第1話 野生のポッコリオン
「あー……。また来てる。しかも今回は一番見たくない赤い封筒か」
陽之宮蓮は、錆びついた郵便受けから溢れ落ちる封筒の山を見て、深々と重いため息をついた。
宛名は『陽之宮ファーム』。
しかし中身はすべて、第二種興行飼育免許の更新料や、地元の信用金庫からの借金の督促状である。
「更新料、五十万。……それに今月の返済分が十万。払えるわけないだろ。今のうちの厩舎には、出走できるポッコリオンがゼロなんだからよぉ」
ペラペラの紙切れ一枚が、蓮の肩にずっしりと重くのしかかる。
「蓮ー!朝ご飯の用意できたよー!」
母屋であるボロ民泊『陽だまり荘』の台所から、母・千代の暢気な声が響いた。
「いま行く!」
縁側のボロ網戸を開けて茶の間に入ると、ちゃぶ台の上には特売のもやし炒めと、少し黄ばんだ白米が並んでいた。
「あんた、また首に湿布貼って。厩舎に一頭もいないのに、どこで痛めてくるのさ」
「いや、これは昨日の大工仕事で……。ほら、裏庭の柵が少し壊れてたから」
「あんまし無理すんじゃないよ。どうせこのまま廃業の道をたどるしかないんだから」
知人から譲り受けた、二頭のポッコリオンは結果を残せず引退し、蓮が運営する現在の厩舎はもぬけの殻だ。
(廃業できるならとっくにしてる。四年前、育成所を追放されて絶望していた俺を救ってくれたのは、親父の泥臭いやり方だった。その親父が急死して遺したこの厩舎を継ぐため、倒産を防ごうと宿の土地まで担保に入れて借金したんだ)
責任感の強い蓮は、厩舎を潰せば家族全員が路頭に迷うことを心配していた。
(それにこのままじゃ、せっかく苦労して取った免許が本当に剥奪されちまう。なんとかして新しい個体を仕入れないと……いや、仕入れる金すらないんだけどな)
シャキシャキと特売もやしを啜りながら、蓮は慢性的な胃の痛みに顔をしかめた。
「母さん、ちょっと裏山に行ってくる」
「山菜かい?気をつけてねー。晩ご飯のおかず、期待しないで待ってるよ」
「任せておいて」
食費を少しでも浮かすため、蓮は泥のついた長靴を履き、山へ向かった。
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「ワラビにゼンマイ……おっ、こっちはタラの芽か。これで三日はもやし炒めから解放されるな」
竹林を抜けた獣道で、蓮が背負いカゴに山菜を放り込んでいると、斜面の奥から異様な鳴き声が聞こえた。
「パフッ!プギュッ!」
威嚇のような、しかし全く迫力のない、どこか気の抜けた声。
蓮が音のする方へ駆けつけると、茶褐色のボサボサな毛並みを持つ丸っこい生物が、猪用のくくり罠にもがいていた。
「ポッコリオン……?嘘だろ、しかも野生のパウ種かよ!?」
パンダとタヌキを足して球体に近づけたようなフォルム。
体重の四割が集中しているという巨大な太鼓腹が、無惨にもワイヤーに締め付けられている。
「おい、大丈夫か!?今外してやるからな!」
「プギューッ!」
近づく蓮に対し、野生個体は目を吊り上げて短い前足をバタバタと振り回した。
(完全にパニックになってる。このままじゃ、もがいてお腹が傷ついちまう!)
蓮は躊躇することなく泥だらけの斜面に飛び込み、暴れる個体の巨大なお腹と罠の間に、自らの腕をねじ込んだ。
「痛っ……!暴れるな、お前を助けたいんだ!」
ゴンッと、泥だらけの後ろ足が蓮の顔面を蹴り飛ばす。
「ぐっ……!いいから、少しだけじっとしてろって!」
それでも蓮は両腕で強靭なお腹を抱え込み、自身の体重をかけてワイヤーのロックを外した。
シュポッ!
「……よし、抜けたぞ!」
罠から解放された個体は、ボヨンと一回弾んで着地すると、眠たげな半目で泥だらけの蓮をじっと見つめた。
「お前、怪我はないか?歩けるか?」
返事の代わりに、その個体は「フンッ」と鼻息を鳴らすと、ドカッとその場に座り込んであくびをした。
「怪我もないみたいだし、ほら、さっさと森の奥に帰りな。二度と里へ降りてくるなよ」
蓮は立ち上がり、シッシッと手を振って山の斜面を指差した。
だが、その個体は全く動こうとしない。蓮が山菜の入った背負いカゴを担ぎ直し、下山しようと歩き出すと――
ズシン、ズシン。
背後から、泥を踏みしめる重々しい足音がピッタリとついてきた。
「おい、ついてくるなって!お前の家は山だろ!」
蓮が振り返って両手を広げ、威嚇するように追い払おうとする。
しかし、丸っこい茶褐色の個体は「パフッ」と気の抜けた鼻息を漏らすと、蓮の後ろから早く行けと言わんばかりに、ずんずんと押してくる。
(なんなんだよこいつ……!助けてやったのに、まるで俺が案内係みたいじゃないか)
山を下りる道中、何度追い返そうとしても頑として森へ戻ろうとせず、蓮の足元に太鼓腹をすり寄せてくる始末。
そもそもパウ種は成獣になると親元を離れ、自らの縄張りや新たな相棒を求めて山中を彷徨う生態を持つ。
独り立ちしたばかりのこのポッコリオンにとって、この下山ルートはまさに新天地探しの旅路でもあった。
おまけに彼は以前にも山で罠に引っかかった経験があり、その時は自慢の腹筋を限界まで収縮させて何とか自力で抜け出したものの、二度と味わいたくない痛い目を見ていたのだ。
そんな厄介な拘束具を、この二本足の生き物は実にあっさりと外してみせた。
(こいつは使える)
彼が導き出した結論は、実にちゃっかりとした打算だった。
こいつの側にいれば、また面倒な罠に挟まってもすぐに外してもらえる。なんなら自分の移動式トラップ解除係としてキープしておけば、これからの単身生活も安泰というものだ。
野生の狡猾な勘違いが、彼の短い足をしっかりと人里へと向かわせていた。
山裾まで下りてきてしまった以上、野生動物を人里に放置するわけにもいかず、蓮は頭を抱えながら仕方なく厩舎まで連れ帰る羽目になったのだった。




