クロエとの出会い Sideサイラス
(マディソン家の兄弟妹は三者三様だな)
それが、クロエたちに最初に会った時のサイラスの感想だ。
長兄のガルドは背が高く寡黙で、次回のヒューゴは陽気で人当たりが良く、クロエは大人しそうな令嬢だった。
そしてヒューゴはアンセルと面識があるらしく、会ってすぐに楽しそうに話し始めている。
その二人をガルドが見守り、クロエはガルドと手を繋ぎながら彼の陰からこちらをうかがっていた。
(人見知りなのかな?)
そんな印象を抱いたサイラスだったが、結局その後クロエと一緒に行動するようになる。
というのも、サイラスは元々植物や薬草、花に興味を持っていて、クロエもまた同じ趣味だったからだ。
サイラスにとって令嬢というのは、綺麗なもの、可愛いものが好きで、ドレスや宝石、お菓子の話ばかりする存在だった。
それは王都で接する令嬢が総じてそういう感じだったからだ。
しかしクロエは違った。
最初こそガルドの陰からこちらを見ていたが、ほどなくしてサイラスと打ち解けると、図鑑を片手に一緒に植物や花々を観察するようになった。
しかも驚いたことに、ドレスが汚れることも厭わず、興味のある植物のそばにしゃがみ込むくらいだ。
サイラスの説明にも瞳を輝かせながら頷き一緒に花を観察するクロエは、サイラスにとって今まで接したことのないタイプの令嬢だった。
(クロエ嬢といるのは楽しいな)
人当たりが良さそうに見えて実は警戒心が強く、あまり親しい人を作らないサイラスにとって、スルリとその心に入ってきたクロエはとても珍しい。
王都ではついぞ感じられないような楽しい時間を思いがけず過ごすことができて、サイラスも久しぶりに子どもらしくはしゃいでいた。
しかしそんな楽しい時間も、突如奪われることになる。
「アンセル殿下! 下がってください!」
ガルドの鋭い声が辺りに響き、キンッ! キンッ! と金属同士がぶつかる音が聞こえた。
「キャー!!」
「どけ!
どこかの令嬢の金切り声のような悲鳴が、そして逃げ惑う紳士たちの怒鳴り声が辺りに響く。
(敵襲だ!)
サイラスは今まで王宮で多くの者たちの悪意に晒されてきたが、兄とは違って直接的な攻撃を受けたことはなかった。
毒を盛られることはあっても剣で切り付けられることはなかったのだ。
視線の先で、兄を襲おうとしている賊と兄を守ろうとしているマディソン兄弟や近衛騎士の姿が見える。
(クロエ嬢も危ない。早く一緒に逃げなければ!)
サイラスは武力において自分が無力なことを自覚していた。そして非力ならば、逃げることこそが何よりも重要だということを理解していた。
だからすぐにでもその場を離れるつもりだったのに。
目に飛び込んできた光景に一瞬動きが止まってしまったことを、サイラスは後々まで後悔することになる。
それは瞬きするくらいの短い時間だった。
アンセルのそばで剣を振るう男の姿に、サイラスは思った以上に動揺した。
目を見開いた先に見えるその光景は、しかし次の瞬間温かい何かに覆われ、そして背中に衝撃が走る。
何が起こったのか理解が追いつかない状況の中で、サイラスを包む温かい何かが小さく呻いた。
「……う……あ……」
そしてヌルリとしたものが滴り落ちてくる。
何が起こったのかがわからぬまま手を持ち上げれば、その手が赤く染まっていた。
「……ああ……」
自分の手がブルブルと震えているのを、サイラスは目にする。
「クロエ!!」
実際は数瞬のことだったのだろう。
ガルドの声が聞こえて辺りが騒然となるのがわかった。
そして自分の上から温かい何かが奪われると同時に、サイラスは自身が激しい呼吸を繰り返していることに気づく。
「サイラス! 息を吐くんだ!」
兄の声がして、サイラスは必死に自分の呼吸を意識した。
息を吸って吐くこと。それすら満足にできなくて眦に涙が浮かぶ。
