第36回 月の出る食卓
9号線が桂川を越える頃、助手席でうとうとしていた舞子が目を覚ました。
「わ。もう市内!ごめん、寝てた」
「ええよー。気持ちよかった?」
「ハルくんの運転、スムーズすぎてゆりかごなんだよね」
舞子が笑う。
丹波と市内は思ったより近い。
早めのお昼を食べてから出発して、鴨川デルタ辺りまで戻ってきても時計はまだ午後二時過ぎだった。
河原町通に車を停めて、商店街のアーケードの魚屋さんへ。
季節だけあって、店頭には丸々と太った秋刀魚が並んでいる。
背中は青黒く光り、口先は黄色く、目は綺麗に済んで黒目がはっきり見える。
白いタオルを鉢巻にしたお店のおじさんが、エラをめくって真っ赤な中身を見せてくれ、更に「ちょっと触ってみ」とお腹を触らせてくれた。
表面はハリと艶があり、お腹は硬く張っている。
完璧だ。
「二匹下さい」
僕がそう言うと、舞子が
「ね、ゴローちゃんにも買ってあげようよ?」
という。
が、猫に秋の秋刀魚は脂が乗りすぎて良くないと聞いたことがある。
「う~ん…前に猫飼ってた友達が『秋刀魚は脂強いから』って言うててな、塩もあかんて…。そしたら三匹買って、ゴローちゃんには一匹の尻尾寄りの脂の少ない部分を切って焼いてあげて、骨取ってお裾分けやな。残りは僕と舞子で食べよ」
「そうだね。ゴローちゃん分には塩せずにね。…喜ぶかなあ、秋刀魚なんて初めてだし」
おじさんがニコニコしながら僕達の会話を聞いている。
「エラい若いけど新婚さんか?ええなあ初々しくて」
「いや、そんなんちゃいますよー」
舞子は顔を真赤にして、そう言う僕の後ろに隠れてしまった。
舞子の手を引いてお次は八百屋さんへ。
大根とすだち。
「わ、松茸だって!お吸い物とかにしたらもっと"秋"に…」
そう言いかけて、値札を見て舞子の言葉が止まった。
そりゃそうだ。
学生がおいそれと買えるもんじゃない。
ともあれ、今からの秋の宴の準備は整った。
駐車場に車を入れて今日の戦果を部屋に運ぶ。
栗はとりあえず水につけておかないと皮を剥くのに苦労すると昔母から聞いたことがある。
その間に、枝豆を二人で手分けして枝からハサミで切り落としていく。
「あ、さやの端っこちょっとだけ切れるようにしていって。塩味しっかり付くから」
「はーい」
すべて切り落としたら塩で揉んで産毛を取る。
「さて、そろそろ栗いけるかな…」
と、栗を一つ手にとって、すぐに僕は途方に暮れた。
どこからどうやって剥くんだこれ?
焼き栗みたいに、栗の腹に親指の爪を立てても裂け目なんてできない。
包丁でやってみようとしたが、表面をツルツルと滑るばかりで刃が入っていかない。
ていうか、下手したら指を落としそうだ。
「お母さんに電話して訊いてみたら?お水につけるのもお母さんに教えてもらったんでしょ?」
舞子に促されて実家に電話をかけると、母が笑いながら教えてくれた。
まず、まな板に栗を置いて、おしりの部分を切り落とす。
その切れ目から爪を入れて、指で外の固い殻を剥がすようにむく。
中に渋皮が残るので、それを包丁で剥いていく。
言葉にすると簡単だが、いざやってみると全然上手くいかない。
まな板の上で刃を立てられた栗が逃げる。
固い殻よりも先にこっちの爪が剥がれそうになる。
ようやく渋皮だけにできても、生の栗は硬く、とてもりんごのように剥くことなんかできない。
力が必要だが、力を入れすぎると栗の本体がボロっと崩れる。
おまけに指先が栗のアクでギシギシのコペコペ、包丁に添えていた親指の爪が少し浮いて痛くなってくる。
──悪戦苦闘して全部剥き終えた頃には、栗はガタガタのボロボロだった。
市販のグラッセや、おせち用の瓶詰めなんかはどうやってあんなに綺麗に剥いてるんだろう?
