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第48回 アバズレのブルース

タカトモとコウジの肝いりで、しおりが急遽参加することになった僕達のバンド・鴨川ルクセッションは、週末のライブを控え連日のリハの日々になっていた。

しおりは夜は祇園のラウンジに出勤するから、毎日派手なお水スーツとひさし付きの髪にフルメイクで、リハに貸してもらってる木屋町のライブハウスに現れる。

マスターはすっかりお気に入りで、聞くところでは二日と空けずラウンジに現れてはしおりを指名しているという。

舞子も近くでバイトがある日は見学に来て、夕方になるとしおりと一緒に出ていく。


「しおりさんの歌、いいねー」


舞子が言う通り、今までの曲にコーラスで入ったしおりの声は、バッチリはまってた。

ほんの少し鼻にかかって、ほんの少しハスキー。

それでいて透明感を湛え、どこまでもまっすぐ伸びていく音色。

それまでの、微妙にピッチの怪しい僕とタカトモのお互いのコーラスとは格が違う。

急にゴージャスになった自分たちの音に、僕達メンバーの方が戸惑ってしまった。


そして、一曲、メインで歌うボサノバ。

しおりの声質の為にあるようなこの曲は、秘めた情熱とサウダージに溢れ、演奏しながら遠い世界に連れて行かれる気さえした。


「これ、絶対、客ビビるで!」


タカトモが鼻息荒く言った。


──ところが。


「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」


しおりがそう言い出したのは、ライブを明日に控えた土曜日のリハのことだった。


「明日、ボサノバじゃなくて歌いたい曲があるんやけど…オリジナルなんやけど…」


「え?」「は?」


いやいやいやいや、前日になって新曲なんて。

そういう僕達に、しおりは無茶は分かってるが、どうしても歌いたいという。

いつも控えめで、リハでも自己主張なんかほとんどしたことのないしおりが珍しくそんな事を言うものだから、コウジが


「一応訊くけど、どんな曲なん?オリジナル曲って、楽譜とかあるん?」


と訊いた。

しおりは首を横に振った。


「楽譜はないんだけど、シンプルなブルースだから、無理かな?十二小節のⅠ-Ⅳ-Ⅰ-Ⅰ Ⅳ-Ⅳ-Ⅰ-Ⅰ Ⅴ-Ⅳ-Ⅰ-Ⅴ。キーはE」


「あ、それならいけるけど、それだけでええのん?」


「うん。前奏とか間奏とかは適当にアイコンタクトでタカトモさんのブルースハープとコウジさんのギターのアドリブで繋いでもらって。中田はベーシックなランニングで」


「じゃあまあ、一回やってみよか?」


タカトモの言葉に、すぐにコウジがお決まりのブルースフレーズのイントロを弾き出した。

僕も音を重ねる。

タカトモのハープが響いて、そこにしおりのハスキーな声が重なった。


◇    ◇    ◇    ◇


「いや、昨日はビビったな」


「おう。すごいな、しおりちゃん」


「絶対ビビルで、客」


対バンが演奏している間の客席のテーブル、出番を次に控えた僕達のテーブルではタカトモとコウジがチラチラとしおりの方を見ながらヒソヒソと囁いていた。

僕も昨日は驚いた。

しおりがあんなブルースを歌えるなんて。

しおりは何食わぬ顔でメイクを直している。

舞子はジュースを持ってきたり、しおりの髪を梳かしたり、わんこみたいにしおりの周りでパタパタしていた。

マスターも何か話しかけたそうに僕達のテーブルの周りを意味もなくウロウロしていた。


前のバンドのラスト曲が終わり、いよいよステージへ。


「今日は新しいメンバーを紹介します。祇園からやってきた歌姫、しおり!」


拍手が起こり、しおりが頭を下げる。

ギターがリズムを刻み、いつものように僕達のライブが始まった。


RC、ローザ、甲斐バンド…


タカトモのバッキングギターにコウジの繊細なリードが重なり、僕のベースがうねる。

僕とタカトモが交互にリードを取る。

二人のボーカルに絡みつくように、しおりの高音が響く。

タカトモのハープが泣く。


客席の反応は、明らかにいつもより良かった。

舞子は目を閉じてじっと聴き入っているのが見える。

手拍子も拍手も普段よりずっと大きい。


