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第20回 千の灯りとクラブハウスサンド

出町柳の洋食屋を車で出た僕たちは、丸太町通を西に向かった。

やがて街が途切れ、山の影が近づくにつれて、空気がひんやりとしてくる。

窓を少し開けると、草いきれと夜風の匂いが流れ込んだ。


「ねえ、どこ行くの?そろそろ教えてよ」


舞子がちょっと拗ねたような顔で訊いた。


「化野念仏寺。去年保津川下りのあと行ったドライブウェイの降り口のあたりやな」


「あ、石仏がズラーッと並んでて凄いって言ってたトコ?」


「そうそう。そこで、年に一回だけの『千灯供養せんとうくよう』ていう行事があってな、蝋燭の灯りがすごい綺麗らしいねん。一回行ってみたかったから、ええタイミングやなと思って」


「へー。どんなんだろ」


嵯峨の町に入る頃には、もう街の灯りはまばらになっていた。

目的地が近づくにつれ道はどんどん細くなっていく。


「ほんとにこの道で合ってるの?」


舞子が不安そうに聞く。


「たぶん、合うてるはず。ただ、この先は車無理そうやな」


道が細くなるのと逆行するように、歩行者の数は増えていった。

清凉寺近くの時間貸し駐車場に車を停める。

寺の方からかすかに鐘の音が聞こえる。

空は群青から黒へ。

遠くの山際に、ぼんやりと提灯の明かりが見える。


「ここから歩こか」


「うん」


鳥居本の家並みを抜ける頃には、道がわずかに傾いて、風の温度が変わった。

先のほう、細い坂道に小さな提灯が並んで揺れていた。

道を少しずつ上っていくにつれて、蝋燭の灯がひとつ、またひとつ増えていく。

オレンジの光が、虫の羽音みたいにふるえて、僕達を寺へ導いていくようだった。


門前にはもう行列ができてた。

浴衣の学生、家族連れ、年配の夫婦。

みんな、どこか「祭り」というより、「祈り」に向かうような顔をしている。


「すごい人やな」


「そうだね……でも、静かだね」


確かに、ざわざわしてるのに、うるさくない。

足音と衣ずれの音のあいだに、何か見えないものへの敬意みたいなものが流れていた。


千灯供養料を支払ってパンフレットと蝋燭を受け取り境内に入ると、石塔がびっしり並んでた。

その一つひとつに蝋燭の火がともっていく。

最初はまばらだった光が、いつの間にか山の斜面を覆って、風に揺れるたび、まるで無数の魂が息をしてるみたいだった。


「……きれい」


舞子が呟いた声が、夜気の中で震える。

僕は思わず立ち止まって、その光景を見上げた。

灯の海だ。

地上に降りた星みたいで、ひとつひとつが、誰かの祈りみたいに見えた。


蝋燭にライターで火を点けて石仏の前に置いた。

小さな火が立ち上がる。

その熱が、指の先から胸の奥まで届いてくる気がした。


「誰のためってわけでもないけどな……」


僕は手を合わせながら、ぽつりと言った。


「こうしてると、ちょっと落ち着くわ」


「うん……なんか、分かる気がする」


舞子の声がそばで揺れた。

遠くで読経の声が風に乗って聞こえてくる。

低く響く鐘の音。

虫の声。

草の擦れる音。

舞子の指が、ふと僕の腕に触れた。


「ねえ、ハルくん」


「ん?」


「なんかさ、私たちも――この灯りのひとつみたいだね」


「どういう意味?」


「いつか消えるかもしれないけど、今だけは、ちゃんとここにあるでしょ」


僕は笑って頷いた。


「せやな。……今は、ここにいるな」


風が少し強くなって、炎が一瞬揺らいだ。

俺は思わず手をかざして、その火を守った。


「……消したないな」


「うん」


夜はさらに深くなって、山の端の空が群青に染まっていく。

無数の灯が揺れて、まるで星の海みたいだった。


風が吹くたび、

蝋燭の火が揺れて、

石仏の影もゆらゆらと揺れた。


誰かが小さな声で手を合わせる音だけが、

夜の中に残っていた。


僕達はしばらく言葉も出ないまま、その中に立ち尽くした。


──帰り道、鳥居本の古道にも行灯が並んでいた。

風鈴がちりりと鳴って、蚊取り線香の匂いがした。

秋の虫たちの声が聞こえる。

舞子がふと手を伸ばして、僕の指を軽く握った。


「……ありがとう、連れてきてくれて」


「また来よか。来年も」


「うん、来年も」


遠くで蝋燭の光が、一つ、また一つと消えていった。

けど、僕達の掌の中には、まだ温かい灯が残っていた。


◇    ◇    ◇    ◇