栗と格闘している内に、窓の外は夕方の色になってきていた。
「わ。暗くなってきた!舞子、ごめんけどお米洗って普通の量で水に浸けて、ええ感じのとこで塩と栗入れて炊いといて!そんで、その間に枝豆もお願い」
「うん。枝豆の茹で方はどうしたらいいの?」
これは前にやったことがある。
「パスタ茹でるくらいの塩加減のお湯沸騰させて、そこに塩揉みした塩ごと枝豆入れて五分やな。ザルに上げて、うちわで扇いで冷まして」
「おっけー。で、ハルくん何探してるの?椅子なんか乗って?」
僕は押し入れの天袋の奥を探っていた。
確かここに仕舞ったはずだ。
「あ、あった!これこれ!」
出てきたのは、長方形の角七輪てやつだ。
「そんなのあったんだねー。それで秋刀魚焼くの?」
「うん。前に勢いで買って、使わずに置いてたねん。秋刀魚、昔コンロで魚焼き網で焼いたら、ものっすごい煙出て大変やったから。その後一週間くらい部屋の中に魚の匂いしたし」
舞子が笑う。
「部屋の窓の下の外で炭熾して来るから、栗ご飯と枝豆お願い」
「分かったー。あ、栗ご飯の塩ってどれくらい入れるのかな?」
「米二合に、塩小さじ一っておかんが言うてた」
「分かったー」
炭を熾すのは、バーベキューやキャンプで慣れたものだ。
七輪と木炭の段ボール箱とバーナーヘッドを付けたガス缶を持って外に出る。
西の空がオレンジ色に染まり始めていた。
──やがて炭がその空と同じ色になり、更に白い灰をまとってその奥に赤々と夕日を閉じ込めた。
僕は窓をコンコンと叩き、窓を開けた舞子に秋刀魚と塩を持ってきてくれるようにお願いした。
「あ、ゴローちゃん分だけ先に切り落として持ってきてー」
「はーい。おまたせー」
「あと、いっぱいお願いしてごめんけど、大根おろしといてー」
ゴローちゃん分以外の秋刀魚の両面に塩を振って、全部網の上に置く。
網の上に置いた瞬間、秋刀魚の皮がじゅっと鳴き、銀色の表面に細かな皺が走った。
七輪から上がる強い熱が皮越しに伝わり、身の中で脂がゆっくりと動き出す。
やがて腹のあたりから透明な脂がぷつりと浮き、炭に落ちてぱちっと乾いた音がした。
その一滴をきっかけに白い煙がふわりと立ち上がり、
香ばしさと脂の甘い匂いが、冷えかけた夕方の空気の中へすっと溶けていく。
皮の色は青銀から薄い金色へ、さらに焦げ目のついた縞模様へと変わっていった。
背の部分は特に脂が乗っているらしく、熱で皮が軽く持ち上がり、
ぱりっと細い音を立てて裂けた隙間から白い身がふっとのぞく。
そこにもまた脂が浮かび、揺れながら炭に落ちては火を誘っている。
七輪の中では炭が赤い芯を保ちながら静かに呼吸している。
炭の赤は秋刀魚の腹を下から照らし、薄皮越しにじんわりと光が広がった。
ひっくり返すとき、網に張り付いた皮がぺりっと控えめな音を立てた。
裏側はすでに均一なきつね色で、うっすら滲む脂が熱で丸く震えている。
風が少し吹き、焼けた皮の匂いに混ざって炭の香りが強まると、
胸の奥がじんわり刺激されるような"完成に近づく匂い"が一気に立ちこめた。
空はもう、オレンジから群青へと移りかけている。
その移ろいの下で、秋刀魚は音と香りをまといながら焼けていった。
「焼けたよー。棚に長いお皿あると思うからお願いー」
再び窓から舞子に叫ぶ。
カラカラと窓が開いて、渡された皿にまだジュウジュウと脂が弾ける秋刀魚を置いた。
もう我慢できない。
七輪の炭はこのまま放っておいて、僕も部屋に戻った。