そして、ついに。


「では最後の曲になります。新メンバー、コーラスのしおりがメインで歌います」


大きな拍手が沸き起こった。


「えっと…ありがとうございます。初めてのライブで、ちょっと恥ずかしいんですけど、聴いて下さい。私のオリジナル曲です。」


どよめきと拍手の中、コウジのギターがイントロを奏で、ベースとハープが重なる。

バースに入る直前、しおりは少しだけ目を伏せた。


「アバズレのブルース……」


♪─────

「来たくなったら来ればいい」

あんたはいつもそう言って

長いタバコに火を点けた

ゴツいあんたに似合いはしないよ

カールトンメンソール


「今度はもう戻らないから」

私はいつもそう言って

夜の街へと出て行った

バカな私にお似合いの街

ミッドナイトタウン


グラスで回る氷の音

ダウンライトに揺れる白い煙

いくつもの乾杯を重ね

いくつものサヨナラを重ね


結局いつものあんたの厚い胸

結局抱かれるあんたの太い腕

踊ることしかできない女と

笑うことしかできない男

ああアバズレのブルース


「ずっとここに居ればいい」

あんたは時々そう言って

グラスに唇付けるふり

私知ってるよ飲めないクセに

琥珀色のフォアローゼス


「あんたが私に見合えばね」

強がり意気がり得意がり

冷たく笑ういつもの私

私知ってるよ本当はそれが良いって

それでも繰り返すワンナイトスタンド


グラスで回る氷の音

ダウンライトに揺れる白い煙

いくつもの乾杯を重ね

いくつものサヨナラを重ね


結局いつものあんたの厚い胸

結局抱かれるあんたの太い腕

踊ることしかできない女と

笑うことしかできない男

ああアバズレのブルース


もう踊れないと気がついた時

街の噂で聞いたのさ

あんたが新しい野良猫を拾ったってね

いつもゴロゴロ後ろを付いて

離れようともしないってさ


グラスで回る氷の音

ダウンライトに揺れる白い煙

いくつもの乾杯を重ね

いくつものサヨナラを重ね


もう戻れないあんたの厚い胸

もう縋れないあんたの太い腕

踊ることもできなくなった女と

ずっと笑う相手を見つけた男

ああアバズレのブルース

ああアバズレのブルース

─────♪


アウトロでまたタカトモのハープが泣き、絡みつくようにコウジのギターがブルーノートを奏で、僕のベースが最後の一音を低く弾いた。


──沈黙。


──静寂を破るようにパラパラと拍手が起こり、それをきっかけに会場中から大拍手と喝采が沸いた。


「ありがとうございました!」


しおりが頭を下げる。


「うおおおおおおお!!!!」


会場中が大きな唸りに包まれる。

マスターがうんうんと大きく頷いている。


テーブルを見ると、舞子がしおりをまっすぐ見つめながら大粒の涙を流していた。


◇    ◇    ◇    ◇


「カンパーイ!」


「お疲れー!!!」


「ありがとうございました~!」


ライブハウスと同じビルの七階、かのラテンバー「COCK A HOOP」。

ライブのいつにない大成功に、打ち上げの乾杯のテンションは否応なく高くなった。


「よっしゃ!今日は食ったことない、何やのか分からんもん頼むぞ!」


タカトモのテンションは更に訳が分からない。

メニューには、ラテンバーのはずなのに、

-ASIAN FOOD-

と書かれたコーナーがあり、聞いたこともないメニュー名が並んでいた。

写真もついてない。


■クルプック(Kerupuk) - インドネシアのえびせんべい

■トート・マン・クン (Tod Mun Goong) - エビのさつま揚げ

■パッタイ(Pad Thai) - タイ風焼きそば

■ゴイクン(Goi Cuon) - ベトナムの生春巻き

■ゲーン・キャオワーン(Gaeng Keow Wan) - タイのグリーンカレー

■トム・ヤム・クン(Tom yam kung) - タイの辛いエビのスープ


タカトモが周りに相談もせずに頼んだメニューは、トム・ヤム・クンだけはかろうじて名前だけは聞いたことがあるが、それ以外は初耳も初耳、どんなものなのか日本語の説明を読んでも想像もつかないものばかりだった。


