サイラスの憂鬱 Sideサイラス
エスペランサ王国第二王子、サイラス・エスペランサは物心ついた頃から自身が兄のスペアであることを理解していた。
それが嫌だったわけではない。
人は誰でも与えられた役割があるのだと、わりに幼い頃からわかっていたせいでもある。
そして王宮という思惑の渦巻く世界では、相手が何を考えているのかを素早く察知するのが生き残るためにも大事だということを実感していた。
そうやって幼い頃から過ごしていれば、良くも悪くも人の気持ちに聡くなるものだ。
だから、自分につけられた近衛騎士が兄の騎士を希望していることにも早い内から気がついていた。
王宮内で兄に遭遇すると、本人にとってはさりげなく、サイラスの目にはあからさまに売り込んでいるのがわかるからだ。
(兄さまは気づいていて楽しんでいる節があるな)
二人のやり取りを見てサイラスは何度もそう思った。
八歳のサイラスにとって五歳上の兄、アンセルは何もかも敵わない相手だ。
サイラスは元々争いごとを好まない性格ということもあり、エスペランサ王家は兄弟間で王座を争う心配などない。
だから、王家はこのまま安泰でいられると思っていた。
何となく周りがきな臭くなり始めたのはサイラスが六歳を越えた頃だろうか。
何回か、兄がこっそりと怪我の手当てをしているところを見た。それ以外にも、兄についていた近衛騎士がいつの間にか変わっていたことも。
後から調べると、騎士たちは騎士生命に関わるような怪我をしたか、命を落としたせいでいなくなっていた。
そんな中、八歳になったサイラスは、アンセルと共に辺境伯領の狩猟祭に参加することになる。
「そういえば、マディソン家にはサイラスと同じ年のご令嬢がいたな」
辺境へと向かう馬車の中で、思い出したように兄が言った。
「あそこは三人兄弟妹だ。一番上が十六歳のガルド、次が私と同じ年のヒューゴ、そして一番下がクロエ嬢だな」
「特に何か気をつけておいた方が良いこととかありますか?」
サイラスの質問に、兄がつかの間黙る。
「特にはないが……今回の狩猟際にはオーブリー家がリリアン嬢を連れてくるはずだ。お前に接触しようとしてくると思うが、なるべく離れていた方がいいだろう」
オーブリー家というのは現宰相の家だ。
少し前にオーブリー家からリリアンとの婚約の打診が王家に出されており、今のところそれとなくその打診を受けているような形にしている。
(実際は口約束以前の、曖昧なものでしかないけれど……)
王家としてはその提案を完全に断れない事情があり、かといって受けたくない事情もあった。
だからこその、曖昧さだ。
オーブリー公爵家は外堀から埋めていくつもりなのか、まだ何も確定していないにもかかわらずじわじわと噂を広めようとしている。
やりづらいのは、『誰』がその噂を広めているのかがわからず、そしてあくまで『噂』としている点だった。
もしオーブリー公が公の場で宣言すればそれはまだ決定ではないと訂正することもできるが、現状はそうではない。
(それに、リリアン嬢はそのことを知らないみたいだ)
王宮でオーブリー公に会いに来たというリリアンと遭遇したことがあったが、彼女はすでに自分がサイラスの婚約者だと思い込んでいた。
幼い令嬢に対して冷たくあしらうこともできず、それなりに対応したのも悪かったのだろうか。
それ以降、どこで会ってもリリアンはサイラスにまとわりつき、少しでも他の令嬢と話そうものなら会話に割り込んでくる。
迂闊に邪険にできない分、対応に苦慮していた。
「そういえば、お前はまだあの騎士を首にしていないのか?」
不意に話題を変えられて、考え込んでいたサイラスは顔を上げる。
「あの騎士、ですか?」
「そうだ。お前専属の近衛騎士でありながら会うたびに私に自分を売り込んでくる、あの騎士だ」
「ああ……今のところ害はないので」
「何か大きなことが起こる前に、考えておいた方がいいぞ」
兄の忠告は正しいのだろう。
しかし同時に、サイラスにはどうしようもない理由もあった。
そもそもサイラスの騎士は国王である父が決めている。
多忙な父は近衛騎士団の中で腕が立つものを兄の騎士に、そして兄の騎士を決めた後に、それに次ぐ腕を持つものをサイラスへとあてがっていた。
つまり、今サイラスの騎士をしている者は実力だけで言えば問題ないのだ。
とはいえ、近衛騎士の適性は腕だけではない。
いかに護衛対象に危険を近づけないかも重要な能力だ。
その点、あの騎士は時々注意力が散漫になる。
(特に、兄上が近くにいる時には)
野心があるのは別に悪いことじゃない。
今後のために自分を売り込むこともいいだろう。
しかし、本業が疎かになるのはいただけなかった。
(それに、兄上にはすでに優秀な騎士がいる。あの者たちを押し除けるだけの実力があるのかどうか……)
実は一番の近道はサイラスの元で実績を上げることだが、残念ながらあの騎士はそのことに気づいていない。
(いずれにせよ、何か起こらない限り変わることはないだろうな)
そんな呑気なことを思っていたのがいけなかったのだと、サイラスが心底悔やむのはもう少し後のことだった。
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