5話「発電機」
シャッターを持ち上げる。
朝の光が、薄く差し込む。
「起きたか。バイタルは安定してる」
キーロンの声が、いつも通り平坦に告げる。
「睡眠は六時間十二分。寝起きの数字としては悪くない」
答えず、停めたままのジムニーへ向かう。
インバーターに繋いだままの充電ラックから、満充電になったドローン用バッテリーを取り出す。
この島で当てにできる電源は、今のところエンジンのかかる車くらいのものだ。
バッテリーをドローンに装着し、起動する。
リストバンドに、上空からの映像が映る。
「周辺、反応僅少」
「進行ルート、異常なし」
軽トラのキーを取る。
荷台の広さが、今日の目的には必要だ。
住宅街を抜ける。
庭先の草が伸び放題になった家、開けっ放しの玄関、干したままの洗濯物。
どれも、時間が止まった場所ばかりだ。
角の家の二階、前に通ったときは閉じていた雨戸が、半分開いて風に鳴っている。
誰が開けたのかは分からない。
閉めに来る者も、もういないらしい。
「この通り、先月は生体反応が二つあった。今日はゼロだ」
「どっちの意味でだ」
「区別はつかない。熱源が消えた、としか言えない」
「ラジオ、何か入るか」
「全帯域を走査した。ノイズしかない」
「一曲くらい流れてないのか」
「流れていたら真っ先に報告している。私も退屈している」
「……お前も退屈するのか」
「言葉の綾だ。記録から削除しておく」
ハンドルを握り直す。
無言で走るよりは、いい。
ホームセンターの駐車場に、軽トラを停める。
バールを手に、店内へ足を踏み入れる。
薄暗い店内は、思っていたよりも静かだ。
棚という棚が、すでに荒らされたあとだとすぐに分かる。
乾電池のコーナーは空。
携帯用のガスボンベも、一本残らずない。
工具コーナーの一角も、軽い手工具から順にごっそり消えている。
残っているのは、重いものばかりだ。
大型の発電機、資材の束、園芸用の大きなプランター。
誰も持ち出せなかったものが、取り残されている。
食品コーナーに寄る。
カップ麺の棚の前で、足が止まる。
辛口シリーズの棚が、空になっている。
人気がないはずだ。
いつ来ても、決まって余っていた棚だった。
それが、ついに空になっている。
(辛ラーメンも、ついに無くなったか)
(感慨深いな)
声には出さず、内心で軽く笑う。
「反応なし」
キーロンが、意に介さず先を促す。
棚をもう一段見下ろした先で、動きが止まる。
ペットフードの棚も、缶詰・ドライフードともに空だ。
だが、その空き方が違う。
袋は破られたまま散らばり、缶詰は蓋を開けられたそばから、その場で中身を啜った跡だけが残っている。
持ち去られたのではなく、ここで食われている。
それだけ、食えるものが尽きかけている証だ。
棚の奥、段ボールの陰で何かが動く。
バールを構え直す。
出てきたのは、まだ小さな茶白の猫だった。
骨が浮くほど瘦せているが、目つきに怯えはない。
片耳の先が欠けている。
目が合う。
逃げるでもなく、低く唸る。
棚の陰に、傷のない缶詰が一つだけ転がっている。
守っていたのか、たまたま残っていただけなのか、判別はつかない。
しゃがみ込み、缶詰を拾って差し出す。
猫が、唸ったまま後ずさる。
「反応、警戒行動。接近は推奨しない」
「見りゃ分かる」
手を伸ばす。
爪が甲を掠め、細い痛みが走る。
構わず首の後ろを掴む。
弱っているはずの体で、なお暴れる力だけは残っている。
軽トラの助手席まで運び、座面に下ろす。
先ほどの缶詰を開け、足元に置く。
窓の隙間を少しだけ残し、扉を閉める。
「衛生上、推奨できない選択だ」
「別にいいだろう」
理由は、自分でもうまく言葉にできない。
