第18回 "粋"と"旦那"の文化的すき焼き
研修会は、名目だけではなくて本当に研修だった。
同期の内定者十二人が集められた本社会議室、社長の訓示と事業部長の業務説明のあと、皆に資料が配られる。
そこには、関西一円でも知らない人の方が少ないであろう、道頓堀の老舗すき焼き店の概要や歴史、メニュー、雑誌記事、社長インタビューなどがまとめられていた。
「この店から本誌特集記事と連動しての広告企画の依頼がきた。企画立案から最終的にプレゼンまでを行うこと」
という課題が与えられ、四人ずつ三組でのグループワーク形式でコンペとなる。
まずはグループ内での自己紹介から始まり、一通り顔と名前を覚えたところで、各自資料を読み込む。
次にどう進めるかは各チームに委ねられていた。
この時点で既にぼんやりと役割分担的なものが生まれる。
僕と同じチームになったのは、関大の盛田くんという男と、市大の大谷さんという女の子、そして、面識はないのだが同じ同志社の小森という男。
盛田くんは、頭は切れるが、自分の興味を追求していきたいタイプのようで、リーダーシップを取ったりはしなかった。
大谷さんは、穏やかで調和を重視して、皆の意見を聞いていく調整型タイプ。
小森は…独特だった。
最初の印象は、正直かなり悪かった。
馴れ馴れしくて、自信満々で、どこか上から目線で、無礼だった。
服装も、皆が無難なリクルートスーツを着てきている中でひとり、「太陽にほえろ」の刑事みたいな、三つ揃いのクラシカルなグレーのスーツ。
当然最初は「なんだこいつ?」と訝しげな目で見ていたのだが、話し合っている内に、非常に知識も教養も高く、物事を見る角度のセンスが良く、打てば響く男だということが分かってきた。
僕は小さい頃から、いわゆる参謀タイプだった。
ぐいぐい物事を進めるリーダー――例えばタツヤみたいなやつ――の粗いプランに、具体的な道筋をつけていくのが得意だ。
だから自然と、チームのリーダー役は小森が担うことになった。
資料から導かれる企画の方向性は、色々な切り口が考えられる。
肉を筆頭に、料理へのこだわりと質を打ち出すか?
道頓堀という立地と客室の設えから、使い勝手を打ち出すか?
メニューと部屋の組み合わせからの、使うシーンの提案を打ち出すか?
僕達も他のチームも喧々諤々、ホワイトボードにキーワードを書き出し、ブレストが進んでいく。
やがて規定の時間が過ぎ、プレゼンの時間になった。
他のチームのプレゼンは予想通り、料理の質を打ち出した特集のなかに入れ込んで広告展開をしようという案と、道頓堀周辺の観光案内の特集を組み、その中のメインとしてこの店の広告を組み込もうといったものだった。
僕達のチームは、この店の歴史、遠く大正時代からはじまり戦後に今の道頓堀に移って、芝居好きの食道楽が集う地として、或いは花街のお姉さま方が「ハレ」の日の御馳走として通い、贔屓の役者や芸人、映画スタアを連れてやってくる粋な旦那衆で賑わってきた店だということに注目し、
大阪ミナミ、「粋」と「旦那」の系譜
というキャッチコピーで、ミナミの街に息づく粋な文化を感じさせる店、丸福珈琲店やカレーの自由軒、肉吸いの千とせ、うどんの今井、法善寺横丁の夫婦善哉等の老舗の店を特集し、その極みの店としてこの店を紹介するという企画をプレゼンした。
各チームのプレゼンが終わると、編集部員、編集長、事業部長からの講評があった。
特に順位などを付ける目的ではなかったものの、僕たちのチームの評価は良かったようだ。
プレゼン内容も良かったし、リーダーシップ、具体的な企画への落とし込み、細部の深堀り、全体の進行調整と、各人の特性を活かした役割分担のスムーズさについても良い評価をもらった。
「よし!」
四人はやり遂げた満足感で顔を見合わせて笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
「皆さんお疲れ様でした。このあとは懇親会です。今皆さんがプレゼンをしてくれたこの店にてすき焼きです。各自移動し、十七時に店前に集合、遅刻厳禁!」
事業部長の言葉に、内定者の間からワッと歓声が上がった。
なんと、今散々調べてその素晴らしさをとことん知った老舗の店のすき焼きを本当に食べられるとは!