「この匂いたまらないねー」
舞子がそう言いながら、茹で上がった枝豆と、土釜をテーブルに運んでくれた。
ゴローちゃんが今にも襲いかかりそうな勢いで飛んできたのを抱き上げる。
「とりあえずゴローちゃん分先に上げへんと食べられへんな」
「私もゴローちゃんと同じ状態なんだけど」
笑いながらそういう舞子もなだめながら、塩をしてない尻尾の方の身を骨が残らないように丁寧にむしって、ふうふうと冷まして小皿に置いていく。
ゴローちゃんは置かれる端から食べていくので、皿に身が溜まることなく割り当て分がなくなった。
まだ物足りなそうではあるが、とりあえずゴローちゃんが落ち着いたら、次は僕達の番だ。
舞子が土釜の蓋に手をかけ、そっと持ち上げた瞬間、
ふわあっと湯気が立ちのぼり、部屋の空気が一気に栗の甘い香りで満たされた。
ほくほくした蒸気の向こうに、白いご飯の間から、淡い黄色の栗がごろり、ぽろりと顔をのぞかせている。
米は一粒ずつ立ち上がり、表面がつやりと光っていた。
さっきまで剥くのに苦労した栗は、炊かれることで柔らかくほどけ、角の取れた優しい丸みのある黄色になっている。
ほのかな塩気と一緒に立ち上がる栗特有の甘い香りが、秋刀魚の香ばしさと混ざって、なんとも言えない"秋の食卓そのもの"の匂いになっていた。
「……うわ、きれい」
舞子が思わず息を漏らす。
土釜の熱気で頬が少し赤くなっているのが見える。
湯気の向こうで栗が宝石みたいに光って、
その隙間にふっくらと炊けた白いご飯が揺れている。
しゃもじを差し入れると、底から湯気がまたふわっと上がり、
ほぐれた栗がぽとりと転がった。
炊き立ての米粒がしゃもじにしっかりと吸い付く感じが、
手に伝わる熱ごと嬉しい。
秋刀魚の塩気と脂、枝豆の青い香り。
そこにこの栗ご飯の甘い湯気が加わった途端、
部屋の中がまるで小さな食堂みたいな匂いになった。
「「いただきます!!!」」
声を合わせた瞬間、二人の前にある秋のご馳走が一気に"本番モード"になった。
どれから手を付けるか悩むけれど、
ここはまず──今日わざわざ丹波で手に入れた黒豆の枝豆だ。
「枝豆、食べましょう!」
舞子が嬉しそうに皿を寄せ、
黒豆ならではの、少し太めでくすんだ緑色のさやを手に取った。
普通の枝豆よりひと回り大きく、指に触れただけで"弾力"が分かる。
軽くつまんで口元に持っていき、
さやの端を指で押し出すと、
ぷちん。
少し低めの、落ち着いた音がして、
丸く膨らんだ豆が舌の上に転がる。
噛んだ瞬間、
普通の枝豆とはまるで違う"濃い甘み"が広がった。
青い香りに混ざって、ほんのり黒豆特有のコクが後から追いかけてくる。
茹で加減も完璧で、ほっくりしながらも芯がなく、しっとりとした歯ざわりがある。
「えっ……これ、めちゃくちゃおいしい……」
舞子が瞳を丸くして、次の一粒に手を伸ばす。
さやを押すたびに指が弾かれ、
ぷちん、ぷちん。
豆の甘い香りと、七輪の秋刀魚の煙が混ざって、
部屋の中が一瞬で"秋の夜の気配"になった。
「黒枝豆って、こんなに甘いんだね」
舞子が何度も噛みしめるように言う。
僕も続けてひと粒食べると、
舌に広がる深いコクが、まるでほんの少しだけ砂糖を溶かしたような甘さで、
思わず頷いてしまう。
「やばいなこれ。止まらへん」
「うん……今日これ買って正解だね」
二人でさやを押すたびに、
小さなぷちんという音が、幸せのリズムみたいに響き続けた。
