勇者「そろそろ出勤か」2章14話
魔王城、玉座の間
静まり返った広間に五人が立っていた
勇者、魔法使い、僧侶、骸骨戦士
そして魔王
かつて命を懸けて戦った場所
あの時は互いに剣を向け合っていた
今は誰も武器を構えない
静寂だけが広間を満たしていた
魔王はゆっくりと玉座へ歩いていく
その歩みには迷いがない
玉座へ腰掛けることはなかった
背後の壁へ静かに手を添える
低い振動音が響いた
ゴゴゴゴ……
壁が左右へ開いていく
その先には、白い光だけが広がっていた
床も、壁も、天井も
ただ白い
境目さえ分からない
どこまでも続く白
勇者は目を細める
魔王「……この先だ」
静かな声だった
勇者は一歩前へ出る
魔王は小さく呟いた
魔王「ここから先は俺の役目ではない」
勇者は黙って聞いていた
魔王「魔王だからな」
少しだけ間が空く
魔王は白い光を見つめたまま、小さく息を吐いた
魔王「……俺はここまでだ」
それだけだった
誰も引き止めなかった
勇者は静かに頷く
勇者「……行こう」
四人は光の中へ歩き出した
眩しさが視界を覆う
次の瞬間
光は静かに消えた
そこは異質な空間だった
真っ白な部屋
中央には一つの机
一つの椅子
壁一面には本棚が並び、その全てが書物で埋め尽くされている
机の上には無数の書類
時計だけが、規則正しく時を刻んでいた
カチ……カチ……
その音だけが静かに響く
一人の男が椅子へ腰掛けていた
老人にも見える
青年にも見える
年齢という概念が存在しないような男
男は黙々と書類にペンを走らせていた
カリカリ……
勇者たちが部屋へ入っても、その手は止まらない
一枚を書き終える
静かに重ねる
そしてようやく顔を上げた
神「ふぅ。あぁ……」
神「待っていたよ」
まるで役所へ来た来客を迎えるような口調だった
神はペンを置く
四人をゆっくり見回す
神「勇者に」
勇者は黙って立っている
神「魔法使いと」
魔法使いも答えない
神「僧侶、そして」
僧侶は静かに神を見つめる
神「戦士」
骸骨戦士だけは腕を組んだままだった
神は静かに立ち上がる
勇者は部屋を見渡した
壁一面の本棚には、歴代の勇者や魔王をはじめ、
数え切れないほどの役職について記された本が並んでいた
本棚の上には、それぞれの役割を背負った者たちの肖像画が飾られている
そして机の前には、一脚だけ置かれた椅子
勇者「……それだけか」
神「十分だろう」
勇者は、並んだ肖像画を一つずつ目で追った
勇者は小さく呟く
勇者「……商人が、いない?」
神は少しだけ口元を緩めた
神「あれは管轄外だ」
勇者「……管轄外?」
神「あれは、自ら選んだからだ」
その一言で十分だった
勇者は商人の笑顔を思い出す
『私は、自分で選びました』
あの言葉の意味が、今ようやく理解できた
神は静かに語り始める
神「私は役割を与える」
神「勇者がいるから希望が生まれる」
神「魔王がいるから世界は一つになる」
神「戦士が守る」
神「僧侶が癒やす」
神「魔法使いが知を繋ぐ」
神「すべては必要最低限の犠牲なのだよ」
神「それで、この世界は平和を保ってきた」
淡々としていた
悪意はない
怒りもない
目の前にいる男は、本気で世界のために働いてきた
ただ、それだけだった
勇者は拳を握る
勇者「だから」
神は静かに勇者を見る
勇者「俺たちの人生を決めたのか」
神は迷わず頷いた
神「そうだ」
神「これは世界のためだ」
長い沈黙が流れる
誰も言葉を挟まない
時計だけが時を刻んでいる
カチ……カチ……
勇者は小さく笑った
乾いた笑いだった
勇者「……終わらせよう」
剣を抜く
静かな金属音が白い空間へ響いた
魔法使いは帽子へ手を添え、静かに魔法陣を描く
僧侶は胸の前で祈りを捧げる
骸骨戦士はゆっくりと大剣を肩へ担いだ
神は小さくため息を吐く
神「やはり、そうなるのか」
静かに一歩前へ出る
その瞬間だった
白い空間そのものが揺れ始めた
神の背後から無数の光が溢れ出す
勇者たちは一斉に動いた
骸骨戦士が先頭へ飛び出す
重い踏み込み
大剣が神へ振り下ろされる
ガァンッ!!
神は片手で受け止めた
微動だにしない
続けて魔法使いの魔法が放たれる
轟音
白い閃光が神を飲み込む
しかし
神は軽く手を払っただけだった
魔法は霧のように掻き消える
勇者が横から斬り込む
神は視線すら向けない
一本の指で剣を止めた
神「君たちの攻撃は分かる」
神「勇者」
勇者の剣が弾かれる
神「戦士」
骸骨戦士が吹き飛ぶ
神「魔法使い」
魔法陣が砕け散る
神「僧侶」
神の手が僧侶へ向く
強烈な衝撃
僧侶の身体が床を滑った
四人は次々と倒されていく
神は静かに立っているだけだった
まるで最初から勝敗が決まっているように
勇者は息を切らしながら立ち上がる
血が頬を伝ってくる
神は静かに勇者を見る
神「……それでは」
神「私には勝てない」
静かな声だった
怒りもない
ただ、事実を告げているだけだった
勇者は荒い息を吐く
額から流れた血が床へ落ちる
魔法使いも肩で息をしていた
僧侶は立ち上がろうとするが、足が震える
骸骨戦士だけが、大剣を支えにゆっくりと立ち上がった
神は静かに視線を向ける
神「まだ立つのか」
骸骨戦士は笑った
骸骨戦士「……あぁ」
ゆっくりと大剣を構える
骸骨戦士「俺は戦士だからな」
力強く踏み込む
神が手を伸ばす
白い光が集まり、その手の中で一本の剣へ変わった
轟音
二本の剣が激しくぶつかった
鈍い音が神域へ響く
ガキンッ!!