さすがグルメ情報誌、さすが空前の売り手市場だ。
夏の終わりのオフィス街は、十六時を過ぎてもまだ茹だるように暑く、
明るくて、ざわざわと生き物のように動いていた。
すし詰めの御堂筋線で、僕らは難波へ向かう。
来年の花博。アサヒスーパードライ。気の早いファッション誌の秋コーデ特集。
中吊り広告が、頭の上でゆらゆらと揺れていた。
十四番出口を上がると、金龍ラーメンの巨大な龍の立体看板が目に入る。
御堂筋を少し北へ歩く。
……あ、大阪では「上がる」って言わないのか。
北に行くと、道頓堀商店街との角に、大きな行灯風の看板の掲げられた風格ある建物が現れた。
「みんな揃ったか?」
事業部長が暖簾をくぐる。
それに続くと、なんと中居さんが揃ってお出迎えだ。
社名が告げられると「お待ちしておりました。」と恭しく頭を下げる。
「靴はそのままで結構です、こちらの札をお持ちになって、お帰りの時にお渡し下さい」
下足番の男性に促されて上がり口で靴を脱ぐ。
何もかもが別世界だった。
ギシギシと音を立てる年季の入った木の階段を上がる。
案内された部屋には、畳の上の座卓にずらっとすき焼き鍋と野菜類の大皿、ひとりずつの前菜と呑水なんかがセットされて並んでいた。
席につくと和服姿の中居さんがおしぼりを持ってきて、飲み物を訊いていく。
ここは事業部長に任せて瓶ビールが次々と運ばれて栓が抜かれ、中居さんがグラスに注いでくれる。
「みんな今日はお疲れ様でした。頭を使って疲れただろう。老舗のすき焼き、しっかり楽しんで下さい。これからみんなで頑張っていこう!乾杯!」
酷暑の中、スーツにネクタイで満員電車で移動してきた喉にビールが沁みた。
それは皆も同じようで、あちこちから「あぁ~」という感嘆の声が聞こえる。
一品一品趣向の凝らされた前菜をつまんでいると、やがて再び襖が開き、中居さんがお肉を持ってきた。
淡いピンクにも見える、細かなサシの入った大きなすき焼き肉。
「では最初は、私どもがご用意させていただきます。二枚目からはお客様がご自由にお召し上がり下さい。卵を溶いておいて下さい」
そう言って仲居さんがコンロに火を点けて、お鍋に出汁を注いだ。
軽く沸き立つと、そこに肉を入れて手早く広げる。
──え?
すき焼きといえば、まず牛脂を溶かして肉を広げ、砂糖を直接振って醤油をかけるものじゃないのか?
それで何枚か肉を楽しんでから、野菜を入れ、日本酒を注ぎ、砂糖と醤油を足していく。
僕が知っているすき焼きといえばこれなのだが、ここは違うようだ。
いつかテレビで見たことのある関東風の作り方ってやつか。
大阪の超有名老舗店でこれは意外だった。
「はい、そちらの方、どうぞ」
順番に肉を溶き卵の入った呑水に入れてくれる。
「お先に!」
と、口を付けた同僚たちが、次々に
「!!!!」
と声にならない声を挙げていく。
そんなに美味いのか。
早く食べたい。
やっと次は僕の番だ。
「どうぞ」
入れてもらった肉を卵に絡めて口に運ぶ。
ふわっと溶けた脂の匂いとお出汁の香りが鼻をくすぐった。
「!!!!」
なんだこれは!