そんなサイラスを見かねたのだろう。
「殿下、失礼します」
兄の近衛騎士がサイラスを抱き上げた。そして足早に辺境伯城へと向かって行く。
丁寧に、しかし素早く運ばれていく途中でサイラスは見た。
青白い顔をしながらこちらを見つめる男を。
サイラスの、近衛騎士のその顔を。
♢♢♢
「サイラス、何が問題だったのかはお前もわかっているだろう?」
兄の言葉に、サイラスはうつむいていた顔をノロノロと上げた。
マディソン辺境伯城の一室で、サイラスは兄と共に待機していた。
サイラスをかばって負傷したクロエが運ばれた部屋には人が出入りし、城内は慌ただしさに包まれている。
緊急の事態が起こり、狩猟祭は中止された。
事が事だけに参加していた貴族たちも早々に帰路についている。
残ったのは今回の件に関わりのある兄とサイラス、そして近衛騎士たちだけだ。
「……はい」
「一番の問題はもちろん敵襲があったことだが……あの件も、もっと早く私からも進言しておくべきだったのだろう」
そう言うと、兄は大きなため息をついた。
「あの男をここに連れて来い」
兄の言葉に答えて、扉の外で待機していた騎士が一人の男を連れて来る。
王宮では憧れを持って見つめられる近衛騎士の制服を着た男は、椅子に座る兄とサイラスの前に膝をついた。
「お前の仕事は何だ?」
兄に酷く冷めた声で問いかけられ、男は萎縮したように縮こまる。
「この剣を、お前は誰に捧げた?」
男の前に一振りの剣が放り投げられた。
王宮において、近衛騎士はその職に就く際に主へ剣を捧げる。儀式的なものではあるが、それをすることによって本人への自覚を促す役目もあった。
目の前の男はもう何年も前にサイラスにその剣を捧げたはずだ。
「サイラス……殿下に、です」
言葉に詰まりながら答えた男に向かって、兄はいつもの朗らかさをかなぐり捨てたかのような冷たい眼差しを向ける。
「そうだ。お前の主人はこの国の第二王子、サイラス・エスペランサだ」
そこまで言って兄はおもむろに席を立つと、ひざまづく男の目の前に立って言った。
「自分の主もわからないような者を、近衛騎士として置いておくことはできない」
「……それは!」
咄嗟に顔を上げ兄に縋りつこうとした男は、部屋にいた他の騎士たちにすぐに床に押さえつけられる。
「今日この時をもってお前をサイラスの近衛騎士から除名する。職務怠慢に関する処罰は追って知らせる。連れて行け」
兄の言葉に、押さえつけられていた床から男は思わぬ力で上体を起こした。
そしてその視線をサイラスへと向けると、叫ぶように言う。
「サイラス殿下! 私は幼少期より殿下に誠心誠意お仕えしてきました。どうか! どうかもう一度機会をお与えください!!」
縋るようなその視線がサイラスを苦しめる。
しかしそれを振り切るように、サイラスは男を見た。
「お前が兄上の近衛騎士になりたがっていることに、私が気づいていないと思っていたのか?」
「……」
サイラスの言葉が予想外だったのだろう。
男は目を見開き、言葉を失ってサイラスを見つめた。
「他に忠誠を捧げる者を、私の騎士として置くことはできない」
それは男に対する最後の通告だった。
サイラスの言葉を受け、男が部屋から引き摺り出されていく。
それはサイラスの子ども時代との訣別だったのかもしれない。
兄の騎士になりたがっているとわかってはいたけれど、あの騎士がサイラスのそばに一番長く、そして一番近くにいたのは事実だったから。
「これからはより一層気をつけていかなければならないと、お前も理解しておいた方がいい」
「……もちろん、わかっています」
兄の言葉に頷きながら、サイラスは心の内に広がるやり切れない気持ちを、ゆっくりと握りつぶしたのだった。
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