別れ Sideサイラス
サイラスの気持ちを他所に、クロエとの婚約はあっさりと解消された。
そしてその事実をサイラスはしばらくの間認めることができなかった。
どうしても納得できなくて、サイラスは一度だけマディソン邸まで行ったことがある。
いっその事クロエの口からはっきりと婚約解消を告げられた方が諦めがつくかと思ったからだ。
しかし、クロエはすでにタウンハウスにはいなかった。
訪れたサイラスを迎えてくれたのはヒューゴだ。
これから学園へ通うヒューゴは、辺境領に戻ることなく学園が始まるまで王都に滞在すると言った。
そしてクロエだけでなく、前回訪れた時はいたはずの辺境伯夫人もまた、クロエと一緒に領地へと戻ったという。
サイラスと顔を合わせたヒューゴはなんとも言えない表情を浮かべていた。
クロエが健康を害したわりには冷静で、どちらかというと直情的な性格に思えるヒューゴにしては珍しい反応だったように思う。
「サイラス殿下、わざわざ来ていただいたところを申し訳ありませんが、クロエは領地に戻りました。婚約解消については問題なく処理されたと聞きましたが?」
迎え入れられた応接室でヒューゴはそう言った。
「ああ、そうだ。私とクロエ嬢の婚約は解消された……」
そう言ってうつむいたサイラスを見ながら、ヒューゴは何を思っていたのだろうか。
「オーブリー邸でのお茶会以降、クロエ嬢は体調を崩したままだと聞いている。彼女の体調はそれほどまでに悪いのだろうか? あの日は私が家まで送ることができず、今でもそのことを後悔しているのだが……」
婚約解消を申し出られたことはショックだったが、それ以上にサイラスはクロエの体調が心配だった。あれほど元気だったクロエがずっと床に臥しているとしたら、いったいどこに問題があるというのか。
そう思って率直に言ったサイラスを、つかの間ヒューゴが見つめる。
「殿下はクロエのことをどう思っていたのでしょうか?」
そして、純粋な疑問とでもいうように問いかけてきた。
後になって思えば、ヒューゴはサイラスの疑問に答えていない。そのため結局はクロエの詳しい体調を知ることはできなかった。
「どう、とは?」
「狩猟祭で、クロエは殿下を庇って大きな怪我を負いました。それは令嬢としては足枷になるようなものです」
(クロエの傷痕を、足枷だなどと思ったことはない)
そう、サイラスは言いたかった。
「一般的に、貴族の令嬢に傷痕があれば良縁は望めません。それはこの国では当たり前のことだ」
辺境伯家は家族仲が良く、おそらく多くの貴族の中でも柔軟な思考を持っている。サイラスはそう思っていた。
だから、思った以上にヒューゴの考えが保守的で意外な感じがした。
「殿下は責任を取るためにクロエとの婚約を望んだのでしょうか?」
きっとヒューゴはこの質問がしたかったのだろう。
サイラスは直感的にそう思う。
「もちろん、私のせいで怪我を負わせてしまった責任というのを考えないわけではない。しかし、それだけではなかったことは伝えておきたい」
「……と言いますと?」
「私たちが会ったのはあの日が初めてだったが、植物や花が好きという同じ趣味を持っていた。ドレスが汚れるのすら厭わずに花の観察をしている姿を見た時に、クロエ嬢はとても魅力的な令嬢だと思ったよ。だから、傷痕のことがなかったとしても私は婚約を申し込んだだろう」
それはサイラスの偽りのない本音。
サイラスは今でもクロエを思うと胸が痛かった。
ついこの間まですぐそばにいたのに、もう近くにいる資格さえない。その事実が辛い。
「……そうですか……」
そう言うと、ヒューゴは今日最初に会った時よりもよほど優しい目をしてサイラスを見た。
「お答えくださりありがとうございます。ところで殿下は、今の話をクロエに伝えたことはありますか?」
「クロエ嬢に?」
サイラスにとってクロエへの気持ちは当たり前にあるものだ。
当然のこと過ぎて、クロエも知っているものだと思っていた。
しかし……。
(はっきり伝えたことは……なかった?)
「……わからない。私にとってクロエ嬢への気持ちは当たり前過ぎたから……」
呟くように答えたサイラスをヒューゴが見守っている。
「サイラス殿下。殿下はこれからたくさんの人と出会うでしょう。それこそ多くのご令嬢とも」
そこで一度言葉を切って、少し考えた後にヒューゴは続けた。
「もし殿下がこれから先もクロエを思っていてくださるのなら、あるいは二人の縁がいつかまた繋がることがあるかもしれないと、私はそう思います」
半分謎かけのようなヒューゴの言葉がサイラスの心の中に落ちる。
(私はクロエ嬢のことを思い続けていてもいいのだろうか?)
そう自問したが、たとえ許されなかったとしても自分がクロエのことを諦めることなどできないだろうと、サイラスはそう確信したのだった。
♢♢♢
その後、サイラスとクロエの婚約が解消されたことが正式に発表された。
その時サイラスはまだ十歳。
新しい令嬢との縁もいくらでも考えられる年だった。
実際に多くの令嬢が近づいてきたし、王家へも婚約の打診がたくさん届いたという。
しかしサイラスは、誰との話にもうなずかなかった。
そして新しい婚約者を決めることなく学園へ入学することになる。
婚約者の決まっていない王族とあって、サイラスはたくさんの令嬢の注目を集めた。
穏やかで常に微笑みをたたえる優しい王子。
それが在学中のサイラスの評判だ。
誰もがサイラスはいったい誰と婚約するのかと噂した。時にはその相手ではないかとされる令嬢の名前が上がったこともある。
しかし結局最後までサイラスは特別な相手を選ばなかった。
第二王子でありながら適齢期を過ぎているにもかかわらず婚約者すらいない。
そう言われながらも、とうとうサイラスは二十歳になった。
学園を卒業して二年。
ただ一人と決めてサイラスが待ち望んでいた相手との再会が、もうすぐそこまで迫っていた。
ここで第一部完結となります。
クロエの子ども時代を第一部、大人になってからを第二部としています。
思っていたよりも子ども時代の分量が増え、まさかの十万文字近くになってしまいました(汗)
ちなみに、陰謀はまだ渦巻いていません!(笑)
そしてこのあと第二部が続きます。
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