第3話 深夜の遭遇
鷹宮蓮司との会話を終えた神谷蓮は、いつもより少し遅い時間に帰宅したが、玄関を開けて自室へ向かう足取りは普段と変わらず、今日一日の出来事がどれだけ大きなものだったとしても、すぐに生活が変わるわけではないという実感の方が強かった。
夕食を終え、自室へ戻った蓮は制服から部屋着へ着替えると、机の前の椅子へ腰を下ろし、何気なく天井を見上げながら昼間の出来事を思い返していた。
昨日まではただの高校生だった。
学校へ行き、授業を受け、帰りにゲーセンへ寄り、家でゲームをする。
そんな毎日を繰り返していただけだった。
しかし大会優勝を境に状況は一変している。
学校では知らない生徒に囲まれ、ゲーセンではRAVEN’S NESTのオーナーが待っていた。
そして今、自分の手元には国内最強クラスのチームからの正式な勧誘がある。
それでも不思議なことに、蓮の中ではまだ現実感が薄かった。
「……プロか」
小さく呟いてみる。
だが、その言葉に特別な感情は湧いてこない。
格闘ゲームは好きだ。
強くなるのも楽しい。
勝つのも好きだ。
だが、自分がプロとして活動している姿はまだ想像できなかった。
鷹宮の言葉が頭をよぎる。
『君はまだ完成していない』
あの言葉だけは妙に印象に残っていた。
実際、蓮自身もそう思っている。
大会では優勝した。
しかし完璧な試合など一つもなかった。
準決勝にも反省点はある。
決勝にも改善点はある。
桐生蒼真に勝ったからといって、自分が最強になったとはまったく思っていない。
むしろ強い相手と戦うほど、自分の未熟な部分が見えてくる。
「考えても答えは出ないか」
蓮はそう呟くと、モニターの電源を入れた。
余計なことを考える時はゲームをする。
昔からそうだった。
格闘ゲームを起動し、慣れ親しんだ画面が表示されると自然と集中力が切り替わる。
そして蓮はランクマッチへ潜った。
大会優勝直後ということもあり、マッチングした相手の多くは明らかに気合が入っていたが、それでも蓮の動きは普段以上に冴えていた。
対戦相手が何を狙っているのか。
どこで焦っているのか。
何を警戒しているのか。
それらが以前よりも鮮明に見えていた。
一戦。
勝利。
二戦。
勝利。
三戦。
勝利。
気付けば連勝数は二桁へ到達していた。
そして次のマッチングが成立する。
対戦相手のプレイヤーネームが表示された瞬間、蓮の視線が止まった。
『Kurosaki_Gou』
「……」
蓮は一度画面を見直した。
見間違いではない。
黒崎豪。
RAVEN’S NEST所属。
格闘ゲーム黎明期から第一線で戦い続けているレジェンドプレイヤー。
四十代になった今でもトップ層に居続ける化け物のような存在だった。
もちろん同じ名前を使っている可能性もある。
だが表示されたプロフィール情報を見れば分かる。
本人だった。
「へえ……」
蓮は少しだけ興味を持った。
そしてキャラクター選択画面へ移行する。
そこでさらに意外なものを目にする。
黒崎が選択したキャラクター。
それは蓮のメインキャラとまったく同じだった。
「同キャラか」
思わず口から言葉が漏れる。
今まで黒崎の大会映像を見たことはあるが、自分が使っているキャラを使用している印象はなかった。
どうやら最近研究しているらしい。
試合が始まる。
そして開始直後から蓮は違和感を覚えた。
強い。
想像以上だった。
無理に攻めてこない。
焦らない。
不用意な行動を一切しない。
一つ一つの判断に積み重ねられた経験が見える。
お互いが様子を見ながら探り合う時間が続き、少しずつ情報を集めながら戦い方を組み立てていく。
派手な試合ではない。
だが非常に濃い試合だった。
結果は蓮の勝利。
しかし内容はほぼ互角だった。
続く二戦目。
今度は黒崎が勝利する。
三戦目。
蓮。
四戦目。
黒崎。
どちらも決定打を与えられないまま、一進一退の攻防が続いていく。
そして数十分後。
ランクマッチのマッチングが終了した。
最終的な戦績はほぼ五分。
勝ったり負けたりを繰り返した結果だった。
その時だった。
画面右下に通知が表示される。
【トレーニングルーム招待】
蓮は少しだけ目を細めた。
招待主の名前を見る。
『Kurosaki_Gou』
「……トレモ?」
普通ならここで終わる。
ランクマッチはランクマッチだ。
だが黒崎は違った。
蓮は迷わず招待を承諾する。
数秒後。
二人だけのトレーニングルームが作成された。
画面の向こうにいるのは格闘ゲーム界の生きる伝説。
そしてルームへ入った直後、チャットが届く。
『こんばんは』
短い文章。
蓮も返す。
『こんばんは』
少し間を置いて返事が来る。
『神谷蓮君で合ってるかな』
蓮は少し驚いた。
やはり気付いていたらしい。
『そうです』
返事を送る。
すると黒崎からすぐにメッセージが届く。
『やっぱりか』
『鷹宮から話は聞いている』
『面白い新人がいるとな』
蓮は画面を見つめる。
すると次のメッセージが届く。
『せっかくだ』
『ランクじゃなく長めにやろう』
『お互い同キャラだしな』
蓮の口元がわずかに上がる。
面白そうだった。
そして試合開始。
そこから始まった対戦は、ランクマッチとは比べ物にならないほど濃密なものだった。
黒崎は勝ち負けよりも検証を重視している。
特定状況を何度も繰り返し、選択肢を試し、読み合いを確認しながら戦ってくる。
蓮も自然とそれに付き合っていた。
気付けば一時間。
さらに二時間。
時計の針は深夜を回っていた。
それでも集中は途切れない。
同じキャラクターだからこそ分かる細かな差。
攻め方。
守り方。
癖。
判断。
そして何より経験値。
黒崎のプレイには何十年分もの積み重ねが詰まっていた。
「なるほど」
思わず声が漏れる。
大会では味わえなかった感覚だった。
強い相手と長時間向き合い続けることで、新しい発見が次々と見えてくる。
そして最後の試合が終わった時。
黒崎からチャットが届いた。
『楽しかった』
『久しぶりだ』
『ここまで同キャラで考えながら戦えたのは』
蓮は少し考えて返信する。
『自分もです』
すると黒崎はすぐに返してきた。
『そうか』
『なら良かった』
その後、少し沈黙が続く。
そして最後に一通。
『近いうちに会うかもしれん』
『その時はよろしく頼む』
蓮はその文章を見て小さく息を吐いた。
RAVEN’S NEST。
鷹宮蓮司。
そして黒崎豪。
昨日まで画面の向こう側にいた人間たちが、少しずつ現実の世界へ近付いてきている。
まだチームへ入ると決めたわけではない。
だが確実に、自分の世界は広がり始めていた。
モニターの電源を落とした蓮は、暗くなった画面へ映る自分の姿を見ながら静かに呟く。
「……もっと強くなれそうだな」
その言葉は、チームへの返事ではなかった。
ただ純粋に、強い相手と戦った一人のプレイヤーとしての本音だった。




