第24回 ミニピクニックと鯖街道
「はい、ハルくん。プレゼント」
バイトから帰ってきた舞子が、トートバッグから好日山荘のロゴが印刷された紙袋を取り出した。
「プレゼント?なんで?」
「いいから開けてみて」
促されて中を見ると、『2243』と印刷された小さな箱と、『IWATANI PRIMUS』という文字の入った、ずんぐりした黄色いガス缶が入っていた。
え、これは?もしかして?
そう思いながら箱を開けると、やはり中は銀色に輝くバーナーヘッドだった。
前から好日山荘に行く度に気になっていた、山岳用ガスバーナーのセットじゃないか。
「舞子、これ…」
「うん。誕生日プレゼント」
「え?誕生日ってまだ一週間以上先やで?」
そういうと舞子はにっこり笑って
「ちょっと早いけど、今日買ってきたからすぐに渡したくて」
と目を輝かせた。
「河原町の好日で見つけたの。軽いし、かわいいでしょ?」
「ずっと欲しかったやつや。けど、高かったやろ?」
「だから誕生日プレゼント。それに、私も使いたいし」
その言い方が、少し前までの「連れて行って」ではなく、
もう完全に「一緒に使う」になっているのが、なんだか嬉しかった。
「ありがとう!うん。一緒に使おう!さっそく明日、鴨川デルタでコーヒー淹れて飲もう!」
「お兄さん、それいいですねえ。でも私はコーヒー飲めないから紅茶でよろしく!」
新しく手に入れたおもちゃはすぐに使いたい、というのが小さい頃からの僕の性分だ。
もったいないから大事に取っておく、という人の気持ちは全然理解できない。
僕はウキウキして、今日は銭湯に行く自転車を漕いでる間ずっとなぜかハイジのオープニングのヨーデルを歌っていた。
♪ヨーロローイロッヒッホ ヤッホッホディヤッホッホ
◇ ◇ ◇ ◇
翌日は朝からからりと晴れた。
ゆっくりした時間に朝食のベーコン&パンケーキのあと、僕と舞子は鴨川デルタに散歩に出かけた。
籐のバスケットには、コーヒー豆、ミル、ドリッパーとペーパー、ティーバッグ、水、ミルク、マグカップを二つ、ケトルと小鍋。
そして、バーナーとガス缶。
九月末の鴨川デルタ──。
夏の名残をかすかに引きずった風が、川面を撫でていた。出町橋のたもとには早くも彼岸花がいくつか咲き残り、朱が緑の中でぽつりと灯のように揺れている。水は透き通り、浅瀬を走る小魚の影がきらりと陽を返した。
北から吹き抜ける風は、湿り気を失いつつあり、どこか澄んで冷たく、鼻の奥に土と草の匂いを残す。空は驚くほど高く、薄く刷いたようなうろこ雲が、比叡の稜線から西山の方まで連なっていた。
川原の芝には、夏の間に賑わった学生たちの姿もまばらで、ギターの音もなく、ただ水の音と自転車のベル、そしてカラスの声だけが響く。
その静けさの中に、遠くの保育園から子どもたちの笑い声が風に乗って届くと、季節の移ろいがひときわ胸にしみた。
橋の下では、釣り糸を垂れる老夫婦が並び、河原の石の上には白鷺が一羽、陽の光を浴びながら羽繕いをしている。
舞子の二つに結んだ髪が、そよ風にふわりと揺れた。
──秋は、確かに始まっていた。
いつものベンチは今日も空いていて、茶トラ模様に下半分が白い大きな猫が昼寝していた。
「あ、シロさん、久しぶり」
舞子が声を掛けるとシロさんと呼ばれた猫は大きくあくびをしながらうんと伸びをして、僕達の方にやってきた。
この猫も舞子の友達なのか。
「はい、どうぞ」
背中のリュックにいつも入れているというカリカリを舞子がベンチの隅にザラザラと置くと、シロさんは美味しそうに音を立てて食べ始めた。
