勇者「そろそろ出勤か」3章2話
朝から、空には重い雲が垂れ込めていた
窓の外は静かだった
いつも聞こえる小鳥の声もない
骸骨戦士はゆっくりと立ち上がった
暖炉へ薪をくべる
鍋へ水を入れ、火へ掛ける
いつもと同じ朝だった
部屋の奥へ視線を向ける
僧侶はまだ眠っている
骸骨戦士は静かに近寄った
しばらくその寝顔を見つめる
やがて僧侶はゆっくりと目を開けた
少しだけ苦しそうだった
それでも笑う
「おはようございます」
骸骨戦士は小さく頷いた
僧侶は身体を起こそうとする
少しだけ力が入らない
苦笑した
「今日は少しだけ、身体が重いですね」
骸骨戦士は何も言わない
静かに上着を持ってくる
その姿を見て僧侶は優しく笑った
昼頃
村の医者が家を訪れた
僧侶の手首へそっと触れる
医者は僧侶の手首から、ゆっくりと指を離した
何かを言おうとして、やめる
「……これからは、なるべくそばにいてあげてください」
医者は小さく息を吐いた
「少し休みましょう」
「村のことなら私達が何とかしますので」
僧侶は静かに頷く
「ありがとうございます」
帰ろうとして、ふと骸骨戦士を見る
「……あなたも、ちゃんと休んでくださいね」
骸骨戦士は静かに頷く
医者は何も言わず、家を後にした
窓から吹く風だけが部屋を通り抜ける
庭の花が揺れていた
それから数日
骸骨戦士は家から離れなくなった
庭で薪を割り、倒れかけた柵を直し、僧侶の見える場所で畑を耕した
窓際の椅子へ座った僧侶は、その姿を静かに眺めていた
時折目が合う
その度に笑う
骸骨戦士も小さく頷く
何も変わらない
何も変えようとしない
それが二人の日常だった
夕暮れ
部屋は優しい茜色に染まっていた
僧侶は窓の外を眺めている
窓から吹く風が髪を揺らし
その頬からは、いつもの血色が少しだけ失われていた
それでも、
骸骨戦士へ向ける笑顔だけは、何も変わらなかった
「少しだけ、こちらへ来ていただけますか」
骸骨戦士は椅子を引き、その隣へ座る
しばらく沈黙が流れた
窓から入る風だけが静かに部屋を通り抜けていく
「……ゴホッ、ゴホッ」
僧侶は骸骨戦士を優しく見つめる
旅の頃から何一つ変わらない、
不器用で誰よりも優しく
それでいて自分を後回しにする人
僧侶は少しだけ笑った
「あなたは、本当に不器用でしたね」
骸骨戦士は何も答えない
静かにその言葉を聞いていた
「でも……」
少しだけ涙が滲む
「そんな優しいところが……私は大好きです」
部屋は静かだった
蝋燭の火だけが小さく揺れる
僧侶は骸骨戦士の白い手を見る
ゆっくりと自分の手を重ねた
「……私は」
少しだけ息を整える
「あなたと一緒に生きられて、本当に幸せでした」
その言葉に嘘はなかった
旅をした日々も
神を倒した日も
この小さな村で暮らした年月も
全部が宝物だった
長い沈黙の後、僧侶は小さく呟いた
「もう少しだけ、一緒にいたかったですね」
僧侶は笑おうとした
けれど、今度はうまく笑えなかった
その代わりに頬に一筋の涙が落ちる
「……本当は」
「まだ、あなたと一緒にいたいんです」
涙がぽろぽろと流れ落ちる
初めて見る顔だった
旅をしていた頃も
この村で暮らした年月も
僧侶は、いつも笑っていたから
「少しだけ……怖いです」
「まだ、一緒にいたいよ……」
「また、一緒に旅がしたいの……」
骸骨戦士は何も答えられなかった
ただ、重ねられた僧侶の手を握り返す
骨だけの手は冷たかった
それでも、その握り方は旅をしていた頃と何も変わらなかった
僧侶は流れる涙を拭おうともせず、もう一度笑った
今度は、ちゃんと笑うことができた
「でも」
「ずっと、愛してる」
窓からの風が優しく家の中に入った
その笑顔を残したまま、ゆっくりと目を閉じる
呼吸は静かに浅くなり、やがて止まった
風だけが静かに部屋を抜けていく
骸骨戦士は何も言わない
ただ最後まで、
その手を離さなかった
数日後
村外れの丘
朝日が静かに墓石を照らしていた
村人たちが丘を下りたあとも
骸骨戦士だけは墓の前に残っていた
石を積み、土を均し、花を供える
骸骨戦士は、長く背負っていた大剣を墓石の傍らへ立て掛けた
剣だけは、僧侶のそばへ残した
長い時間、墓の前を離れなかった
夕方
家へ戻る
扉を開く
静かな部屋、食卓には椅子が二つ
窓際の椅子、読みかけの本、湯呑み
夕日も何も変わっていない
骸骨戦士は、いつものように鍋を手に取った
水を入れようとして、手が止まる
もう、湯を沸かす必要はなかった
骸骨戦士は鍋を元の場所へ戻した
変わってしまったのは、
そこへ座る人数だけだった
骸骨戦士は静かに部屋を見渡す
暖炉へ薪を一本だけ入れる
小さな火が灯る
しばらく見つめる
やがて荷物を肩へ掛けた
扉を開く
夕日が村を赤く染めている
一度だけ振り返る
誰もいない家
静かに目を閉じた
骸骨戦士「……そろそろ出発するか」
その一言だけを残し、家へ背を向けた
背中を押す風はなかった
呼び止める声もなかった
それでも、骸骨戦士は歩き始めた