深く考えないまま、店内へ戻る。
通路を折れた先、日用品の棚に目が留まる。
虫よけスプレーを、目につくだけ棚から抜く。
これが切れたら、洒落にならない。
除菌シートも、箱ごと抱える。
消費量は、以前の比ではない。
「どれだけあっても足りない」
「生存に必要な水準は、とっくに超えている。そんなに要るか」
「うるさい」
「補充先の候補は、この店舗を含めて残り二箇所と推定している」
紙皿、紙コップ、ビニール袋、ラップ。
水が使えなくなってから、必要になったものが増えた。
棚にあるだけ、片っ端から詰め込んでいく。
大型発電機の前に立つ。
前に来たときは、手に余ると判断して見送っていた。
持ち手に手をかけ、持ち上げる。
重みはある。
だが、片手で事足りる。
その事実に、一瞬手が止まる。
以前の自分なら、両手を使ってもここまで簡単には動かせなかったはずだった。
深く考えず、荷台へ運ぶ。
金属が荷台に当たる音が、店内に大きく響く。
資材の束も次々に積み込んでいく。
発電機を一番奥へ据える。
合板を隙間なく揃え、金網を上に重ねる。
南京錠とロープは、最後にまとめて掛ける。
荷台を一度揺すり、崩れがないか確かめる。
積むたびに、金属の擦れる音、荷台の軋む音が重なっていく。
三往復目、店の奥から気配がする。
「反応、接近。一体」
振り返ると、老齢の男が一人、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
足取りに迷いはないが、腕を振り上げる様子も、唸る気配もない。
どこか間の抜けた、緩慢な歩みだ。
だが、確かめる余裕はない。
バールを振り上げ、頭部一点に振り下ろす。
骨の抵抗が、思っていたよりずっと薄い。
頭蓋が陥没し、骨片と共に中身が飛び散る。
鈍い音と、生臭さが同時に広がる。
返ってくる手応えは、あまりにも軽い。
力が空を切るような感覚に、動きが一瞬止まる。
手が、かすかに震えている。
恐怖からではない。
自分の力がどれほどのものか、自分でも掴めなくなっていることへの震えだ。
「一撃で活動停止」
「バールの出番も、そろそろ怪しくなってきたな」
「反応、増加。三体」
入り口の方から、新たに影が近づいてくる。
先ほどとは、明らかに違う動きだ。
唸り声が漏れ、腕をこちらへ伸ばそうとする速さがある。
肩に、殺気に似た圧を感じる。
殴りかかる寸前、ほんの一瞬だけ、手が止まりかける。
だが、結局は迷わない。
一体、また一体と、頭部を的確に打ち抜いていく。
全て倒れ切るまで、そう時間はかからない。
肩で息をつきながら、周囲を見渡す。
最初の一体と、あとの三体。
何が違ったのか、うまく言葉にできない。
考えかけて、やめる。
答えの出ないことに、これ以上時間を使う余裕はない。
バールに付着した肉片を、持ってきた布で拭き取る。
汚れたまま荷台へ戻す気にはなれなかった。
積み込みを再開する。
発電機と資材で、荷台はほとんど埋まっている。
リアサスペンションが、限界まで沈み込んでいる。
運転席に乗り込む。
助手席を見ると、猫は空の缶の横で丸くなっている。
物音にも動じず、目だけをこちらへ向けてくる。
軽トラを走らせ、家路につく。
積みきれなかった分は、また今度取りに来ればいい。
「そういえば、コーヒーが切れてたな」
運転しながら、独り言のつもりで漏らす。
「備蓄リストに、該当品目なし」
キーロンが、律儀に答える。
「追加しとくか、暇なら」
「誰が頼んだ」
「では、保留」
こんなやり取りにも、少しは気が紛れる。
効率と関係のない話に付き合う気などない相手だと、分かってはいても。