「なあ、お腹すかへん?」


「えー?私感動してたのに車に戻ってまずそれ?」


舞子が笑う。


「うん、帰りにラーメンとか…」


「さっき洋食たべたでしょ?私まだお腹いっぱいだよ」


「そっか」


なら仕方ない。

でも僕は小腹がすいた。


「あ、そしたらさ、僕のバイト先行かへん?あそこやったら舞子は紅茶とかジュースとか飲んだらええし、僕は軽食食べるってことで」


「いいよ」


子供をあやすような笑顔で舞子が答えた。

細い集落の中の道を抜け、丸太町通から西大路通を上がる。


駐車場に車を入れ店のドアを開けると、店は大賑わいだった。


「いらっしゃいませ…あ、中田さん、舞子ちゃん!こちらどうぞ!」


シフトに入っていたサキチがタイミングよく空いた席に案内してくれた。


「ありがとう」


タバコに火を点けメニューを広げる。


「舞子何する?この店は、紅茶はちゃんと茶葉入れて蓋して時間計って茶こしで濾して出してるし、ジュースは注文入ってからちゃんと生の果物を絞ったりミキサーかけたりしてるから、どれも美味しいで」


勝手知ったるバイト先、だ。


「う~ん…じゃあ、ミルクティで」


「あ、それやったらロイヤルミルクティにしたら?ミルクティに付いてくるミルクはフレッシュってやつやから、ロイヤルミルクティならちゃんと牛乳で煮出してるし」


「え?フレッシュってあれ、生クリームじゃないの?」


「あれはな、サラダ油みたいな植物油に、乳化剤とか色々混ぜて作ってるニセモンやねん。店長に『そんなん使わんと本物のミルクで出そう』て言うてるんやけど、チェーン店やからなかなか難しいみたいでな」


「ふーん。じゃあ、そのロイヤルミルクティをお願い」


サキチに手を上げて呼んで、注文する。


「ロイヤルミルクティと、アイスモカジャバ。あと、クラブハウスサンド」


「はい。お待ち下さい」


フードは何を頼むのかちょっと悩んだ。

この店のフードは、ケーキ類の他にクロワッサンサンドのツナと卵とハム、ピザトースト、ホットドッグ、そしてクラブハウスサンドだ。

どれも美味しいんだけど、今日はクラブハウスサンドの気分だった。

カリッと焼いたトーストパンに辛子マヨネーズを塗り、レタス、セントラルキッチンで仕込まれた鳥もものローストの分厚いスライスとベーコン、トマトを挟んで出てくる。


「お待たせしました」


飲み物から少し後に白い皿が運ばれてきた。

シャープな切り口で三つにカットされたトーストサンドとポテトチップス。

今日の調理担当はベテランのようだ。

新人だとこうはいかない。

崩れないように刺された爪楊枝を抜いてがぶりといく。

カリッと香ばしい音がしてチキンのジューシーさとベーコンの脂、野菜の爽やかさが一体になって口中を満たす。

辛子マヨのピリッとした刺激が絶妙のバランスをまとめ上げる。


「うま」


アイスモカジャバを一口。

甘くなった口にまた香ばしく刺激的なクラブハウスサンド。


ノンストップで三切れ全部食べてしまった。


「ハルくん、口の横、マヨネーズ」


舞子が笑いながら紙ナプキンで右の口角を拭いてくれた。


「ありがとう。舞子のそれはどう?」


「うん。すっごい美味しい。まろやかで、濃厚で、紅茶の香りも良くて。今度家でやってみよ」


「鍋洗うのちょっと大変やけどな」


「それくらい私が洗うよー」


笑いながら、僕も舞子も千灯供養の風景を思い出していた。

涼しくなり始めた風に揺れる幾千もの蝋燭の光が浮かぶ。


「夏もそろそろ終わりやな」


「そうだね。まだまだ暑い日も多いだろうけど」


「ええ夏やったな」


「うん」


本当に良い夏だった。


◇    ◇    ◇    ◇


「中田さんと舞子ちゃんて、絶対に親戚じゃないですよね?」


レジでサキチがお釣りを数えながら唐突に言い出した。


「え?なんで?親戚やで?」


「祇園祭も一緒、キャンプも一緒、送り火の時なんて手を繋いで歩いてたし。今日も一緒で、中田さんの口拭いたりしてたし。そんな親戚いませんよー」


笑うサキチに、返す言葉に詰まる。


「いらっしゃいませー!」


言い訳の機会は、新しくやってきた客の声にかき消された。


僕はレシートを受け取りながら、

ふと、さっき化野で見た灯の列を思い出していた。


消えそうで、

でも、まだちゃんとここにある灯だった。

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