第8話 契約の日
週末の朝、神谷蓮は父親と母親と共に電車へ乗り込み、事前に送られてきた案内を確認しながらRAVEN’S NEST本社へ向かっていたが、隣に座る母親は少し緊張した様子で窓の外を眺めており、父親は興味深そうにパンフレット代わりに印刷した会社概要を読んでいた。
「なんか俺より二人の方が緊張してない?」
蓮がそう言うと母親が即座に振り返る。
「当たり前でしょ、息子がプロチームと契約する日なのよ?」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないわよ」
父親も苦笑する。
「普通の高校生はこんな場所来ないからな」
「そうか」
「そうなんだよ」
そんな会話をしているうちに目的地へ到着し、高層ビルの一角にあるRAVEN’S NEST本社へ足を踏み入れると、受付やエントランスは想像以上に綺麗で洗練されており、ゲームチームというより大企業のオフィスに近い雰囲気だった。
「思ったよりすごいな」
父親が素直な感想を漏らす。
「俺もそう思う」
蓮も同意した。
受付で名前を伝えるとスタッフに案内され、そのまま会議室へ通される。
数分後。
扉が開き、鷹宮蓮司が入ってきた。
「お待たせしました」
「こんにちは」
「本日はありがとうございます」
父親と母親も挨拶を返す。
鷹宮は席へ座るとまず改めて頭を下げた。
「まずは神谷君の加入を前向きに考えていただきありがとうございます」
「こちらこそお世話になります」
母親が少し緊張しながら答える。
そこから契約内容の説明が始まった。
活動方針。
大会参加について。
スポンサー案件について。
配信活動の有無。
学業との両立。
将来的なサポート体制。
説明は非常に丁寧で、一つ一つ資料を見せながら進められていく。
途中で父親が質問する。
「学校生活への影響はどの程度になりますか?」
「基本的に学業優先です」
鷹宮は即答した。
「本人が高校を卒業するまではそこを崩すつもりはありません」
「なるほど」
「遠征なども学校との兼ね合いを考慮して調整します」
父親は納得したように頷いた。
今度は母親が手を挙げる。
「配信とかは必須なんでしょうか?」
「いいえ」
鷹宮は首を横に振る。
「もちろん活動の一環としてお願いすることはありますが、神谷君の場合はまず競技を優先したいと考えています」
母親は少し安心した表情になる。
「それなら良かったです」
鷹宮が笑う。
「正直なところ、神谷君は配信者というより競技者ですから」
「そうですね」
父親も即答した。
「間違いない」
「そこ即答なんだ」
蓮が言うと三人が少し笑う。
その後も話し合いは続き、契約内容について細かな確認を終えたところで鷹宮が最後の書類を差し出した。
「内容に問題がなければこちらへお願いします」
蓮は一通り確認する。
父親も確認する。
母親も確認する。
特に問題はなかった。
父親が頷く。
「大丈夫だ」
母親も続く。
「私も問題ないと思うわ」
蓮はペンを受け取る。
そして契約書へ名前を書いた。
神谷蓮。
その文字を書き終えた瞬間。
鷹宮が小さく笑った。
「改めてようこそ」
そう言って右手を差し出す。
蓮もその手を握り返した。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
これで正式に神谷蓮はRAVEN’S NEST所属選手となった。
契約終了後は会社内を軽く案内され、配信スタジオや練習設備、選手専用スペースなどを見学したが、その規模は想像以上で、蓮ですら少し驚くほど充実した環境だった。
「すごいな」
思わず漏れた言葉に鷹宮が笑う。
「これでも昔よりかなり大きくなったよ」
「十分すぎると思います」
「そう言ってもらえると嬉しい」
案内が終わる頃には夕方になっていた。
エントランスまで見送りに来た鷹宮が最後に言う。
「今日は契約だけにしておこう」
「はい」
「明日改めてメンバーと顔合わせをする予定だ」
その言葉に父親が少し笑う。
「有名人ばかりなんですよね」
「そうなりますね」
「なんか俺まで緊張してきたな」
「親父が?」
「するだろ普通」
母親も頷く。
「私もちょっと会ってみたい」
「観光じゃないんだけど」
蓮が呆れたように言う。
すると鷹宮が笑った。
「安心してください」
「?」
「多分向こうも緊張してます」
「そんなことあります?」
「あります」
なぜか即答だった。
蓮は少しだけ首を傾げたが、その意味を翌日知ることになる。
こうして契約の日は無事終了し、神谷家はそのまま帰宅することになった。
そして翌日。
RAVEN’S NESTのメンバーたちとの初顔合わせが行われる。
神谷蓮の新しい環境が、本当の意味で始まろうとしていた。




