38話「同族」
インカムから、キーロンの声が響く。
「接敵から十五分経過。混乱、最大。介入を推奨する」
アクセルを踏み込む。
敷地の北側で、ジムニーが急停止した。
運転席と助手席、二つのドアがほぼ同時に開く。
柵沿いでは、まだ槍の律動が続いていた。
だが、あちこちが乱れている。
デモ隊の残り火のような怒声に、隊員の悲鳴じみた指示が絡む。
隊列の継ぎ目が、ところどころで綻んでいた。
蓮は群れへ踏み込んだ。
右手に長バール、左手に剣鉈。
最初の一体の首を、バールが薙ぐ。
勢いのまま体を捻り、二体目の脳天へ剣鉈を突き立てた。
抜くと同時に踏み込み、三体目、四体目。
止まらない。
赤い旋風だった。
血飛沫が弧を描き、風に散る。
バールの一振りが遠心力で群れを削り、剣鉈の刺突がその隙間を縫う。
二つの得物が交差するたび、踊っているようにも見えた。
優雅さはない。
どこか壊れていて、そのくせ一つも無駄のない動きだった。
笹川は群れの外縁に回り、散弾銃を構えた。
蓮の旋回が緩んだ瞬間、トリガーを引いた。
銃声が、区切りのように響く。
次の瞬間、蓮の踏み込みが一段速くなった。
蜂谷は槍を構えたまま、動けずにいた。
目の前で、群れが見る間に数を減らしていく。
自分たちが費やしてきた時間を、あの二人は数分で追い越していた。
「……なんだ、あれは」
隣の隊員が呟く。
答える者はいない。
南の方角から、爆音混じりの絶叫が届いた。
隊員の無線が鳴った。
「南、搬入口! 応答しろ!」
返事はない。
北の隊列は、一人も抜けられなかった。
蓮の目が、一瞬そちらへ流れる。
バールは止まらない。
最後の一体が崩れ落ちた。
得物を軽く振って血を払い、蓮は南へ走り出す。
搬入口の惨状は、遠目にも分かった。
倒れた物干し台に、転がる荷台。
動かない体が、いくつも散らばっている。
数台のバイクに囲まれて、モヒカンが棒を杖に立とうとしていた。
膝が折れ、また崩れる。
男たちが、得物を構え直した。
長バールが唸る。
バイクごと薙ぎ払う一撃だった。
車体が横転し、乗り手が数メートル先まで吹き飛ぶ。
避けようとしたもう一人の背へ、剣鉈が沈んだ。
残りのバイカーは、それ以上向かってこない。
「……あいつだ」
「話が違うぞ。いるなんて聞いてねえ」
武器を放り出し、次々とバイクに飛び乗る。
乱れたエンジン音が、遠ざかっていった。
倒れた体の間に、モヒカンが座り込んでいる。
バールを地面に突き、蓮はその前にしゃがんだ。
手を差し出す。
モヒカンの目が、差し出された掌に留まる。
その手を、掴んだ。
蓮が引き起こす。
巨体が一度ぐらつき、膝が地面から離れた。
右脚を庇ったまま、それでも立った。
「……助かった、が。礼を言うのは、性に合わねえ」
「好きにしろ」
蓮は背を向け、歩き出した。
搬入口の段差に、蓮は腰を下ろす。
水筒の水を布に含ませ、バールを拭った。
乾く前の血が、布に移っていく。
剣鉈も同じ手順で拭い、鞘へ収める。
最後に、腕から手首にかけて散った飛沫を、一点ずつ拭き取った。
少し離れた場所から、モヒカンが座り込んだままそれを眺めている。
口は開かない。
足音が近づいてきた。
桐山だった。
「かなりの数を片付けたそうだな。おまけにアウトローまで撃退したと聞いた」
笹川が振り返り、にっと笑う。
「うちの連邦製、見たでしょ。色よい返事、期待してますよ」
桐山の口の端が、わずかに上がった。
「これなら、あのバカども……いや、上層部も動くだろうな」
北側では、蜂谷がまだ槍を握って立ち尽くしていた。
南の騒ぎは、もう収まっている。
担架が、何度も南へ往復していた。
あのとき、北の隊列からは誰も抜けられなかった。
南へ走ったのは、よそから来た男だった。
柄を握る指に、力がこもる。
「……なにが警備隊だ」
誰にともなく漏れた呟きは、喧騒に紛れて消えた。
モールの内科は、蛍光灯の白さがやけに目についた。
運び込まれたモヒカンが、診療台に座らされている。
菱沼が、消毒液を含ませたガーゼを手早く絞った。
「打撲、裂傷、あとは全体的にひどい打ちどころですね。全治二週間ってところです」
「へっ、こんなもん、二、三日で治る」
モヒカンが肩をそびやかす。
ガーゼを持つ菱沼の手は止まらない。
