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辺境の令嬢は王子の愛を求めない  作者: 神宮寺 あおい@受賞&書籍化


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求婚

「決して無理強いするつもりはないということを先にわかった上で聞いて欲しいのだが」


 そう言うと、サイラスはクロエの目の前にスッと片膝をつく。


(中庭は土が剥き出しだから、せっかくのお召し物が汚れてしまうわ)


 そんな場にそぐわないことを思ったクロエの耳に、予想外の言葉が飛び込んでくる。


「どうか私と結婚してくれないだろうか?」


 物語の王子さまがお姫さまへ求婚するように。

 サイラスはクロエの右手を取るとその甲にそっと口付けた。


「え?」


(えええ⁉︎)


 あまりの綺麗な光景に一瞬ぼんやりとしていたクロエは、数瞬遅れてその言葉の意味を理解する。


「ダメだろうか?」


 美しいコバルトブルーの瞳がクロエを見上げている。少し不安そうに揺れるその瞳が綺麗で、クロエはますますこれが現実のものとは思えなかった。

 非現実的な光景に、クロエは自分が夢の中にいるのではないかという錯覚に陥る。


 そして同時に、夢とは思えないくらいに自分の鼓動がうるさく胸を打ちつけているのを感じた。

 頬には血が上り赤くなり、騒ぐ胸をなだめるように胸元に左手を置く。


「あの……おっしゃっている意味がわかりません」


 それはある意味本音だ。

 クロエにはサイラスに今ここで求婚される理由が思い当たらなかった。

 いや、本当は頭のどこかで理解していたのかもしれない。しかしそれを心が拒んでいる。


 クロエもサイラスもまた九歳だ。婚姻はもちろんのこと、たとえ婚約だったとしても早過ぎる。


 エスペランサ王国の貴族は十歳で社交を始め、学園に上がる十五歳までの間に婚約を整えるのが一般的だ。そして学園に在学している間にお互いへの理解を深め、卒業と同時に結婚することが多い。


「あの、恐れながら貴族の婚姻は十八歳からしか認められていないかと思います」


「はい」でも「いいえ」でもなく、至極当たり前の事実をクロエは言った。

 逆にいえば、それだけ驚き、混乱していたせいなのだけれど。


「もちろん国の法律のことは理解している。結婚とは言ったが、十八歳までは婚約という形になるだろう。あえて結婚の申し込みにしたのは、それだけの覚悟があると伝えたかったからだ」


 サイラスはクロエの疑問にそう答えた。


(……殿下はとても落ち着いているのね)


 ふと、この場で混乱しているのが自分だけということにクロエは気づく。

 サイラスにしてみれば心を決めた上で自分から言い出しているのだから当たり前なのかもしれない。それでも、結婚を申し込んでいる当人だとは思えないくらいの落ち着きだ。


(ああ……そういうことなのね)

 

 理由が腑に落ちて、クロエは頭に登った血がスッと冷えるのを感じた。


(やはり殿下は、責任を取ろうとなさっているのだわ)


 貴族の令嬢に自分のせいで傷を負わせた。


 その責任を。


(そうよね、エスペランサ王国における令嬢の価値は血筋と美しさですもの。美醜はともかくとして、令嬢の体に傷をつけたというのはその価値を貶めたことになる。だから……)


 あえてあまり考えないようにしていたが、クロエにも不安はあった。

 これから結婚相手を探すに当たって、クロエの傷を許容してくれる人を見つけないといけないからだ。


(貴族の令嬢である限り、結婚は家門に利益をもたらすものでなければならない)


 そんな結婚を、今の自分が望めるのか。

 口にすることのなかった不安は、サイラスからの申し込みを受ければ解消するのだろう。


 でも。


(王子妃というのは簡単に考えて良い地位ではないわ)


 王都からみて辺境領は田舎だ。辺境の騎士団が守っているからこそ自分たちの安寧が保たれていると頭では分かっていても、彼らの中で辺境の地位は低い。

 家格としては公爵家と同等だが、辺境伯はその担っている仕事の性格上王都の社交界へ頻繁に参加することは不可能だった。そうなれば当然、彼らの中での辺境伯家は重要な相手ではなくなっていく。

 だからこそ、辺境伯令嬢が王子妃の座に就くのを良く思わない王都の貴族は多いだろう。

 

「殿下、私の婚約を決めるのは家長である父です。私は父の意向に従うまでですわ」

「辺境伯にはすでに許可を得ている。彼はクロエ嬢に任せると言っていた。私としては求婚を受け入れて欲しいが、クロエ嬢が拒むのであればその気持ちを尊重したい」


(私に任せるですって? そんなこと、普通では考えられないわ。お父さまはいったい何をお考えなのかしら……)


「殿下、こんな大事なことを私の一存で決めることはできません。まずは両親に相談させていただければと」

「……そうだな。あなたの気持ちも考えず、私が先走ってしまったようだ」


 そう言ってサイラスが立ち上がるのを見て、クロエは自身の失態に気づく。


(殿下をずっとひざまづかせてしまっていたわ!)


 しかし焦るクロエの心情など知らぬサイラスは立ち上がると、エスコートの腕を差し出した。


「辺境伯夫妻がそろった状態で話した方が良いのは分かっていたのだが……クロエ嬢に直接求婚したいからそのための機会を作って欲しいと私が言い出したのだ」


 王族からの求婚など臣下の身で断ることなどできない。

 しかしサイラスは最初に「無理強いはしない」と言い、さらには命令ではなくクロエの気持ちを尊重すると言った。

 両親が同席した場で求婚しなかったのも、クロエに断る余地を残してくれたのだろう。


「返事は急がないが、今度王宮で開かれるお茶会までに答えをもらえると嬉しい」


 王宮でのお茶会はクロエとサイラスが交流会デビューする場だ。


(婚約するのであれば、それまでにはっきりさせておきたいということかしら)


 おそらく、サイラスの婚約者として参加すれば軽んじられることはないだろう。しかし同時に、将来の王子妃としてサイラスの隣に立てば、その立場を狙っていた貴族家には睨まれるに違いない。


「承知いたしました」


 サイラスにはそう答えたものの、クロエは自分がどうすべきなのかわからなかった。


(サイラス殿下は素敵な方。婚約を申し込んでくださったのは純粋に嬉しいわ。でも……このお話を受けて良いのかわからないもの……)


 喜びと、迷い。

 その二つの感情が心に入り混じりながら、クロエはサイラスにエスコートされるまま城内に戻ったのだった。

数多の作品の中から読んでいただきありがとうございます。


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