2-2 潜龍の初恋と、松川に消えた幼き命
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
かつて源氏と平氏が覇を競い、平家の栄華が極まっていた時代――。
伊豆の地に流された一人の貴公子、源頼朝。彼がまだ牙を隠し、潜龍として時を待っていた頃、そこには歴史の表舞台には残らぬ、あまりにも残酷で切ない「愛と死」の物語があった。
今回は、後の鎌倉殿・頼朝が最初に愛した女性と、その幼き命を襲った悲劇について語ろう。伊東氏と北条氏。二つの翼のうち、一方が栄え、一方が絶えた理由が、ここにある。
永暦元年、平治の乱に敗れた源頼朝は、わずか十三歳にして伊豆の地へと流された。死を免れたとはいえ、そこは縁もゆかりもない辺境の地。頼朝を監視し、かつ支えたのは、この地の有力豪族である北条時政、そして伊東祐親の二人であった。
頼朝が二十歳を過ぎた頃のこと。伊東祐親には四人の娘がいた。長女は三浦介の妻。次女は工藤祐経に嫁ぐも、祐親の強引な差配で連れ戻され、土肥遠平に再嫁させられた。そして三女と四女は、まだ伊東の館にいた。
中でも三女は、近国に知らぬ者はないほどの美人であった。流人生活の徒然か、それとも運命の導きか。頼朝は密かに彼女の元へ通い、二人は褄を重ねる仲となった。
二人の愛は深く、やがて一人の男児が産声を上げた。頼朝はこの上ない喜びとともに、我が子に「千鶴御前」という名を授けた。
「今はまだ、習わぬ鄙の住まい。勅勘を被った身ではあるが……。この子が十五になった暁には、秩父、足利、三浦、鎌倉……坂東の武者たちを呼び集めよう。そして平家を打ち倒し、源氏の果報がどれほどのものか、天下に見せつけてやるのだ」
潜龍・頼朝は、小さな千鶴を抱きしめ、密かな野望をその瞳に宿していた。
幸せな時は、長くは続かなかった。千鶴が三歳になった春のこと。都での勤めを終えた伊東祐親が、数年ぶりに伊豆へと帰還した。
ある夕暮れ。祐親が館の美しい花園を眺めながら奥へと入っていくと、そこには乳母に抱かれ、庭(前栽)で無邪気に遊ぶ幼い子供の姿があった。気品に溢れ、どこか高貴な面差し。
「……見慣れぬ子だ。あれは誰だ?」
祐親が問いかけると、乳母は顔を真っ青にして絶句し、返事もせずに子供を抱えて逃げ去ってしまった。
不審に思った祐親が館に入り、後妻である妻に詰め寄る。
「前栽に、三歳ばかりの気品ある子がいた。誰の子だと問うても乳母は逃げ去った。一体、何事だ?」
その妻は、三女にとっては継母にあたる。彼女はこの好機を逃さなかった。
「……ああ、あの子のことですか。あなたが都にいらした間に、あのお姫様が、私の制止も聞かずに設けた公達ですよ。あなたにとっては、めでたい『お孫様』ですわね」
彼女は、あざ笑うかのように続けた。
「お相手は、あの中途半端な流人――源頼朝殿ですよ」
『讒臣は国を乱し、妬婦は家を破る』
まさにその言葉通り、彼女の嫉妬混じりの告げ口が、伊東一族の破滅へのトリガーを引いたのである。
「……頼朝だと!?」
祐親の怒りは凄まじかった。
「親の承諾もなしに婿入りするとは何事だ! 相手が乞食や非人ならば、まだ許しようもある。だが、よりによって平家の敵、源氏の流人を婿に取るなど……。そんなことが平家に知れれば、わしの一族は皆殺しだ!」
恐怖と怒りが、祐親の理性を焼き尽くした。
「毒虫は頭を砕いて脳を取り、敵の末裔は胸を裂いて肝を取れと言う。……そのガキを連れてこい!」
祐親は郎等たちを呼び寄せ、震える娘から千鶴を奪い取らせた。向かった先は、松川の奥深く。深い森に包まれた「とときの淵」。
「父上! おやめください! あの子に罪はございません!」
娘の叫びは届かない。祐親は、泣き叫ぶ三歳の千鶴を重い柴の中に閉じ込め、逃げられぬよう括り付けると、そのまま冷たい淵の底へと沈めさせた。
かつての英雄の末裔が、泥にまみれた淵の底で、物も言わずに絶命した。あまりにも無慈悲で、あまりにも救いのない「一族の恥」の始末であった。
祐親の凶行は、これに留まらなかった。彼は頼朝を殺害すべく刺客を向け、愛し合っていた娘を頼朝から強引に引き離した。
「流人との情事など、夢だと思え。お前にはふさわしい夫を用意してやる」
祐親は、同じ伊豆の住人、江間小四郎という男を呼び、泣き崩れる娘を無理やり嫁がせた。