枝豆の甘みがまだ舌に残っているうちに、
二人の視線が自然とテーブル中央の秋刀魚へ向かった。
七輪で焼いた皮は、ところどころがパリッと音を立てそうなほど香ばしく、
身の下には溶け出した脂が薄く光をまとっている。
「……これはもう、絶対おいしいやつだね」
舞子がつぶやく。
まず、大根おろしを小皿にふんわりと盛りつける。
すりおろし直後の、ほんの少し辛みを含んだ爽やかな香りが立つ。
そこに、すだちをぎゅっとひと絞り。
緑の皮から弾けた香りが一瞬で空気を変えて、
秋刀魚の脂の匂いと混ざり合い、鼻をくすぐった。
「じゃあ……いただきます」
箸で秋刀魚の表面をすっと割ると、
銀色の皮がぱり、と控えめな音を立てて割れた。
中から顔をのぞかせた白い身はふっくらとして、
湯気がほわっと舞い上がる。
その身を少し取り、大根おろしをのせ、
醤油をほんの数滴たらす。
醤油が大根おろしに染みこみ、
とろりとした色が秋刀魚の上に落ちてゆく。
口に運んだ瞬間、
皮の香ばしさ、身のほろっと崩れる柔らかさ、
大根おろしの爽やかさが一度に広がった。
そこへすだちの酸味がすっと通り抜け、
最後に醤油のうま味が残っていく。
「うわ……しあわせ……」
舞子が思わず目を細める。
大根おろしの水分が秋刀魚の脂と混ざり合い、
口の中で軽く乳化するような感覚があって、
重いはずの脂が驚くほど軽く感じる。
「舞子、これ今日いちばんおいしいんちゃう?」
「分かる……大根おろしって、なんでこんなおいしくなるの……」
二人とも無言でまた箸を伸ばした。
七輪の熱が残っているうちに、
秋刀魚の身はじゅんわりと温かく、
すだちの余韻がまだ部屋に香っている。
秋の夜の始まりに、
たまらないひと口だった。
「栗ご飯、いこか」
「もちろん!」
舞子がしゃもじをそっと差し込むと、底の方から新しい湯気がふわりと上がり、
炊き立て特有の"芯のない柔らかさ"が手に伝わる。
「はい、ハルくんの分」
舞子が僕の茶碗に、ふんわりと盛ってくれる。
米の白と淡い黄金色の対比がなんともきれいだった。
「ありがとう。舞子のも」
僕も茶碗を受け取りながら、
最初のひと口の前に、鼻先へすっと近づけてみる。
栗の甘い匂いと、米の蒸気が混ざり合い、
さっきまでの秋刀魚とはまったく違う"優しい秋"の香りが立ち上る。
ほわっとするその香りだけで、胸の奥が軽く温かくなる。
「……じゃあ、食べよっか」
箸を入れると、米はふっくらしていて、
栗はほろっと簡単に崩れた。
口に運んだ瞬間、
甘み、香り、塩気が三つ同時に広がる。
「……っ、おいしい……!」
舞子の声が素直に震える。
栗の甘さはしっかりあるのに、後味は軽い。
ほんのり効いた塩が全体を引き締めていて、
噛むたびに栗のほっくりとした香りが深くなる。
「舞子、これ……めちゃめちゃうまいな」
「うん……栗って、こんなに甘かったっけ……?」
二人とも思わずおかわりを見据えながら、
もう一度茶碗の中の栗を探してしまう。
秋刀魚の香ばしさ。
黒枝豆のコク。
そして栗ご飯の甘い湯気。
秋が、そのまま食卓に並んでいた。
枝豆、秋刀魚、栗ご飯、枝豆、秋刀魚、栗ご飯…
秋の幸せのループが止まらない。
そこへ──
ぽす、ぽす、ぽす。
足音も軽く、ゴローちゃんがテーブル近くまでやってきた。
完全に"次の秋刀魚の欠片を狙う目"だ。
「やば。来たよ……絶対狙ってるよこれ」
舞子が笑いながら囁く。
ゴローちゃんは僕の膝に両前足をのせ、
