クロエの選択
自分の抱える感情に明確な名前がついて、クロエは少しの動揺と共に納得した。
そして同時に、その感情がどうであれ、これから選ぶ選択には何の影響も及ぼさないことを確信する。
「そうかもしれないわ。だとしたら尚のこと、これは私のわがままね」
何も言わなければクロエはサイラスと結婚できる。好きな人のそばに一生いられるのだ。
それはとても甘美な誘惑だった。そして同時に終わることのない苦しみでもある。
「お父さま、お母さま、私はサイラス殿下との婚約の解消を望みます」
クロエの言葉に、最初に反応したのはヒューゴだった。
「なぜだ? 殿下のことを好きならそのまま結婚すればいいじゃないか」
サイラスの気持ちがどうであれ、彼はクロエを婚約者に選び、そしてちゃんと大切にしている。だから断る理由を見出せないのだろう。
(でも、今のままの私では何の役にも立たないの)
サイラスはいつかクロエのことを重荷に思うようにならないだろうか。
リリアンの方が良かったと思わないだろうか。
そしてサイラスの心を得られないままそばにいることに、自分は耐えられるだろうか。
そんなことばかりを考えて過ごしていきたくはない。
今までクロエは本当の意味で自分の傷痕と向き合ってはこなかった。心の奥に押し込めて見ないふりをして、そして差し伸べられた手を取った。
(童話のように、王子さまに助けられるお姫さまでいれば良いのかもしれないけれど……)
人生は物語のように『そして王子さまとお姫さまは幸せに暮らしました』とはいかないのだ。
「ヒューゴ兄さま、それではお互いのためにはならないの」
理解できないと顔に書いたヒューゴから、クロエは再び両親へと視線を向けた。
「とはいえ、王家との婚姻によって得られるものを私の一存で失うことに対しては申し訳なく思っています」
「いや、それに関しては問題ない。むしろ我が家としては、王家と縁付くことによって起こるゴタゴタの方が頭が痛いくらいだからな」
クロエに対して答えた父の言葉は半分本音だろう。
元々辺境伯家は王都の政治とは距離をおいていた。
しかしクロエがサイラスと結婚するとなれば、無関係ではいられなくなる。
こちらに何も思惑がなかったとしても痛くもない腹を探られるだろうし、不要な派閥の争いに巻き込まれるかもしれない。
「サイラス殿下との婚約を解消したら、マディソン家の令嬢としての私の価値は無くなるでしょう。きっと今後どこの家からも縁を望まれることはないと思うわ」
それは確信だった。
あえて傷痕のある令嬢を求める家はない。
仮にあったとしても、良縁は望めないはずだ。
「かといってずっと家に置いていただくわけにはいきません。それこそいずれガルドお兄さまが結婚するとなれば、私の存在は邪魔でしかないもの」
「クロエを追い出すつもりはないぞ。もし結婚するにしても、相手にはそのことを了承してもらう」
すぐにそう返してくれたガルドに、クロエは困ったように笑った。
「お兄さま、それでは結婚できないと思うわ」
最初からお荷物がいる家に嫁ぎたい令嬢はあまりいないだろう。
それに、クロエとしても未来の義姉とは仲良くしたいから困らせたくはなかった。
「じゃあ、どうするんだ?」
ヒューゴが皆の気持ちを代弁するかのようにそう疑問を口にする。
「騎士なります」
「……は?」
クロエの宣言に、両親とガルドは目を見開き、ヒューゴは何ともいえない声を上げた。
「十五歳になったら、王都の学園には入らず辺境の騎士学校に入学します。そして、騎士になりますわ」
それが、悩み抜いて決めたクロエの選択だった。
「何を……言っているの?」
一番最初に立ち直ったのは母だ。
「エスペランサ王国では貴族の令嬢が働くことなんてあり得ないのよ。ましてや騎士なんて!」
エスペランサ王国の貴族令嬢は、学園を卒業した後に嫁ぎ、子を生んで家を支えていくことを求められる。
支えるといっても領地運営に携わることは少なく、たいては邸宅内を取り仕切り、社交をし、そして夫に従うだけ。
貞淑であり夫の言うことを素直に聞く女性こそが理想だと言われていた。
当然、働く令嬢などとんでもないことだ。
「女性が働くなんて平民だけよ」
「貴族令嬢が働いてはいけないなんて法律はないわ。それに、王都では難しくても辺境なら可能だと思うの」
たしかに、王都でそんなことをすればその家ごと蔑視されるだろうが、マディソン家の目の行き届く辺境で、他でもなく辺境伯の令嬢が騎士になったとしても軽視されることはない。
「だからと言ってそんな……」
言葉をなくす母に、呆然としたままの父。
二人に本来なら不要な心労をかけていることに胸を痛めるクロエに対して、ガルドが冷静に声をかけた。
「その髪は、覚悟の表れか?」
「……そうよ」
クロエの決意が目にみえるように、そして決して後戻りはしないという意思表示のために。
「騎士というのはそう簡単になれるものではない。それに、怪我をしたり命を落とすこともある。それでもか?」
「もちろん理解しているわ」
辺境で暮らすクロエにとって、騎士は身近な存在だから。
親しく話していた人が、次の日には物言わぬ骸になってしまうこともあるとわかっている。
「背中の傷痕、それ以上の傷を負うことになってもか?」
「ええ」
今さら傷痕がいくつ増えようが関係ない。
質問しながらもずっとクロエを見つめていたガルドが、小さくため息をついた。
「父上、クロエの頑固さは父上譲りでしょう。マディソン家の者はこうと決めたら諦めませんから」
「いやしかし……」
頑固さには思い当たりつつも反論しようとする父に向かって、ガルドが無駄だとでもいうように首を振る。
「使えない者を騎士として認めることはできない。クロエ、お前が騎士になると言うのなら当然訓練をしてもらう」
「もちろんよ」
「ならいい。では他の訓練生と共にまずは下積みからだ。簡単に騎士になれると思うなよ」
こうして、いまだ呆然とする両親と唖然とした表情を浮かべたままのヒューゴをよそに、辺境騎士団副団長であるガルドの許可を得て、クロエは騎士見習いになることが決定したのだった。
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