黒い鎧へ大きな亀裂が走る
胸当てが砕け散る
続いて
骨へも細いひびが入った
右腕、肩、肋骨
白い骨片が静かに床へ落ちる
それでも骸骨戦士は倒れなかった
神の剣を押さえ込む
神「……無意味だ」
骸骨戦士「……そうなのかもな」
戦士は笑う
骸骨戦士「でも」
大剣へ力を込める
骸骨戦士「仲間の為なら、それで十分だ」
神の身体が僅かに止まる
その一瞬
魔法使いが前へ出た
巨大な魔法陣が展開される
神は静かに右手を上げる
神「魔法使い」
神「その魔法も知っている」
魔法使いは小さく笑った
魔法使い「ええ」
魔法使い「知ってるでしょうね」
魔法陣の向きが変わる
神ではない
勇者の前
轟音
無数の光が弾ける
神は僅かに眉を動かした
神「……外したか」
魔法使いは首を横へ振る
魔法使い「違う」
勇者を見る
魔法使い「私は」
少しだけ笑う
魔法使い「この人を守る」
神は黙る
神の視界が白く染まる
骸骨戦士は押さえ込んでいた剣を弾き返した
大剣が神の肩を掠める
白い衣が裂け、初めて赤い血が床へ落ちた
神「……」
勇者も続く
神の脇腹へ剣先が届く
浅い
だが、確かに傷は刻まれていた
僧侶が勇者の隣へ歩いてくる
震える手を勇者の肩へ置いた
温かい光が身体を包む
勇者は顔を上げる
僧侶は微笑んでいた
僧侶「あなたなら、大丈夫です」
勇者は少し驚く
『勇者様』
ではない
『あなた』
だった
役割ではない
一人の人間として見てくれていた
神は三人を見る
戦士
魔法使い
僧侶
静かに呟く
神「……いや、違う」
神「お前たちは」
神の表情に初めて困惑が浮かぶ
役割では説明できない
だから理解できない
神は静かに剣を握る
空間が震えた
白い光が神の身体を包み込む
神域そのものが揺れ始める
勇者たちも立っているだけで精一杯だった
神も息を切らしていた
服は裂け、腕には傷
肩から血が流れている
それでも強い
神「終わらせる」
その一言と共に神は踏み込む
勇者へ向かって
一直線に
勇者は静かに剣を握った
冷たい柄
その感触だけが、旅の日々を思い出させる
草原
焚き火
魔法使い
僧侶
戦士
魔王
商人
旅で出会った人々
笑顔
涙
別れ
全部
全部
胸の中に残っていた
勇者は小さく笑う
違う
最初から
『俺は、勇者じゃない』
神が剣を振り上げる
勇者も一歩踏み出す
神「勇者」
勇者は首を横へ振る
静かな声だった
勇者「違う」
もう一歩
勇者「俺は……」
神の瞳が揺れる
勇者として定めたはずの動きが、もう読めない
勇者は真っ直ぐ神を見る
勇者「俺だ!」
神は初めて目を見開いた
剣が振り下ろされる
勇者も剣を振る
一閃
音すら聞こえなかった
静寂
神はその場へ立ち尽くしていた
胸へゆっくり手を当てる
赤い線が走る
神は膝をついた
指の隙間へ白い光が集まり、胸の傷がゆっくりと塞がり始める
神は静かに笑った
神「……そうだったか」
勇者を見る
少しだけ目を閉じる
神「君は……」
神「勇者ではなかったのだな」
勇者は何も答えない
神は後ろを振り返る
ずっと座り続けてきた椅子
役割だけを与え続けた場所
長い年月
誰にも弱音を吐けなかった
誰にも、その役目を代わってもらえなかった
神「……ならば、私もこの役割を手放していいのかもしれないな」
神は自ら傷口から手を離す
集まっていた光が、静かに消えていった
神は静かに息を吐く
肩の力が抜ける
神「……あぁ、やっと」
目を閉じた
神「やっと休める」
その身体は光となって静かに消えていく
部屋へ静寂だけが戻る
時計だけが変わらず時を刻んでいた
カチ……カチ……
机、本棚、書類
そして
一脚だけ残された椅子
空席だった
勇者は静かにその椅子を見つめる
誰も近付かない
誰も座ろうとしない
それでよかった
これで誰かが望まない役割を背負う必要はない
勇者はゆっくりと剣を鞘へ納める
静かな金属音が響いた
魔法使いは大きく息を吐く
僧侶は目を閉じ、静かに祈る
骸骨戦士は砕けた鎧へそっと手を置いた
勇者は三人を見る
穏やかに笑った
勇者「……帰ろうか」
魔法使いは頷く
僧侶も微笑む
骸骨戦士は静かに大剣を肩へ担いだ
四人は歩き出す
自分の人生を歩くために
神域には
誰も座ることのない椅子だけが、静かに残されていた