暖かな陽光と、静かな風がその金色の毛並みを撫でていた。
二人、ベンチに座りバスケットを開けて道具を並べる。
舞子はマグカップにティーバッグを二つ、僕はミルで豆をガリガリと挽く。
カリンカリンに黒光りするまで焼いた小川珈琲の炭焼きだ。
自分のマグにドリッパーとペーパーをセットし、挽いた豆を入れて均等にならせば準備は完了だ。
バーナーヘッドをガス缶の上にねじ込み、ケトルを乗せる。
水を注ぎ、いよいよ点火。
舞子は、世紀のマジックを見るような顔で覗き込んでいた。
小さなツマミをひねると、シューという音がして、すかさず点火用の小さなボタンを押す。
"ボッ"という音がして、すごい勢いで青い炎が上った。
シュゴー。
まるで吹雪の夜のような音がして、びっくりするくらいあっという間にケトルの蓋がカタカタと鳴り、ボコボコと沸騰する音がし始めた。
「え?もう沸いたの!?」
舞子が目を丸くする。
「すごいな、さすが山岳用や。軽くて小さくてハイパワー、この勢いで火が出たら、風が強くても使えるんやろな」
本当にいいものを貰った。
「舞子、ほんまありがとう。めっちゃキャンプとか行こな」
「うん!」
まずは舞子のカップにお湯を注ぐ。
ティーバッグは二つ、決してちゃぷちゃぷしない。
ふんわりとダージリンの香りが広がっていく。
ケトルのお湯をコーヒー用に休ませている間に、小鍋でミルクを温める。
弱火というのが中々に難しい。
次にコーヒーのいつもの儀式。
ちょんちょんと粉を湿らせ二十秒、真ん中に細く湯を注ぐと、粉がぶわあと膨らみ湯気とともに香ばしい香りが爆発する。
シロさんが鼻をヒクつかせながら覗き込んだ。
やがてマグを満たす濃い琥珀色の液体と、砂糖とミルクを加えた甘い香りの褐色の液体が出来上がる。
「「いただきます」」
カップを口に寄せると、深く濃く香ばしい香りで鼻腔が占拠された。
僕の好みの、苦みが強く酸味は一切ないコーヒー。
「いつもの紅茶も、こうやって外で飲むと一段と美味しいね」
舞子が笑う。
穏やかな朝遅めのピクニック、空は晴れ、うろこ雲は白く、風は涼しく、コーヒーは美味しかった。
「ちょっと橋の方、散歩しよ」
飲み終えて片付けが済むと舞子が言った。
のんびりと出町橋の方に歩いて行くと、シロさんも尻尾を揺らしながら付いてくる。
橋を渡って商店街の方へ歩いていく途中、ふと僕は鯖街道のことを思い出した。
「そういえば、この辺って鯖街道の終点みたいな場所なんやったかな」
「鯖街道?」
「福井の小浜から、朽木を通って京都まで鯖を運んでた道や。若狭で獲れた鯖をひと塩して、山越えて京まで運んだら、ちょうどええ具合に締まったらしい」
「へー。鯖寿司って、そういう鯖なんだ」
「そやな。僕は滋賀県側の朽木のイメージが強いけど、京まで来る道やからな」
「そういえば私、柿の葉寿司は小さい頃から食べてたけど、京都とか滋賀の鯖寿司って食べたことないかも」
「そうなんや。僕は鯖寿司はお祭りの時とかに家で母親がよく作ってくれてて大好物やけど、逆に柿の葉寿司?ていうのは知らんわ」
「ね。その福井から滋賀県通って京都にやってきた鯖寿司、食べてみたい!」
うーん、としばし考えて、確か商店街を入ったところに「鯖寿し」と暖簾の出ている店があったことを思い出した。
入ったことはないけど、持ち帰りも店内で食べることもできたはずだ。
「ほな、ちょっと早いけど今からお昼ご飯に食べに行こか。この商店街の中にお店あったと思うし」
