サイラスの思い Sideサイラス
クロエが目覚めたのだと、待ち望んでいた報告を耳にしたのは狩猟祭から一週間後のことだった。
あの後三日ほど辺境伯城に滞在したサイラスは、一向に目覚める気配のないクロエのことを心配しながらも王都へと戻った。
『クロエが目覚めたら知らせる』
ただその言葉を信じて、毎日花を選びながら彼女の無事を祈った。
そして、やっとの知らせだ。
「クロエ嬢に会いに行くことはできるのでしょうか?」
国王から今回の事件の捜査を一任されている兄に、サイラスは逸る心を持て余しながら聞いた。
「まだ目覚めたばかりだからしばらくは遠慮した方が良いと思うが……。一度辺境伯家へ手紙で問い合わせてみたらどうだ?」
いずれにせよ辺境伯の許可を得なければ会うことはできない。
それを思えば、たしかにまずは連絡を取ることからだろう。
「わかりました」
そう答えてサイラスはすぐに『クロエ嬢のお見舞いに伺いたい』という手紙を送ったのだが。
「何だ、断られたのか」
返信を受け取って落ち込んでいるところにたまたまやって来た兄が、呆れたように言った。
「目覚めたばかりならまだベッドの上だろう。お前はご令嬢の寝室に入るつもりか?」
「……! そんなことはしません!」
揶揄うような兄の言葉に、珍しくも感情を露わにしてサイラスが答える。
「……っふ。お前はクロエ嬢のことになると表情が豊かだな」
小さく笑った兄が「良いことだ」とか何とか言って頷いている。
たしかに、常日頃は凪いでいるサイラスの心はクロエが関係すると忙しなく揺り動かされる。
そのことを不思議に思いながら、それだけクロエが自分にとって大切な存在なのだとサイラスにもわかってきていた。
「屈強な騎士であっても大怪我の後はしばらく動けないものだ。向こうの準備が整うまでゆっくりと待つんだな」
そう言って、兄は一枚の書類をサイラスに渡すと部屋を出て行った。
(……新しい近衛騎士の身上書か)
兄が置いて行ったのはサイラスに新しく付く近衛騎士について書かれた書類だ。
サイラスに仕えていたあの男は、結局近衛騎士を除名され、騎士爵も剥奪。その上で王都を追放された。平民となったからには、もう二度とサイラスと会うこともないだろう。
それは当然の処罰だったが、喉に刺さった棘のようにいまだにサイラスの心を苛んだ。
(こんなに情が移っていたとは思わなかったな)
元々サイラスはそれほど情深い性格ではない。それでも、幼い頃から一緒にいたことは案外大きな意味を持っていたらしい。
(それに、間違った道を選んでしまったけれど性格が悪かったわけでもない。……こんなことを思っていると知られたら、兄上には甘いと言われてしまうだろう)
ほんの少し感傷的な気持ちになりながら、サイラスは書類を見た。
『ノックス・ブルックリン』
書類にはそう名前が記されている。
(ブルックリン伯爵家の三男か)
伯爵家といえど、嫡男とスペアの次男以降の男子は自力で職を見つけなければならない。その点王族の近衛騎士はかなり良い仕事だ。
(十八歳ということは、学園を卒業したばかりということか)
それでサイラスの近衛騎士になれるということは、学園に在学中の時点で実力が突出していたということだろう。
とはいえ、実力もさることながら、どんな男なのかをまずは自分で見極めなければならない。
(前回のようなことがあってはいけないから……)
そう思うと、サイラスは書類を自身の机の引き出しにしまったのだった。
♢♢♢
クロエとの再会が許されたのは、事件から三ヶ月後のことだった。
その間に、気づけばサイラスは九歳の誕生日を迎えている。
(クロエ嬢の傷はどうなっただろうか)
マディソン辺境伯領へと向かう馬車の中で、サイラスは物思いに耽っていた。
あの日クロエが目覚めたと聞いた時は、ただただ彼女の無事を喜んだ。
しかし時間が経つにつれ、サイラスは彼女の傷痕がどうなったのかが気になって仕方がなかった。
その深さにもよるだろうが、刀で切られた傷というのはたいてい痕が残ってしまう。実際に身近にいる騎士たちを見ても、彼らもまたどこかしらに傷痕を残しているものだった。
(もしも貴族の令嬢の背中に大きな傷痕があったら……令嬢のその後はどうなってしまうのか)
サイラスはそのことを考えると居ても立っても居られない気持ちになる。
幸いにしてマディソン家は家族仲も良く、何があってもクロエを傷つけるようなことはしないだろう。
しかし年若い令嬢に残る傷痕は、これから先のクロエを苦しめるに違いない。
(私が求婚したら、受け入れてくれるだろうか……?)
それはクロエに会えない三ヶ月の間に考えていたことだ。
サイラスはある事情によってオーブリー家のリリアン嬢との婚約の話が出ているふりをしていたが、今回の訪問を前に、そのふりを止めることを父にも兄にも了承を得ていた。
だからマディソン辺境伯に訪問の申し入れをした時に、サイラスはそれとなく婚約の打診をしている。
しかしその返事はまだもらえていない。
(娘に傷をつけた私を許せないのか、それとも他の理由があるのか……)
それはサイラスにもわからなかった。
婚約の話はサイラスからの希望であり、強制ではない。通常の婚約とは違って選択権は辺境伯家にある。
(今回の訪問で、答えはもらえるのだろうか?)
そんなことを思うサイラスを乗せた馬車は、ほどなくして辺境伯城へと到着したのだった。
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