「いやー、今日は盛り上がったなあ!」


「しおりちゃんのおかげやで!」


「えー、なんか音程やばかった気がしてるんやけど…」


「そんな事ないよ!しおりさんすっごい素敵だった。歌もハルくんと比べものにも…」


「コラ!」


「最後のブルース、みんな聴き入ってたな」


ワイワイとシンハービールで盛り上がっているところに、


「お待たせしましたー!」


と、次々と謎の皿が運ばれてきた。

照明が落とし気味のラテンバーの中で、皿の上の色だけがやけに鮮やかに見えた。


最初に置かれたのは、白い大皿に山みたいに積まれたクルプックだった。


「なにこれ、えびせん?」


舞子が恐る恐る齧る。


──パフッ。


「……軽っ!なのにエビの味すごっ!」


「これビール無限にいけるやつやんけ」


タカトモが笑う。

しおりも楽しそうに頬張っていた。


次に運ばれてきたのは、黄金色に揚がったトート・マン・クン。


「これ絶対うまいやつやん」


コウジが齧った瞬間、目をむいた。


「うおっ……なんやこれ、うんまっ!」


舞子もしおりも笑いながら箸を伸ばす。

甘い香りと海老の旨味が、テーブルいっぱいに広がった。


次の皿が置かれた瞬間、テーブルの空気がふわっと変わった。

レモングラスとライムの、鼻の奥を刺すみたいな香り。


トムヤムクン。


グツグツと煮立った鍋の中に、赤く澄んだスープが揺れている。

香りだけで “辛さの輪郭” が分かる。


「うわ、絶対辛いやつやん」


タカトモがビビりながらレンゲを入れる。


「いくで……」


ひとくち。


「──ぬおおおおおおおっっ!!!」


鼓膜が破れそうな叫びに、店内の数人が振り向いた。


「辛いっ!酸っぱいっ!なんか知らんけど、ウマいっ!!」


タカトモが悶絶している。


舞子が恐る恐るレンゲを口に運ぶ。

スープをすすった瞬間、肩がビクッと跳ね、目が大きく開いた。


「えっ……すっぱ……から……っ!! ……おいしい……!」


涙目になりながらも、もう一口すくっていた。

しおりは慣れた手つきでパクチーをよけ、


「これね、クセになるんよ」


と、涼しい顔で飲んでいる。


続いて、平たい米麺が山になった パッタイ が登場。

ナンプラーの甘じょっぱい香りがふわりと広がる。


「なにこれ、焼きそば?」


舞子が麺をつまむ。


「ちょ、ちょっと甘い……でも、海老の味する……あ、ライム絞るの?」


「そうそう、それで旨味出るんだよ」


しおりが教えている。


ライムを絞ってひと口食べた舞子が


「えっ、めっちゃ美味しい……!甘いのに、酸っぱいのに、しょっぱい……不思議……!」


と、目をキラキラさせた。


最後に登場したのが ゲーン・キャオワーン(グリーンカレー)。

ココナッツミルクの甘い香りと、青唐辛子の鋭い匂いが同時に押し寄せてくる。


しおりがじっとカレーを見つめた。


「これ、昔、宮古島の人に教えてもらった味に似てる……」


しおりはスプーンでひと口すくい、ゆっくり、ゆっくりと口に運ぶ。


──その瞬間、しおりの瞳の奥が、ふっと遠くを見た。


「……ああ……これ……南の島の味だ……」


舞子がそっと横顔を見る。

僕も、コウジも、タカトモも、何も言わなかった。

香りの奥で、しおりの喉がかすかに震えた。


「しおりさん……?」


舞子が小さく声をかける。


しおりは静かに微笑んで、


「ううん……めっちゃおいしいだけ」


とだけ言って、またカレーを口に運んだ。


僕たちは何も言わず、それぞれの皿に手を伸ばした。

辛い、甘い、酸っぱい、熱い。

見たこともない色と香りが次々と押し寄せる。


ラテンバーの薄暗い照明の下で、アジアの香りがテーブルいっぱいに広がり、誰もが少しだけ黙り込んで、夢中で食べた。


しおりの歌が胸に残ったまま、舌の上で異国のスパイスが踊っていた。


「あ、ちょっと電話してくる」


そう言ってしおりが席をたった。

タカトモとコウジは、今後のしおりがいる前提でのセトリの話で盛り上がっている。


と、舞子が僕に顔を近づけて、小さな声で言った。


「ねえ、ハルくん」


「ん?」


「なんだかね……しおりさん、いなくなっちゃう気がする……」


目が潤んでいる。


「なんでやん?今日こんな盛り上がって、みんなともすっかり仲間になったのに」


「でもね…今日の曲…なんだかハルくんに『サヨナラ』って言ってる気がしたの」


「サヨナラも何も、しおりとはとっくの昔に…」


「そういうことじゃなくて!」


舞子の声が少し大きくなる。

しおりが戻ってきた。


「な、しおりちゃん、次のライブやねんけど、曲目な…」


タカトモが言いかけた言葉を遮って、しおりが衝撃的な言葉を口にした。


「ごめーん!私、年内で引っ越しまーす!」


「え?なにそれ?」


「なんでやん!?これからやん!?」


「しおりさん…やっぱり…」


舞子の予感は的中した。


「しおり、どこ行くん?」


僕が訊いた。


「沖縄。宮古島。知り合いがホテルの住み込みの仕事紹介してくれるって言ってて、今の電話で本決まりになった」


「なんで?」

「なんでなん?」

「事情あるん?」


の大合唱に、しおりは笑いながら答えた。


「人生のリセット!」


「なんやそれー!」


「ということで、皆さん、一回きりだったけど楽しかった!ありがとう!また宮古島来るときは連絡してね!」


「しおりさん…」


「そんな顔しないの!中田と仲良くね!私みたいに放しちゃダメだよ、子猫ちゃん!」


◇    ◇    ◇    ◇


五日後、しおりは本当にあっさりと旅立っていった。


まるで、最初から長くいるつもりなんてなかったみたいに。


すぐそこに、クリスマスが来ていた。

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