第2話 身体測定
「ちょっと蓮!あんた何勝手に野生種なんか拾ってきてんのよ!」
厩舎のアルミサッシの引き戸を開けるなり、白衣姿の五十嵐真奈美が怒鳴り込んできた。
「真奈美、頼む!拾ったんじゃない、罠にかかってたのを助けたら、勝手についてきちゃったんだよ!」
「だからって無断で連れ帰ったら、ぽこ保法違反で一発営業停止よ!あんた、罰金払えるの!?」
「払えるわけないだろ!でも、怪我してるかもしれないし、放っておけなかったんだよ!」
幼馴染であり、獣医師兼ぽこ保法査察官でもある真奈美は、眉間に深いシワを寄せて頭を抱えた。
「……はぁ。あんたのその計算しないお人好し、本当にいつか身を滅ぼすわよ」
「頼むから助けてくれないか。このままだと、俺もこいつも路頭に迷っちまうんだ」
「んーもう!わかったわよ!私が『保護個体の緊急避難先』として書類をねじ込んであげる。あーそれから、一時預かりの保証人にもなってあげる」
「本当か!?恩に着るよ!」
「その代わり、この子の計測結果、PCSの報告は義務よ。ほら、ちょっとそこ押さえてて」
真奈美は白衣のポケットからメジャーを取り出し、すのこの上で不機嫌そうに寝そべるパウ種に近づいた。
「いい子にしてなさいよ。お腹周りを測るだけだから」
「パフッ!」
パウ種が威嚇するように身をよじった瞬間、そのお腹が異様な弾力を発揮した。
「えっ、何このお腹……硬っ!」
真奈美がメジャーを回そうとお腹に押し込んだ瞬間、高圧ゴムタイヤのようにパンパンに張った太鼓腹が、強烈な反発力でメジャーを弾き返した。
「きゃっ!?」
バチンッ!と音を立てて弾け飛んだ硬い巻き尺の先端が、真奈美の額にクリーンヒットする。
「い、痛ぁーっ!!なによこの反発力!普通のマシュマロ腹じゃないわ!」
額を押さえて悶絶する真奈美を尻目に、パウ種は「ポきゅ、ポきゅ」と喉を鳴らし、勝手に自分の腹を前足でポリポリと掻いていた。
「……真奈美、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ!脳みそピーナッツ大の野生ダヌキめ……!これだから調教されてない子の面倒は嫌なのよ!」
怒り狂う真奈美と、どこ吹く風で欠伸をするパウ種。
借金まみれの厩舎に、嵐のような同居生活が幕を開けようとしていた。
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その日の午後、蓮は財布からなけなしの小銭を掻き集め、裏山をさらに登った獣道の先へと向かった。
目指すのは、炭焼き工房を構える竹細工職人であり、「竹取り名人」の異名を持つ源爺の作業場だ。
「源爺、いるか?」
木屑の舞う工房を覗き込むと、藍染めの作務衣を着た筋骨隆々の老人が、極厚の孟宗竹を特注の鉈で一刀両断しているところだった。
「なんだ蓮。まだ親のすねをかじって生き延びとるのか」
「人聞きが悪いな。今日は頼みがあって来たんだ。ポッコリ竹を分けてくれないか?」
蓮が手のひらの硬貨を見せると、源爺はピタリと鉈を止め、鋭い眼光で蓮を睨みつけた。
「厩舎は空っぽだろうが。何に使う気だ」
「山で罠にかかってたパウ種を拾ったんだ。真奈美に頼んで特例ライセンスも申請した。あいつ、相当腹を空かせてて……」
その言葉を聞いた瞬間、源爺は鼻で笑い、呆れたようにため息をついた。
「腹の減り具合も見抜けん奴が、よりによってパウ種なんか拾いおって。あんな野生の塊、お前みたいな半端者には到底扱いきれんぞ」
「わかってる。でも、見殺しにはできなかったんだ」
蓮のまっすぐな目を見た源爺は、チッと舌打ちをして工房の奥へ歩いていく。
そして、瑞々しい緑色をした上質な若竹を一本引き抜くと、蓮の胸ぐらめがけて乱暴に放り投げた。
「持ってけ。その代わりその拾った命、無下にすんじゃねぇぞ」
「ありがとう、源爺!」
「金はいらん。出世払いで特上の酒でも持ってこい」
ツンデレ気質な職人の優しさに感謝しつつ、蓮は極上のポッコリ竹を抱えて厩舎へと駆け戻った。
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「おーい、飯を持ってきたぞ。……それと、今日からお前はゴンタだ」
帰り道でふと思いついた、深く考えることもなく直感で決めた名前だ。
蓮がすのこの上でふて寝しているパウ種――ゴンタの前に若竹を差し出すと、ゴンタは面倒くさそうに薄目を開けた。
だが、竹から漂う新鮮な香りを嗅ぎ取った瞬間、目の色が変わる。
ゴンタは短い前足で極上の若竹を器用に抱え込むと、強靭な顎の力で「バリィッ!」と真っ二つに噛み割った。
「うおっ、すげえ顎力……」
一般的なエリート種が上品に咀嚼するのとは違い、ゴンタは野生の生存本能を剥き出しにして、バキバキと音を立てて竹を貪り食っていく。
その豪快な食べっぷりを見ているうちに、蓮の胃袋が「きゅるる……」と情けない音を鳴らした。
朝からもやししか食べていないのだから当然だ。
すると、竹を咀嚼していたゴンタの動きがピタリと止まった。
ゴンタは冷ややかな半目で蓮を一瞥する。
その視線には、明らかな憐れみが混じっていた。
(にしても細っそ!飯食ってんのかコイツ)
三歳児程度の知能を持つゴンタは、そんなことを思った。
立派な太鼓腹こそが強者の証であるパウ種にとって、腹も出ておらず枝のように細い蓮の姿は、あまりにも頼りなく映っているらしい。
野生の直感が「この放っておいたら死にそうな哀れな生物を、自分が何とかしてやらねばならない」という、盛大な勘違いの保護本能を働かせている。
ゴンタは自分の口から繊維だらけの噛み残しを吐き出すと、泥のついた竹の切れ端と一緒に「ほら食え」と言わんばかりに蓮の膝の上へ押し付けてきたのだ。
「えっ?いや、俺は固すぎて食えないからいいって。お前が食えよ」
「プギュ!」
遠慮する蓮に対し、ゴンタは苛立ったように鼻息を荒くし、泥つきの竹を蓮の口元にグイグイと押し込んでくる。
「わ、わかった!食うから!」
(もちろん、食うふりだけど)
完全に主従関係が逆転している。
助けたはずの野生個体に「哀れな弱者」として見下される、奇妙な同居生活が始まった瞬間だった。




