表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/35

第25回 近江贅沢鯖まつり

日曜日は、朝からかなり蒸し暑くなった。

最近涼しくなり始めた気候に体が慣れてきていたもんだから、余計に暑く感じる。


でも空は青く晴れ上がり、刷毛で引いたようなすじ雲が白く横切り、季節は間違いなく秋の始まりを告げていた。

昨夜は遅くまで二人で、年末に公開されるパート2への予習、いや復習として、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をレンタルビデオ店で借りてきて観ていたものだから、起きたらもう十時前で、バタバタとバタートーストだけを食べて車に乗り込んだ。


この前、出町で鯖街道の話をしてから、大学の図書館で少し調べてみた。

川端通を高野川沿いにずっと上って修学院も通り過ぎて宝ヶ池あたりで白川通に合流して花園橋からはいつものように大原に抜けるのが鯖街道のルートらしく、今回はそのルートを通ることにした。

いつもの白川通を上るルートと違ってずっと川沿いを走るのは、風景も違って新鮮だった。

視界が開けている。

山に入って八瀬遊園のあたりからは、夏の間に今は盛りと勢力を延ばした草木の緑がこれでもかと生い茂り、路肩を覆い隠している。

自然とセンターライン寄りを走ることになって、対向車が来るたびに舞子が「わー!」と声を上げる。


大原の町を抜けて、いつもなら途中から堅田に降りるところを、367号線で北に向かうと、道は一段とくねくねと折れ曲がり、時には百八十度折り返すようなヘアピンも連続して出てきた。