頼朝と語り合った愛の衾は取り上げられ、見も知らぬ男との新枕を強いられる。袖を濡らす彼女の涙は、もはや枯れ果てんばかりであった。
祐親は、すべては「平家への忠誠」のためだと自分に言い聞かせた。しかし、その行動はあまりにも度を超えていた。
かつての大国でも、王宮の権勢に怯え、道理を曲げて身を守ろうとした者たちがいた。だが、歴史が証明している。「余れる振る舞い」をする者の末路は、決して幸福ではない。
この事件を境に、伊東祐親と源頼朝の因縁は、修復不可能な「血の溝」となった。祐親は、平家への恐怖から源氏の血を絶とうとした。一方、北条時政は、頼朝という潜龍に賭け、やがてその翼となって天へ昇ることになる。
千鶴が沈められた松川の淵。その水の冷たさは、頼朝の心に深い傷と、そして「平家を滅ぼす」という鋼の決意を刻み込んだ。
北条の末は栄え、伊東の末は絶える。その残酷な運命の種は、伊豆の小さな淵の底に、静かに沈められていたのである。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔頼朝、伊藤に御座せし事〕
抑、兵衛佐殿、御代を取り給ひては、伊東・北条とて、左右の翼にて、いづれ勝劣有るべきに、北条の末はさかえ、伊東の末は絶えける、由来を詳しく尋ぬるに、頼朝十三の歳、伊豆の国に流されて御座しけるに、彼の両人を打ち頼み、年月を送り給ひけり。然るに、伊東の二郎に、娘四人有り。一は、相模の国の住人 三浦介が妻なり。二には、工藤一郎祐経に相具したりしを取り返し、土肥の弥太郎に合はせけり。三四は、未だ伊東がもとにぞ有りける。中にも、三は、美人の聞こえ有り。佐殿聞こし召して、潮のひる間の徒然と、忍びて褄を重ね給ふ。頼朝、御志浅からで、年月を送り給ふ程に、若君一人出で来給ふ。
〔若君の御事〕
佐殿、喜び思し召して、御名をば、千鶴御前とぞ付け給ひける。つらつら往事思ふに、旧主が住まひし、古風のかうばしき国なれ共、勅勘をかうむりて、習はぬ鄙の住まひの心地ぞ有りつるに、此の物出で来たる嬉しさよ、十五にならば、秩父・足利の人々、三浦・鎌倉・小山・宇都宮相語らひ、平家に掛け合はせ、頼朝が果報の程をためさんと、もてなし思ひかしづき給ふ。かくて、年月をふる程に、若君三歳になり給ふ春の頃、伊東、京より下りしが、しばし知らざりけり。或る夕暮に、花園山を見て入りければ、折節、若君、乳母にいだかれ、前栽に遊び給ふ。祐親、是を見て、「彼は誰そ」と問ひけれども、返事にも及ばず、逃げにけり。あやしく思ひて、即ち、内に入り、妻女にあひ、「三つばかりの子のものゆゆしきをいだき、前栽にて遊びつるを、「誰そ」と問へば、返事もせで逃げつるは、誰にや」と問ふ。継母の事なりければ、折をえて、「其れこそ、御分の在京の後に、いつきかしづき給ふ姫君の、童が制するを聞かで、いつくしき殿して設け給へる公達よ。御為には、めでたき孫御前よ」と、をこがましく言ひ成しけるこそ、誠に末も絶え、所領にもはなるべき例なり。然れば、「讒臣は国を乱し、妬婦は家を破る」と言ふ言葉、思ひ知られて、あさましかりける。祐親、是を聞き、大きに腹を立て、「親の知らざる聟や有る。誰人ぞ。今まで知らぬ不思議さよ」と怒りければ、継母は、訴へすましぬるよと嬉しくて、「其れこそ、世に有りて、誠に頼り坐します流人、兵衛佐殿の若君よ」とて、嘲弄しければ、いよいよ腹を立て、「娘持ち余りて、置き所無くは、乞食非人などには取らするとも、今時、源氏の流人聟に取り、平家に咎められては、如何有るべき。「毒の虫をば、頭をひしぎて、脳を取り、敵の末をば、胸をさきて、胆を取れ」とこそ言ひ伝へたれ。詮無し」とて、郎等呼び寄せて、若君いざなひ出だし、伊豆の国松川の奥を尋ね、とときの淵に柴づけにし奉りけり。情無かりし例也。是や、文選の言葉に、「しやうにみちては、瑞を豊年に現し、丈に有りては、禍をはんとくに現す」。誠に余れる振舞ひは、行く末如何とぞ覚えける。剰へ、北の御 方をも取り返し、同じき国の住人江間の小四郎に合はせけり。名残惜しかりつる衾の下を出で給ひて、思はぬ新枕、かたしく袖に移り変はりし御涙、さこそと思ひ遣られたり。是も、祐親が、平家へ恐れ奉ると思へども、わうきう・董賢ふん、三百たるにも、楊雄・仲舒ふんか、其の門につまびらかにせんにはしかずと見えたり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