「そうですか」
脇腹に、指先が軽く触れた。
モヒカンの体が固まる。
「……ッ、痛くねえ」
「ではもう一度」
菱沼は顔色一つ変えず、同じ場所を、今度は少し強めに押す。
「ぐっ……!」
巨体が跳ねた。
呻きが、歯の隙間から漏れる。
「痛いでしょ、ここ」
「い、いや、別に」
「はいはい」
ガーゼを貼り、包帯を巻いていく。
その間、モヒカンの目は天井のあちこちをさまよっていた。
その足元で、茶白の猫がじっとモヒカンを見上げている。
バルカだった。
菱沼の足に寄り添って丸まっているが、耳はずっとモヒカンの方を向いていた。
モヒカンが、その毛並みに指を伸ばしかける。
前脚が一閃した。
「ぐわっ!」
指先を掠めた猫パンチに、モヒカンが手を引っ込める。
菱沼は驚きもせず、包帯を結び終えた。
「バルちゃん、私と蓮以外にはほとんど懐きませんから。諦めた方がいいですよ」
「……くそ、化け猫か」
指をさすって、モヒカンがぼやく。
バルカは何事もなかったように丸くなり、目を閉じた。
廊下の方から、足音が近づいてくる。
軽く、急いた歩調だ。
「姉さん、こいつが噂の――」
言いかけて、銀二が扉の前で足を止めた。
モヒカンを見上げる形になる。
数秒、誰も喋らない。
「……なんだこのデカブツは」
「あぁ。このひょろいのは、包帯でも運んできてくれたのか」
モヒカンが即座に言い返す。
銀二の眉間に皺が寄った。
「はいはい、二人ともそこまで」
包帯の余りを片付けながら、菱沼が間に割って入った。
「このあと恒例の食事会がありますから。銀二君、ついてきて。バルも行くよ」
バルカが眠そうに顔を上げ、のそりと起き上がる。
銀二はまだモヒカンを睨んでいた。
菱沼に袖を引かれ、渋々扉へ向かう。
扉が、軽く叩かれる。
「失礼します」
千鶴が顔を覗かせた。
畳んだ服の束を抱えている。
「着替え、お持ちしました。血がついたものは、もう使えないと思いますので」
台の脇に、そっと置く。
サイズが合うかどうかは、口にしない。
モヒカンの肩が、一瞬こわばった。
千鶴はそのまま踵を返す。
「……あ、ああ。悪いな」
声をかけたのは、モヒカンの方だった。
千鶴は振り返って会釈した。
「空いている部屋に、ご案内します」
モヒカンは診療台を降り、痛む脇腹を庇いながら後に続く。
「こちらがお部屋です。水回りは、廊下の突き当たりに」
簡素な個室を示し、千鶴はまた歩き出した。
女が相手だと、いつもはどうにも構えてしまう。
それが、なぜか今は平気だった。
廊下の角で、人影とぶつかりかける。
「おっと」
初老の男が、目を丸くしてモヒカンを見上げた。
「おお、でかいな」
垂水だった。
「まあな」
応じるモヒカンの口調が、さっきまでと違う。
「頭、気をつけろよ。裏の通路は天井が低い」
「……おう、忠告どうも」
垂水は軽く手を上げ、通り過ぎていく。
その背を見送るモヒカンの横顔から、険が抜けていた。
案内の終点は、フードコートだった。
テーブルの周りに、もう何人かが集まっている。
「おっちゃん、でけー!」
真っ先に駆け寄ってきたのは蒼だった。
物怖じもせず、首を反らしてモヒカンを見上げる。
「そのあたま何なの。尖ってるよー!」
「おう、これか」
モヒカンの口元が緩む。
子供が相手だと、途端に得意げになった。
「かっこいいだろ。これがモヒカンってやつだ」
「かっこいい! さわっていい!」
「おいおい、痛えから優しくな」
守屋が苦笑しながら近づいてくる。
「すみません、うちの子が」
「いや、構わねえよ」
モヒカンは守屋に向き直った。
「あんた、力仕事で困ってんなら言ってくれ。こっちは体だけは自信あるからよ」
「え……あ、ありがとうございます。助かります」
守屋が目を丸くして、頭を下げる。
厨房では、もう調理が始まっていた。
「クミン、先に」
蓮の短い指示に、千鶴が熱した油へクミンを落とす。
じゅわりと音がして、香ばしい匂いが立ち上った。
そこへ刻んだ玉ねぎを入れ、木べらで返していく。
その横に、いつの間にかモヒカンが居座っている。
何をするでもなく、千鶴の手元をぼんやり眺めていた。
「トマトも、そろそろ」
皮を剥いたトマトを刻み、鍋に落としていく。
続けて、すりおろしたりんご。