「え?そんなのあるの?やったー」
商店街のその店は、まだ暖簾も幟も出ていなかった。
張り紙を見ると、十二時開店だった。
まだ十五分ほどあるので、商店街をブラブラしながら時間を潰す。
十二時を過ぎて店に戻ると、なんと既に店前に出された椅子に座って順番待ちをしている人がいる。
「え、そんなに人気の店なんや」
「楽しみだねー」
列は持ち帰り待ちの人もいたようで、十分も待たずに順番が回ってきた。
入口には、「鯖寿し」と染め抜かれた白い暖簾が掛かっていた。
中に入ると、いかにも昭和の食堂然とした白いテーブルと木の椅子が整然と並んでいた。
メニューを見渡す。
うどんと鯖寿司のセットというのが目に入った。
「うどんのセットにしよか」
「うん」
注文すると、ほどなく黒いお盆に乗ってうどんと鯖寿司が出てくる。
おぼろ昆布とネギとかまぼこの乗ったうどんに、鯖寿司が二切れ。
なかなかに強気な値段な気がする。
うどんの出汁は鰹の香りが立って、そこにおぼろ昆布の上品な香りがプラスされている。
さて、肝心の鯖寿司は…
「「え?なにこれ!?鯖が」」
「薄い!」
「分厚い!」
最後だけ台詞が違った。
僕が知ってる鯖寿司は、鯖がものすごく分厚くて、ご飯と鯖が半々位なのだが、ここの鯖寿司はご飯の分量が多く、鯖がちょっと薄く感じる。
逆に、舞子の知っている柿の葉寿司というやつの鯖はかなり薄いらしく、こんなに分厚い鯖の乗った鯖寿司は初めてだという。
「ま、食べよか」
「うん」
「「いただきます!」」
まずはうどんのお出汁を一口。
わ。美味い。
鰹と昆布がお互いを高めあったちょっと甘めのお出汁はすっきりと透き通り、文句無しに美味しかった。
うどんはかなりの細麺で、柔らかい。
いわゆる"京うどん"というやつだ。
思わず顔がほころぶ、幸せになるうどんだ。
お次は鯖寿司。
お!これも美味い!
薄く削られた昆布をまとい、山椒の葉が乗った鯖は、やや身は薄いが酢のシメ具合も絶妙で、鯖独特の香りがいい具合にまとまっていて、それが甘めの酢飯とよく合った。
後味の山椒の風味が心地良い。
「美味しいな」
「うん。私こんなの初めてだよ。それにこの優しいおうどん、いかにも京都って感じですごい好き」
なんだかいつもみたいに一気にがっつくのはもったいない気分にさせるうどんと鯖寿司を、僕も舞子もゆっくりと味わって食べた。
美味い。
「これ、鯖寿司一本買って帰って、夜にまた食べよう。今日は僕も舞子もまかないなしで。」
「最高!わかった!熱いお茶と一緒にね!」
そう言って、店の壁に貼られた持ち帰りの鯖寿司の値段を見ると。
──げ。
一本三千五百円!?
何だこの値段!
いくら美味いとはいえ、どうやら名店だとはいえ、ちょっと手が出ないじゃないか?
僕は急に声のトーンが落ちた。
「舞子、ちょっと今日はやめとこか。値段…」
「え、わ。すごいね」
「朽木村の鯖街道沿いの店やったら、半額やで。しかも、厚さも鯖とご飯が半々のやつ」
「じゃあさ、次の日曜日、そこ連れてってよ」
なるほど。それはナイス提案だ。
秋の入口の朽木村、風景も綺麗で良いドライブになる。
「オーケー。そうしよう!」
そうして僕らは店を出てアパートに向かう。
シロさんはもうどこかに遊びに行ってしまったようで、デルタにはいなかった。
舞子にもらった小さなバーナーが、バスケットの中でかすかに音を立てる。
それだけで、次の日曜日の朽木まで、もう道が続いている気がした。
小さく秋の虫の声がした。