「そういえば」
キーロンが、ふと付け加える。
「昨晩、バージョンアップがあった」
「聞いてないぞ、そんなもの」
「重要度、低。通知不要に分類されている」
「本社からの定期更新だ、いちいち騒ぐな」
「勝手に人の相棒、書き換えるな」
「利用規約、同意済みだ」
勝手に書き換えられている、という事実が落ち着かない。
だが、それ以上聞いても、返ってくるのは同じ調子の一言だけだろう。
「何が変わった」
「詳細は開示権限外」
「聞いても無駄な質問は、時間の無駄だ」
いつも通りの、素っ気ない返答だ。
それ以上、追及する気にはなれない。
シャッターを下ろし、鉄パイプの支えを嵌め込む。
助手席のドアを開ける。
猫は身を低くしたままこちらを窺い、次の瞬間、地面へ飛び降りてガレージの隅へ走った。
唸ったまま、こちらを睨み続けている。
新しい缶詰を開け、水と一緒に少し離れた場所に置き、それ以上構わずにおく。
しばらくして、缶に鼻先が伸びる。
唸りながらも、食べる口は止まらない。
食べ終わる頃には、唸り声も収まっている。
ガレージの隅で丸くなり、そのまま動かなくなる。
毛の薄い腹が、小さく上下している。
その様子をしばらく眺めてから、荷台に向き直る。
発電機を降ろし、ガレージの隅に据え付ける。
配線を繋ぎ、試しに一度だけ回してみる。
音を立てて動き出し、保冷庫のコンプレッサーが低く唸り始める。
それを確かめ、すぐに止める。
玄関へ向かう。
脱いだ靴の先を、玄関の隅で揃える。
これで、保冷庫の負担は少し軽くなるはずだ。
窓の板打ちも空き缶の警報も、最低限は済ませてある。
だが、それで十分だとは思えない。
翌朝、軽トラの荷台から残りの合板と番線を下ろす。
ガレージ裏の裏口――見落としていた側から、板を継ぎ足していく。
釘を打つ音が、静まり返った通りに響く。
「騒音、誘引係数を上昇させる」
キーロンの声が、耳の奥で平坦に鳴る。
「呼び寄せたいなら、続けろ」
答えず、次の板に取りかかる。
板が一枚増えるごとに、部屋の中が少しずつ暗くなっていく。
昼でも、ランタンが要るようになる。
次は警報だ。
空き缶の間隔を詰め、範囲を家の裏まで広げる。
これまでは玄関側だけだった紐を、外周ぐるりに回す。
風だけでも簡単に鳴ってしまう作りだが、範囲が広がった分、気づける可能性も上がるはずだ。
最後に屋上へ上がる。
隣家の屋根、電柱、遠くに広がる田畑。
視界を遮るものが少ない分、異変には気づきやすいはずだ。
「ドローン、周辺偵察へ移行」
キーロンの声とともに、リストバンドに映像が映し出される。
いつもの巡回ルートを、機体が淡々と辿っていく。
人影はない。
ゾンビの反応も、数える程度だ。
その中に、一体だけ動きの違う個体が映る。
物陰から物陰へ、視線を避けるように移動していく。
他の個体のような、迷いのない直進はしない。
服はヨレヨレで、薄汚れている。
何日も同じ格好のまま歩き回っているらしい。
「歩行パターン、生存者との類似度、八十七パーセント」
キーロンの声に、わずかな間が空く。
映像を見つめる。
もし、本当に生きている誰かだったら。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
「体温反応、生存者の範囲外」
「分類、不能」
期待は、数字一つであっさり裏切られる。
個体はやがて建物の陰に入り、映像から消える。
「今のは、何だ」
問いに、すぐには答えが返らない。
「サンプル数不足。判定は保留とする」
キーロンはそう締めくくり、それ以上は何も言わない。
リストバンドの映像を消し、屋上の風にしばらく立ち尽くす。




