勇者「そろそろ出勤か」2章11話
勇者は静かに煙草に火をつけた
チリチリと乾いた音が部屋へ響く
煙草の先端が赤く灯り、ゆっくりと煙が立ち昇る
薄く黄ばんだ壁紙と見慣れた部屋
仕事を終えた夜は、いつもと何も変わらなかった
勇者は煙をゆっくり吐き出す
そして、壁に飾られた額縁へ再び目を向けた
そこには一本の剣
勇者だった頃、旅を共にした相棒
今では静かに飾られているだけだった
勇者は苦笑する
勇者「……もう終わったんだけどな」
その時だった
机の上に置いてあった携帯が震える
画面を見る
差出人は……魔王
勇者は眉をひそめた
そこには短く、一言だけ
『来い』
勇者「……はぁ?」
思わず声が漏れた
だが、勇者は携帯を閉じると、小さく息を吐いた
煙草を灰皿へ押し付け、静かに火を消す
そして上着を羽織る
玄関の扉を開けると、夜風が頬を撫でた
勇者は迷うことなく歩き始める
向かう先は一つ
かつて戦ったあの魔王城
――魔王城、玉座の間
かつて命を懸けた場所
今は静寂だけが支配している
玉座の前には、一人の男
魔王
勇者の足音だけが広い部屋へ響いた
勇者「急に呼び出してどうした」
魔王は静かに勇者を見る
そして口を開いた
魔王「……俺は、神によって魔王に選ばれた」
勇者「はぁ?なんだ、いきなり」
魔王「世界を脅かし、人間に恐怖を与えろと命じられた」
魔王「そして俺が現れたあと、神託によって勇者が選ばれた」
魔王は勇者を真っ直ぐ見た
魔王「貴様が選ばれたのは、偶然ではない」
魔王「魔王と勇者は、初めから対になる役割として用意されていたのだ」
沈黙が続いた
やがて、勇者が尋ねる
勇者「……俺たちが戦うことまで、最初から決められていたのか」
魔王「……そうだ」
魔王の声には、言い訳も誇りもなかった
ただ、事実だけを告げていた
勇者は何も言えなかった
神によって勇者に選ばれたことは知っていた
だが、魔王もまた神に選ばれ、自分と対になる役割を与えられていたとは知らなかった
勇者に選ばれたのは、神の意志だった
では、旅立つと答えたことは
仲間と出会い、剣を握ったことは
どこまでが、自分の意志だったのだろう
部屋に静寂だけが流れる
やがて勇者は尋ねた
勇者「……何故、俺を呼んだ?」
魔王は少しだけ目を閉じる
魔王「お前を呼んだのは神じゃない」
短く息を吐く
魔王「俺だ」
魔王「神はお前を選んだ」
魔王「だが、お前を呼んだのは俺だ」
勇者は黙っていた
魔王は続ける
魔王「知ってほしかった」
魔王「そして、知った上で、お前はどうする」
その言葉には命令もなければ、願いもなかった
選ぶのは勇者自身
部屋は再び静寂へ包まれる
勇者の脳裏に、自室の壁へ飾られた剣が浮かんだ
旅の仲間
笑い合った日々
戦士、魔法使い、僧侶
全てが胸をよぎる
勇者という役割
そして、自分という人間
勇者は静かに顔を上げた
勇者「俺は……みんなに会ってくる」
その一言だけだった
魔王は何も言わない
勇者は踵を返す
重い扉が閉まる
玉座の間に、再び静寂が戻った
魔王は誰もいなくなった部屋で、一人静かに立ち尽くしていた




