36話「すき焼き」
モール内科の診療台で、菱沼が肩の包帯を巻き直している。
白い帯が、手際よく重なっていく。
「動くと傷が開きます」
「……分かってるよ」
足元で、バルカが丸くなっている。
銀二は、そちらを見ないようにしていた。
「訊きたいことがあります」
手を止めずに、菱沼が言った。
「答えられることなら答える」
「あんなところで倒れていた理由です」
「……昔、ヤクザやってた」
「昔」
「元の組が潰れてよ。世話になってた組も、追い出された」
菱沼が、手を止めた。
銀二の顔を覗き込んでくる。
銀二は天井を見上げた。
口が、なかなか開かない。
「ちょっとドジ踏んだ」
「ドジ」
「公民館で撃たれたのは、そのオマケだ」
それきり、銀二は口を閉じる。
菱沼はそれ以上訊かず、包帯の端を留めた。
トレーの器具を、音を立てずに片づけていく。
その背中を、銀二が目で追っている。
何か言いかけて、やめた。
治療台の上で、膝を揃える。
正座に近い格好になり、深く頭を下げた。
「――助けてくいやって、ありがとあんした」
途中から、言葉に訛りが滲んでいた。
菱沼はその後頭部を見下ろしていたが、やがてにっこりと笑う。
うんうんと、二度うなずいた。
銀二の目が、壁に立てかけた刀へ流れる。
その視線を、菱沼が遮った。
「……分かってるよ」
今度は、手を伸ばそうとしなかった。
「姉さんって呼んでいいか」
菱沼が目を丸くする。
「呼びたければ、どうぞ」
「じゃあ、姉さん」
そう言って、銀二は初めて笑った。
夕方、ジムニーが通用口に滑り込んでくる。
運転席から、蓮が降りた。
助手席の笹川は、少し遅れて出てくる。
垂水が駆け寄った。
「遅かったが、何かあったのか」
「マッドマックスに当たった」
蓮はそれ以上続けない。
代わりに、キーロンが割り込んだ。
「補足する。襲撃側は十七人。うち六人がバイクで離脱した。武装は鉄パイプと刃物が中心で、銃器は少ない。統率された組織というより、寄せ集めに近い」
少し離れて、守屋が立っている。
「あいつの具合はどうだ」
「もう軽口叩いてますよ」
垂水が笑う。
「今夜、歓迎会にしましょう」
「決めるのが早いな」
「待ちきれませんよ、もう」
言い終わる前に、垂水は厨房へ歩き出していた。
その背を見送って、蓮は守屋を呼んだ。
「笹川が、保育園で初めて人を撃った」
守屋の目が、ジムニーの助手席へ流れる。
「……そうですか」
「頼む」
「はい」
守屋が頷いた。
それから、一度だけ蓮を見た。
「新しい人間は入れん。そう決めたんと違いましたか」
「……ああ」
「連れて帰ってきたのは、蓮さんです」
「ええんです。ただ、そういうことやと」
守屋は軽く頭を下げ、垂水の後を追っていった。
夜、フードコートにすき焼き鍋がいくつも並ぶ。
卓ごとにコンロが据えられ、湯気が上がり始めた。
守屋と千鶴が、忙しなく卓の間を行き来している。
「野菜、これで足りるか」
「屋上のと、マートの分も合わせれば十分です」
千鶴が白菜を刻みながら答える。
マートで仕入れた豆腐は、大きめに切り分けてあった。
肉の焼ける匂いが、フードコートの天井まで上っていく。
割り下を差すと、鍋がじゅうと鳴った。
垂水が一升瓶を抱えて現れる。
「新人さん、これやるかい」
「マジか」
銀二の目の色が変わった。
「鹿児島の酒じゃねえか、これ」
「菱沼先生がね」
垂水が杯に注ぐ。
銀二は一息にあおり、長く息を吐いた。
「……染みるな」
目を細めて、杯をもう一度口へ運ぶ。
蒼が、遠慮なく銀二の隣に座り込んだ。
「ねえ、銀二って侍なの」
銀二の顔が、途端に得意げになる。
「侍じゃねえよ。居合いってやつだ」
「イアイ」
「刀を抜く速さで決まる。見てみるか」
箸を刀に見立て、手首だけで素早く振ってみせる。
蒼が目を輝かせた。
「はやい」
「だろ」
隣の卓で、菱沼が口元を押さえて笑っている。
鍋を囲む輪の端で、笹川の箸が止まっていた。
皿の上の肉も野菜も、ほとんど減っていない。
「笹川さん、食べないんですか」
千鶴が声をかける。
「……いえ、食べてます」
返事に、張りがなかった。
守屋が席を立ち、千鶴のそばへ寄る。
「そっとしといてやりましょう」
千鶴が、笹川の方を見た。
それきり、何も訊かなかった。
席に戻った守屋は、それきり笹川に触れなかった。
蒼が銀二に何かをねだる声、垂水の笑い声。
賑わいは途切れずに続く。
その中で、蓮の鍋は他と中身が違っていた。
野菜がほとんど入っていない。
積まれた肉が、赤みを残したまま口へ運ばれていく。
「定期更新が入る。二時間ほど、ドローンの制御が落ちる」
蓮は答えない。
箸の合間に、ジムビームの瓶が傾く。
グラスに注ぐ手間も惜しむように、直接口をつけていた。
キーロンは、それきり黙る。
笹川の皿の肉は、冷めて脂が白く固まっていた。