口に入れた瞬間、強烈な旨味が広がったと思った次の瞬間には、肉が溶けて消えていた。
後味に芳醇な肉汁の味と脂の甘さと出汁の香りを残して。
僕だってそれなりに美味しいすき焼きは食べたことはあるつもりだ。
何と言っても地元は近江牛の本場なのだ。
これくらいサシの入った近江牛のすき焼きだって食べたことはある。
ただ、肉の違いと言うよりは料理法の違いだろうか、砂糖と醤油を直接かけて焼いた肉の直接的な美味しさに対して、この店の肉は…
確かにすき焼きらしい甘さと醤油の香ばしさはある。
でも、それが、とても柔らかく優しくふわあと広がるのだ。
こんなすき焼きは初めてだ。
「それじゃすき"焼き"やなくてすき"煮"やん!」
テレビで見て笑ってた自分は間違っていたのか。
いや、関東風が優れているのではなく、この店が格別なんだろう。
そんな事を考えながら余韻に浸っている間に、中井さんはお鍋にネギ、しいたけ、豆腐、糸こんにゃくを綺麗に並べ、
「後はお肉をお好きに入れて召し上がって下さい。最後にこちらの三つ葉を軽く火を通して。こちらは割り下、味が薄かったら足して下さい。煮詰まってきたらこちらのお酒を足して下さい。ご飯はそちらのお櫃、無くなったらおかわり持ってきますのでご自由に」
と説明して下がっていった。
「美味いなー」
「すごいなこれ」
「美味しい」
皆やっと口々に声に出してこの特別なすき焼きへの賛辞を並べ始めた。
僕はネギに火が通るのを待って次のお肉を鍋に入れ、薄くピンクが残った状態まで火を入れてからさっと三つ葉を入れて、他の具材と一緒に自分の呑水に取った。
肉はやはり素晴らしい芳香と後味とともに口の中で溶けて消え、旨味を吸った豆腐、ネギ、しいたけ、糸こんにゃくは、どれもありふれた食材なのに尊いまでの高みに達していた。
三つ葉の爽やかな香りがそれをまとめ上げる。
白ご飯が止まらない。
「おいおい中田くん、エラい勢いやな」
事業部長が笑い、周りの皆も釣られて笑った。
なんとでも言ってくれ。
こんなに美味いすき焼きを、遠慮してちまちま食べてなんかいられない。
肉、野菜、ご飯、肉、野菜、糸こんにゃく、ごはん。
「すみません、卵のおかわり下さい」
肉、しいたけ、糸こんにゃく、ごはん、肉、ごはん。
僕だけじゃない、同じテーブルの小森も、盛田くんも大谷さんまでもがこのループの虜になっていた。
「ふう、ごちそうさまでした」
大満足だ。
内定者の皆も、事業部長も、みんな頬を紅潮させて満足げな笑みを浮かべていた。
やがて回はお開きとなり、事業部長の
「では、次回は十月一日の内定式まで、みんな大事なく過ごして下さい」
という挨拶で締めくくられた。
階段を降りて玄関に向かうと、ずらりと白い紙袋が並んでいた。
「おみやげの、名物の牛の佃煮です。どうぞご自宅でお召し上がり下さい」
見送りに出てきた女将さんらしき人がそう言った。
下足番の人が靴を並べてくれる。
これが一流の老舗というものか。
本当に美味しかった。
単に美味しい料理を食べたというだけではなかった。
あれはきっと、「店の格」とか、「粋」とか、「旦那衆」とか、
そういう文化ごと味わう体験だったのだと思う。
舞子へのお土産もできた。
これも間違いなく白ご飯が進むやつだ。
きっと舞子は、ほっぺたを膨らませながら夢中で食べるだろう。
阪急の、高級感あるウッディな車内でそんなことを考えながら、僕は京都へ向かった。
帰ったら、舞子はまだバイトだろうか。
もし起きていたら、
今日食べたすき焼きの話を、きっと夢中でしてしまう気がした。