やがて安曇川と並行しはじめると、朽木村だ。


朽木村は滋賀県で唯一"村"として残る自治体で、朽木元綱を祖とする朽木氏の下、若狭街道の宿場町として栄えた地だ。

一乗谷の朝倉氏の元から明智光秀の助力で上洛する足利義昭が、六角氏から追われて逃げ込んだ地であり、かの金ヶ崎の退き口で織田信長の脱出ルートにもなった交通の要衝だ。


「ハルくん、ほんと歴史好きだねえ」


「そやな。特に戦国時代の滋賀県は歴史の花形やからな」


「安土桃山時代の安土も滋賀県でしょ?」


もちろん、織田信長の居城・安土城の安土だ。

その後秀吉の時代に秀次の八幡山城下、今の近江八幡に城下町が移され、信長が赤襦袢で踊り狂ったという火祭り「左義長まつり」は今でも毎年三月に行われている。

子供の頃に父に連れられていった左義長まつりの、燃え盛る炎は今でも覚えている。


「へー。火祭り?すごそうだね」


「うん。来年は三月に一緒に行こうか?左義長まつり」


「でもその頃はハルくん、就職前で忙しいんじゃないの?引っ越しとか」


そう言われてハッとした。

確かにそうだ。

大阪の、しかも出版なんて業界なんだから当然夜も遅くなるし、今の出町柳からなんて通っていられないだろう。

京都を離れる──そんなこと考えてもいなかった。

その時、舞子はどうするんだろう。


「どうしたの、ハルくん?」


「あ、いや、なんでもない」


僕は意識を運転に戻した。山道なんだから集中を切らせたら危ない。



「あ、鯖寿司屋さん!あ!こっちにも!」


舞子がキョロキョロと道の両側に鯖寿司屋を見つけ始めた。

このあたりの鯖寿司屋なら、どの店に入っても大きく外すことはないはずだ。

僕は一番目に付いた古い木造の店の駐車場に車を入れた。

黄色いトタン屋根、店の前の白い看板に


「生さばずし」「焼きさばずし」「鯖のへしこ」

「噂の焼きさばずし、評判のへしこ」


と大きな文字が並ぶ。

外で食べられるようにだろうか、木のテーブルと椅子も据え付けられていた。

色褪せたえんじ色の暖簾をくぐって店内へ。

酢の匂いが漂う店内は出町柳の鯖寿司屋と同じく整然とテーブルが並び、既に何組かの先客が舌鼓を打っていた。

店の奥のショーケースにはずらりと紙の箱が並んでいた。

壁のメニューに目をやると、生さばずしと焼きさばずしに加えてうどんとそばのメニューが並んでいる。


「どうする?買って帰る?ここで食べていく?」


「うーん、両方!」


舞子が大きな目を輝かせて笑いながら答えた。


席につき、セルフでポットからお茶を運んでくると、割烹着のお母さんが注文を聞きに来た。

テーブルに置かれたスタンドのメニューから、鯖寿司セットを選ぶ。

焼きさばすし一個、生さばずし一個とうどんまたは蕎麦がセットになっている。


「両方、うどんでお願いします」


「はい、少々お待ちくださいね」


お母さんが奥に引っ込むと、改めて店内を見回してみた。

ショーケースを見に行く。

思った通り、生も焼きも、一本の値段は出町柳のあの店の半額どころか三分の一に近い値段だ。

しかし、生の鯖寿司は子どもの頃から大好きで何度も食べているが、焼き鯖寿司というのは初めてだ。


「ね、焼き鯖寿司ってどんなのかな?」


ワクワクした顔で舞子が訊く。


「いや、僕もそういう物があるって今初めて知ったわ」


「えー、滋賀県のハルくんが知らないものがあるなんて!」


「いや、そらいくらでもあるやろ…」


そんな会話をしていると、お母さんが鯖寿司セットを持って来てくれた。

よし、鯖とご飯が半々の厚みだ。鯖寿司はこうでないと。


見慣れた生の鯖寿司は、しっとりつやつやと輝き、それに対してタレをまとった焼き鯖寿司は焦げ目も色っぽく、金色がかった茶色に輝いている。


まずは、馴染みの生を。


「わ!全然違う!」


舞子が顔を輝かせた。

強めの酢で締められた分厚い鯖の身はしっかりとした歯ごたえとぎゅっと凝縮された旨味に溢れていて、それが生姜とゴマのアクセントの効いた絶妙に甘酸っぱい酢飯と一緒になると、口の中が幸せで満たされる。


「これこれ、これが滋賀の鯖寿司や」


「すごいね。京都のは上品な感じだけど、滋賀のはワイルドっていうか、強いっていうか。どっちも美味しいけど私はこっちの方が好きかも」


「うん。次は僕もお初の焼き、いってみよか」


箸で持ち上げると、しっかり焼かれた鯖の身がホロリと崩れそうになる。

バランスを取りながら口に運ぶと、甘辛いたれと香ばしい焼き魚の香りが鼻と舌を直撃し、噛みしめると鯖の旨味が溢れた。


「わ!うま!」


「うん!すごい!」


ちょっと硬めのご飯に鯖のタレがしゅんで、これまた生姜とゴマと渾然となって攻め入ってくる。

美味い。


口の中が旨味と香りの洪水で溢れているところを、出汁の香るきつねうどんで整える。

昆布の香りが甘辛いタレを流して口の中に涼風が吹く。

うどんも京都と違ってしっかりと腰のある太麺で、もちもちシコシコと歯を押し返す。

きつねは甘辛いつゆたっぷりで炊き上げられていて、ぎゅっと噛むと幸せが滲み出す。


半分ずつ残った生と焼きの鯖寿司、お出汁、うどん、きつね。

後半は二人とも黙ったまま、ほっぺたを膨らませて一心不乱にがっついた。


「ふう~」


お出汁を最後の一滴まで飲み干して舞子が息をつく。

僕もお出汁一滴たりとも、酢飯一粒たりとも残さずに食べ尽くした。


「「ごちそうさまでした!!!」」


手を合わせて、僕はタバコに火を付ける。

やはり鯖寿司は滋賀県だ。

小浜にも近いし。

舞子も満足感で頬を紅潮させている。


「ねえ、買って帰る鯖寿司だけど…」


ふと舞子が遠慮がちに言いかけた。


「生と焼きを一本ずつ、やろ?」


「うん…いいかな、そんな贅沢」


以前の舞子なら、

「やったー!二本!」

と真っ先に言っていた気がする。


最近は、値段を見て、一回立ち止まる。

そんなところにも、少しずつ"一緒に暮らしている"感じが滲むようになってきた。


「もちろん。二本買っても、出町柳の店の一本よりまだまだ安い」


「やったー!」


「今夜は、生と焼きの鯖寿司二本立て!」


「熱いお茶入れてね!」


「そやな。あ、あとな」


「どうしたの?」


「回り道になるけど、たねやのバームクーヘンも買うて帰らへん?さっき『近江八幡』て単語口に出したら、食べたなって…」


「いいけど、贅沢しすぎじゃない?」


「ええやろ。今日は近江贅沢鯖まつりや!」


「ひゃー!ハルくん、男前!」


そうと決まれば、鯖街道を南に戻って琵琶湖大橋に向かってゴーだ。


助手席の舞子は、買ったばかりの鯖寿司の包みを大事そうに膝に乗せている。

それを見ていると、今日の道も、次の道も、もう二人で決めているような気がした。


安曇川の川面に反射した秋の太陽が、山の深く濃い緑に揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