第51回 クリスマス・イブ
二日目は、昨日とは打って変わって、朝から重い雲が垂れ下がっていた。
今にも雪が降り出しそうだった。
──明日には一緒にリフト乗って上に滑りに行けるで!
そう啖呵を切った手前、今日は皆と一緒に一日リフト券を買うしかない。
でも、このまま一緒に上がれば、恥をかくのは目に見えていた。
そもそも、上手くリフトから降りられるかが怪しい。
「あーごめん!急にめっちゃうんこしたなったから、先行っといてー!すぐ追いつくし!」
苦しい言い訳でタイミングをずらした僕の判断は正しかった。
と思う。
予想通り、前足だけ板に付けたままでリフトから降りて後ろ足を板に乗せた時点でバランスを崩してひっくり返り、リフトを停めてしまった。
「すみません!」
大慌てで這い出し、斜面の縁に移動する。
ビギナー用のはずの鐘の鳴る丘ゲレンデでも、結構な斜度に感じる。
スキーの頃ならなんてことのないレベルなのだが。
躊躇してても仕方がないので、両足をセットしてスタート!
お。思いの外いけるじゃないか!?
そう思ってバックサイドターンに入った瞬間、逆のフロント側エッジを噛ましてしまい吹っ飛んだ。
周りに仲間たちがいないことを見回して、すぐに再始動。
フロントサイドで板をずらしながら滑る。
重心を入れ替えてターン、というよりほとんどブレーキのように板を真横にこすりつけながら何とか体勢を入れ替える。
何度もこけながらやっと下まで滑り降り、またすぐにリフトに。午前中だけで何十回それを繰り返しただろう。
リフト乗り場のおじさんが、
「お兄ちゃん、それ何?」
と訊いてくる。
やがて昼食を食べるから中腹のレストハウスに集合、というトランシーバーが入る頃には、自己採点で初心者から初級者に進めたくらいにはなっていた。
空からはハラハラと細かな雪が降り始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ハルヒトどこ滑ってたん?全然見かけんかったけど?」
「んー…まあ適当に」
「午後は一緒にリフト乗ろうや!昼からはからまつゲレンデの方行こう言うてるし!」
そういうヒロくんに、曖昧に返事をしながら、ラーメンをすする。
不思議だが、昨日のカレーと同じくラーメンもちゃんと美味しい。
さすが信州で人気を誇る大型スキー場だ。
◇ ◇ ◇ ◇
鐘の鳴る丘ゲレンデ側からからまつゲレンデに行くには、途中、ほとんど傾斜のないエリアを移動しなければならない。
スキーならばストックとスケーティングで難なく移動できるこの区間が、スノボーには鬼門だった。
前足だけを板につけて後ろ足でスケーティングするが、板が斜めにズレていって真っ直ぐ進まない。
というかその前に全然進まない。
試しに板を外して抱えて歩こうとしたが、今度は足が雪にズボッとハマってまともに歩けない。
「おーい!ハルヒトー!先行っとくなー!」
そう言ってやつらが離れてくれたのは、ある意味ラッキーだったが。
平行移動に悪戦苦闘していると、やがて怪しかった雲行きが一気に崩れて、あたりは急な吹雪になった。
昼間だというのに視界は薄暗く、顔に横殴りに雪がぶつかる。
ズボズボと雪にハマる足を引っこ抜きながら、リーシュコードを持って板を引いてトボトボと歩いていると、
「なんでこんなことしてるんやろう?」
という気分になってきた。
やっとたどり着いたリフト乗り場の温度計は、マイナス四度を差していた。
皆は一旦下まで降りたあとゴンドラリフトで白樺ゲレンデの方に上っていったようだ。
僕が何本かからまつゲレンデを滑ってリフトで上って来たところで、滑り降りてきたタツヤが僕の横を通り過ぎて更に奥のチャンピオンコースに上がるリフトの方へ滑っていった。
「ハルヒトー!行かへんのか!?」
チャンピオンコースの方をストックで指しながら、マサキも通り過ぎていく。
「あとでなー!」
と答えたものの、僕はひたすらからまつのビギナーコースで同じ事を繰り返し続けた。
バックサイド、ターンしてフロントサイド、またバックサイド。
徐々に継続時間が長くなっていく。
そしてついに、一度もこけることなく、ゲレンデの下まで滑り降りることができた!