明らかに"くれや"の目で秋刀魚を見る。
「ダメやって、これ塩振ってるから腎臓病なるで!」
僕が言うと、ゴローちゃんは
「みゃおん……」
と、分かってるのか分かってないのか微妙な声を出した。
それでも諦めたらしく、
尻尾を小さくふりながら自分のクッションへ戻り、
ぱたんと身体を収めて箱座りになる。
顔だけこちらに向けたまま、
"信じられん……"と言いたげに目を細めている。
「……怒ってる?」
舞子がくすっと笑う。
「完全に不満顔やな。でも塩のやつはあかん」
「でも可愛い……その顔」
二人して笑いながら、
再び枝豆に箸を伸ばした。
秋刀魚の皿も湯気を立て続け、
栗ご飯の土釜もまだ温かい。
ゴローちゃんの"抗議の箱座り"すら、
この秋の夜の一部として愛おしく感じられる。
三つの味のループは、
もうしばらく止まりそうになかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ごちそうさまー……お腹いっぱい!」
舞子が両手を挙げてのびをする。
土釜の栗ご飯はきれいに空っぽになり、
秋刀魚は一人一匹ずつ、そしてゴローちゃん用に買ったもう一匹の残り半分まで、
骨だけになって皿に残っていた。
山盛りだった黒枝豆も、さやだけを残して全部なくなっている。
「これだけ食べたら、ちょっと歩かなあかんなあ」
僕も笑いながら立ち上がる。
片付けをさっと終えると、
ゴローちゃんが当然のように玄関へ向かい、尻尾を立てて振り返った。
「……行く気満々やな」
「もう散歩コース覚えてるよね、この子」
そんなやり取りをしながら、三人(?)で外へ出た。
外は夕焼けがすっかり消え、夜の匂いがひんやりと漂っていた。
草の湿り気と川の水の匂いが混ざり、さっきまでの"秋の食卓の香り"とはまた違う、落ち着いた秋の夜の空気になっている。
くわえタバコで鴨川沿いを歩いてデルタへ向かうと、あれだけお腹が苦しかったはずなのに、歩くたびに体の奥からじわっと満ちてくるような心地よさがあった。
ただ──
鴨川デルタに近づくにつれ、
なんだかやけに人が多い。
「あれ?今日なんかイベントある?」
舞子が不思議そうに周囲を見回す。
琴の音か笛の音が聞こえてくるでもなく、
屋台が出ているわけでもない。
みんな上を見て、じっと佇んでいる。
「……ああ、そっか」
僕もつられて空を見上げた。
そこには、雲ひとつない空に、まんまるなお月様が浮かんでいた。
昼間のように明るいわけではないのに、川面に反射した光がゆらゆら揺れ、足もとまで淡く照らしている。
風は冷たく、でも肌に刺さらない。
秋の夜の澄んだ匂いが胸いっぱいに広がる。
舞子がそっと僕の腕に手を添える。
「……秋だねえ」
その声は、さっきの栗ご飯よりも柔らかかった。
ゴローちゃんはというと、デルタの石の上にぴょんと飛び乗り、月を見上げて「にゃあ」と小さく鳴いた。
まるで、月に挨拶しているみたいだった。
秋刀魚の香り、栗の甘み、黒枝豆のコク。
さっき食べたものたちが、秋の月に照らされて静かに体に馴染んでいく。
川の音がさらさらと流れ、どこかで遠く金木犀の香りがわずかに混ざった。
舞子がぽつりと言う。
「……今日、すごく良い日だったね」
「うん。完璧やな。秋の全部そろった日や」
二人と一匹は、
まんまるな月の下でしばらく立ち尽くしていた。
流れていく水音。
冷えはじめた風。
どこかに残る秋刀魚の匂い。
秋の夜は、静かに深くなっていった。




