勇者「そろそろ出勤か」⑥
勇者だけが、何も救えなかった顔をしていた。
魔法使いは視線を落としたままで人形のように動かなかった。
その背中を見ながら、誰も言葉を発せなかった。
魔王「さて」
魔王は残る一枚の契約書を拾い上げる。
魔王「次は僧侶だ」
僧侶の肩が震えた。
魔王「医療統括補佐。貴様には適性がある」
僧侶「.......イヤ」
2度の即答だった。
僧侶「私は魔王軍なんかに入りません」
魔王「そうか」
あまりにもあっさりとした返事だった。
勇者も思わず顔を上げる。
魔王は契約書を丸めるようにして手の中に収めた。
魔王「ならば断ればいい」
勇者「......は?」
僧侶も目を見開く。
魔王「強制はせんが」
玉座の間が静まり返る。
魔王はゆっくりと戦士へ視線を向けた。
魔王「戦士の村は保護優先順位は、どうなるのだろうか」
僧侶「あっ....」
戦士「......」
戦士は答えない。
魔王「和平後も火種は残る。人間と魔族の反乱分子も出てくることだろう」
魔王「とても危険になるな」
戦士の拳がわずかに握られる。
魔王「もしかしたら死ぬこともあるんじゃないのか?」
その瞬間。
僧侶の顔から血の気が引いた。
戦士「やめろ」
魔王「何故だ?」
戦士「それ以上言うな」
魔王は肩をすくめる。
魔王「事実を述べているだけなのだがな」
沈黙が続く。誰も口を開かない。
勇者は歯を食いしばっていた。
戦士は視線を逸らしている。
魔法使いは曇った目でただ黙ったまま僧侶を見ていた。
もしかしたら泣いてたかもしれない。
僧侶だけが震えていた。
戦士「見るな」
小さな声だった。
僧侶は顔を上げる。
戦士「そんな顔するな」
僧侶「......」
戦士「俺らのことなんか放っとけ」
僧侶の唇が震える。
戦士「もともと、もう終わってたんだ」
その言葉に。
僧侶は初めて一歩前へ出た。
勇者も驚いて振り返る。
旅の間は誰かの後ろを歩くことはあっても。
僧侶が前に出ることはほとんどなかった。
僧侶は契約書を見た。そして戦士を見た。
僧侶「......もう嫌なんです」
戦士「何がだ」
僧侶「放っておくことなんて」
戦士の表情が固まる。
僧侶の目には涙が溜まっていた。
それでも逃げなかった。
僧侶「私は...助けられないのが嫌だから旅に出たんです!」
僧侶「誰かが傷つくことを見るのも!」
僧侶「誰かが死んでしまうのを見るのも!」
僧侶「ずっと嫌だった!」
僧侶は契約書を受け取る。
震える手で。だが離さない。
勇者「僧侶!お前まで!」
僧侶「勇者さん!」
勇者を見る。泣きそうな顔だった。
それでも無理に笑おうとしていた。
僧侶「ごめんなさい...」
僧侶「これは私が決めます」
戦士が何か言おうとする。
だが言葉にならない。
僧侶は契約書に目を落とした。
そして静かに署名する。
ペン先が紙を走る音だけが響いた。
僧侶「私、あなたを助けたいの」
契約書が淡く青白く光る。
魔王はそれを見て小さく笑った。
魔王「そうか」
僧侶は震えていた。
怖くないわけがない。それでも。
誰かに決められたわけではない。
自分で選んだ。その事実だけは残った。
勇者は何も言えなかった。
旅の仲間たちが。
それぞれ別の場所へ歩き出していく。
その光景だけが、ひどく遠く感じられた。