こうなったらこっちのものだ。
コツを掴んだ気になった僕は、もう無敵だった。
再びかねなるゲレンデの方に戻ると、ビギナーコースを何本か、そしてクワッドリフトに乗って少し上の中級コースへ。次はもっと上まで行って林間コースを滑り降りる。
栂池の広い広いゲレンデを、上級コース以外はほぼ回り、夕方にホテルに戻る斜面で皆と合流する頃には、遅れることなく一緒に滑れるようになっていた。
「ハルヒト、いけてるやん!」
「相変わらず器用なやっちゃなー」
「ハルヒトさん、カッコいいですー」
みんなもっと褒めて!
僕は有頂天だった。
一番下まで滑り降りた最後の最後、派手に雪煙を上げて止まってやろうとして、ここではものすごい勢いでひっくり返って笑われたけれど。
明日はもう、今度こそ本当に皆と一緒にリフトに乗って上に行こう!
ホテルのお風呂で足が解放されるジーンという感触の中で、僕はほくそ笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
ところでホテルの夕食は今日も豪勢なビュッフェだ。
特に今日はクリスマスイブとあって、丸ごとのローストチキンが並び、白衣のコックが切り分けてくれ、大勢の客が列を作っていた。
ジャズにアレンジされたクリスマスソングが流れている。
昨日はテンションが上がって山ほど食べ、ワインを飲んで、それはそれは楽しかった。
でも二日目になると、僕はもう少し飽き始めていた。
僕はオードブルやローストビーフの並ぶ洋食コーナーではなく、板さんのいる和食のコーナーに行き、天ぷらとかけ蕎麦をトレイに乗せてテーブルに戻った。
タツヤを筆頭に他の皆は、昨日と同じテンションでワインを開けて騒いでいたが、僕は少しだけ日本酒を飲んで、お蕎麦を啜っていた。
「ハルヒト、どないしたん?お前らしくもない、肉食え、肉!」
タカトモがミナコにワインを注ぎながらそう言うが、今日は別に肉も要らない気分だ。
ていうか、なんだこの蕎麦は?
確かに蕎麦そのものはものすごく香り高くて美味い。
ついてるワサビも、着色ホースラディッシュじゃなくてちゃんと本わさびだ。
だが、このおつゆは何事なんだろう?
いつだか食べた、醤油の味しかしない関東のつゆに比べたら、信州のつゆは鰹と昆布の香りも高く、色も薄めだ。
でも。
やっぱり違う。
僕は京都のうどんが食べたくなった。
色は薄く、昆布の香りがふわっと立ち上るおつゆに、細めの柔らかい、それでいてモチモチとしたうどん。
きつねをかじると、じゅわっと甘いお出汁が染み出して。
「美味しいね、ハルくん!」
舞子の声がした。
あまりにも自然に聞こえたので、一瞬、本当に隣にいるのかと思った。
幻なのに、それがとても鮮明で、僕は思わず箸を止めた。
ほっぺたをパンパンに膨らませて、海老天とうどんを交互に口に運ぶ舞子の笑顔が浮かんだ。
どうしたんだ。
まだ大して飲んでもいないのに。
僕は無性に舞子の声が聞きたくなって、ロビーのピンク電話から自分の部屋のダイヤルを回した。
二回鳴らして一回切って、また鳴らす。
でも、舞子は出なかった。
そりゃそうだ。
まだ九時だ。
舞子は今頃まだ、クリスマスディナーの客相手にてんてこ舞いしているだろう。
あとでまたかけよう。
そして、メリークリスマスって言うんだ。
そう思って席に戻った僕を待っていたのは、「テンションの低いハルヒトがおもんない」という意見で一致して、スパークリングワインのボトルを持って待ち構えている一団だった。
無理やりフルートグラスを持たされ、泡の立ち上る金色の液体を満たされる。
「あ、いや、今日は…」
そう言っても、そんなもの通じない。
仕方なくグラスを開けると、また次のワイングラスを持たされる。
マサキが笑う。
タカトモにくっつくミナコ。
タツヤがワインを注ぐ。
サキチが、当たり前みたいに腕に絡みつく。
気がつけば僕はすっかり酔っ払ってしまい、その後の部屋でのクラッカー騒ぎもツイスターゲームも知らないまま、眠りこけてしまった。
「メリークリスマス、ハルくん!」
舞子の声がした。
電話しなきゃ。
電話。
クリスマスイブに、一人でアパートの部屋にいる舞子に、電話しなきゃ。
「メリークリスマス」と言って、今夜はどんなに店が忙しかったか話をきいて、「明日帰るからね」と言うんだ。
舞子…
──目が覚めたのは、朝の五時だった。
夢の中で、何か大事な約束を交わした気がした。
けれど、それが何だったのか思い出せない。
胸の奥だけが、きゅっと掴まれたままだった。