「甘み担当だそうです」
千鶴が、ぽつりと付け加える。
別の台では、守屋と蒼が野菜を切り分けていた。
蒼の手つきは、まだたどたどしい。
守屋がその都度、手を添えて直してやる。
蓮は自分の作業台で、計量したホールスパイスを見下ろしていた。
クミン、オールスパイス、カルダモン、コリアンダー。
コリアンダーだけが、他の四倍。
「配合、これで間違いないか」
『問題ない。前回と同じ比率だ』
キーロンの声が、耳の奥で応じる。
千鶴の炒めた玉ねぎとトマトとりんごを、大鍋に移す。
鶏ガラだしの粉末、うま味調味料、固形ブイヨンを順に加えた。
『市販の調味料が、前回より増えているな』
「かまわない。味が決まればいい」
水の代わりに、缶ビールを注ぎ入れる。
泡が立ち、アルコールの匂いが一瞬強くなる。
それもすぐ、煮込みの匂いに溶けていった。
ルーは、ほとんど使わない。
煮込みが落ち着いたところで、小鍋に油を引く。
火は弱いまま、スパイスを落とした。
粒のまわりに、細かな泡が静かに立つ。
クミンの土っぽい香りに、カルダモンの甘さが重なっていく。
最後に、コリアンダーの柑橘めいた爽やかさが鼻を抜けた。
蓮は小鍋の上で、その香りの層を確かめるように嗅いだ。
油ごと、大鍋へ回し入れる。
「蒼、これは平気か」
味見用の小皿を差し出す。
蒼が舐めるように口に含み、ぱっと顔を輝かせた。
「からくない! おいしい!」
チリは、最初から入れていなかった。
テーブルに皿が並んでいく。
菱沼が、黙々と食器を配っていた。
「姉さんは、調理はしないんですか」
銀二が首を傾げる。
「止められてるのよ」
菱沼はそう答えて、次の皿を置いた。
バルカは菱沼の椅子の下で、丸くなって眠っている。
「んじゃ、改めて」
皿を手に、モヒカンが立ち上がって周囲を見渡す。
「名前は、捨てた。モヒカンと呼んでくれ」
「捨てた名前とか、中二病かよ」
すかさず、銀二が茶々を入れる。
皿を持つ手を止め、モヒカンがじろりと睨んだ。
「うるせえ、事情があんだよ」
言い合いは、笑い声に紛れてすぐに収まった。
カレーが行き渡ると、食卓が一気に賑やかになる。
「うまい……なんだこれ、うまいぞ!」
モヒカンは一心不乱に皿を空にしていく。
二杯目、三杯目、四杯目。
五杯目のおかわりを持ってくる頃には、周囲は半ば呆れていた。
「くそ、負けてられるか」
銀二も対抗して、二杯目、三杯目とよそっていく。
誰も止めない。
蒼が皿を置いて、モヒカンの隣に座り直した。
「おっきいねー」
腕にしがみつき、ぶら下がるように揺れる。
「おいおい、こぼれるだろうが」
モヒカンは、その手を振り払わなかった。
守屋が苦笑しながら見守っている。
銀二が、またモヒカンを見やった。
「デカブツ、飯の食い方きたねえぞ」
「あぁ。てめえの方こそ、ちまちましやがって」
テーブル越しに、睨み合いが始まる。
その様子を、千鶴と菱沼が並んで眺めていた。
「似てますね」
千鶴がぽつりと言う。
「ええ、驚くほど」
菱沼が頷く。
「同族嫌悪ですね」
千鶴の一言に、あちこちから笑いが漏れた。
当の二人は、揃って口をへの字に曲げている。
その輪の端で、蓮はグラスを傾けていた。
琥珀色の液体が、照明を弾いて揺れる。
皿のカレーには、まだ手をつけていない。
「食わないんですか」
誰かが訊いた。
蓮の答えは短い。
「自分で作ったものは、食いたくない」
説明は続かない。
グラスを空け、瓶からまた注ぐ。
『本日の摂取カロリーの九割超が、アルコールだ』
耳の奥にだけ、キーロンの声が届く。
『栄養バランスが著しく偏っているな。これではアルコール中毒患者だ。……もっとも、中毒になれるのは体が健康な証拠だ。まだ安心していい』
「……」
蓮は答えなかった。
笑い声が、遠くに聞こえる。
モヒカンと銀二が、張り合うように皿を空けていく。
蒼が笑い、千鶴と菱沼が顔を見合わせる。
その輪から、蓮の椅子だけが半歩引いていた。
腹は、少しも鳴らなかった。
『三か月、ほとんど食べていない。それでも、体は少しも弱っていない』
「……俺は、まだ人間だと思うか」
『その判断に足るデータを、私は持っていない』
グラスの中で、氷が小さく鳴った。
蓮はそれを、静かに飲み込んだ。
(第二章 完)




