガルドの鋭い声が辺りに響く。
キンッ! キンッ! と金属と金属がぶつかる音も聞こえた。
兄たちと黒いものたちが入り乱れ、辺りが騒然とする。
「キャー!!」
「どけ!」
どこかの令嬢の金切り声のような悲鳴が、そして逃げ惑う紳士たちの怒鳴り声が響いた。
(敵襲だわ!)
辺境伯令嬢とはいえ荒事とは縁のないクロエは騎士たちが戦う姿を見るのは初めてだった。
それでも、他の令嬢よりも少しだけ冷静でいられたのは、動物相手の討伐は見たことがあったからだったのかもしれない。
黒いものに見えたのは、アンセル殿下を襲おうとする賊だ。
突然のことに立ち尽くしていたクロエの視界の先で、兄たちと騎士たちがアンセルを守りながら応戦している。
(このままではいけないわ! サイラス殿下をお連れして逃げなければ!)
恐怖に体が震える自分を心の中で叱咤し、クロエはそばにいるサイラスを振り返ろうとした。
その瞬間、クロエは視界の端にサイラスを守っているはずの近衛騎士の姿を捉えた。
(え⁉︎ なぜあの騎士は向こうにいるの?)
近衛騎士というのはいかなる場合でも主人のそばを離れるものではない。
サイラスの近衛騎士であるならば、たとえアンセルが襲撃されていたとしてもサイラスを守らなければならないからだ。
それなのに、サイラスを守るはずの近衛騎士はアンセルの側で剣を振るっている。
(これでは誰が殿下を守るというの⁉︎)
襲撃対象がアンセルだけで、サイラスが狙われないとはっきりしているのならまだわかる。
しかし今の状況はそうではなかった。
敵がアンセルだけでなくサイラスも狙っていたら、そばに騎士のいないサイラスは身を守ることができない。
そして、クロエの悪い予感は的中する。
焦って振り返った先、黒い衣装に身を包んだ男が、サイラスの背後から今にも襲いかかろうとしていた。
「殿下‼︎」
それは、無意識の行動だった。
自分を犠牲にしてでも助けようと、そう思ったわけでもない。
目に見える光景に、ただただ体が勝手に動いていた。
咄嗟に抱きついた時、サイラスは大きく目を見開いていた。
その瞳に驚きだけでなくどこか悲しげな色が浮かんで見えたのは、クロエの見間違いだったのだろうか。
サイラスの頭を抱き込んで、クロエは地面に転がる。
もしかすると押し倒したことでサイラスも怪我をしたかもしれない。
しかしそんなことは、考える余裕すらなかった。
倒れると同時に、クロエの背中に熱が走る。そして数瞬遅れて大きな痛みが襲ってきた。
「……う……あ……」
自分の口から意味のない言葉が漏れ、頭の中が混乱に陥る。
何も考えることができず、ただひたすら腕の中の人を抱きしめた。
痛みを発する背中が濡れているように感じて気持ちが悪い。こめかみから嫌な汗が滴り落ちた。
「うぐっ‼︎」
背後から奇妙な呻き声が聞こえ、それと同時に誰かが自分を呼んでいるのがわかる。
「クロエ!」
(ガルド……兄さま?)
常日頃冷静さを欠くことのない兄の、いつになく焦った声。
(兄さま、どうしたのかしら?)
現状にそぐわないそんなことを考えながら、クロエは自身の体から力が抜けていくのを感じる。
そして視界がゆっくりと狭まっていく。
「クロエ‼︎」
誰かの腕が自分の体を支えてくれたことを感じた瞬間、クロエの意識はフツッと途切れたのだった。
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