33話「ニコニコマート」
コーヒー豆の香りが、狭い厨房スペースに満ちている。
ガリガリと氷を砕く音が、ミキサーの唸りに変わった。
粉末ミルクを溶いた白い液体に、シロップが螺旋を描いて沈んでいく。
いつもの面々を、モール内のカフェスペースに集めた。
それぞれが、フローズンドリンクやコーヒーを手にしている。
垂水だけは、缶のブラックコーヒーだった。
「垂水さん、せっかくだから淹れますよ」
「いらん。コーヒーなんか、これで十分なんだよ」
これまでの偵察データを、キーロンが報告することになっていた。
俺のカップだけは、中身の半分がジムビームに変わっている。
コーヒーの苦味と酒精が混じり合い、喉の奥をじりっと焼く。
「朝から飲んでるの、ずるい」
菱沼が、責めるでもなく素直に羨ましがる。
「データを見るか」
「アルコール分解能力は、通常個体比で大幅に上昇している。飲んでも、ほとんど体に残らない。酔うために飲んでいるなら、無駄な習慣だ」
「それは羨ましいような、悲しいような……。私、大して飲めないけど」
菱沼が首を傾げ、膝の上のバルカを撫でる。
バルカは嫌がる素振りも見せず、目を細めていた。
「検知数の分布は、先週から変わっていない」
キーロンが、話を戻す。
「六勢力の周辺に集中し、それ以外の区域では空白化が進んでいる。減少に転じた区域はない」
ミキサーの音が止んで、店の中が静かになった。
「待っていれば良くなる、と考えている人間がいるなら、先に言っておく。そう読める数字は、一つも出ていない」
垂水が、缶コーヒーを傾けた。
「そもそも自衛隊はどうなってるんだ。なんで一度も来ない」
「観測できる範囲では、組織的な救援・鎮圧行動は一度も確認されていない」
キーロンは、それだけ短く答えた。
「まだ、どこかで態勢を立て直してる最中なんじゃないのか」
垂水が、缶を軽く振る。
「この国が、簡単にどうにかなるとは思えん」
頷く者も、否定する者もいなかった。
「これからどうしたいか、一人ずつ聞かせてくれ」
守屋は少し黙ってから、口を開いた。
「蒼と……どっか、落ち着けるとこ探したい」
そこで言葉を切り、こちらを見る。
視線は、すぐに逸れた。
「蓮さんの力がどんだけがいなか、分かっとる。分かっとるんやけんど……」
語尾が萎む。
「怖いんは、怖いんや」
それ以上、突っ込む者はいない。
「旧都の実家から、何回か連絡が来てたんです。途切れ途切れですけど」
千鶴が言った。
「最後に届いたのが……『スカイリンク経由で連絡を取ってほしい』って」
紙コップの縁を、指でなぞる。
「それきりです。こっちからかける方法も、ないままで」
一度、息を継いだ。
「私、探しに行きたいです。実家がどうなってるか」
「私の実家、副首都なんです」
菱沼が、軽く手を挙げる。
「両親がいるかどうかも分からないんですけど、行くときは、一緒に連れてってもらえると助かります」
言い終えてから、膝の上に目を落とす。
「あ、バルカも一緒で」
垂水が鼻を鳴らし、缶を置いた。
「俺は、まだ決めてない」
そう言って、また拾い上げる。
「態勢を立て直してるどこかが、まだあると思ってる方だからな」
今度も、誰も口を挟まなかった。
笹川は、自分から外へ出ると言い出した。
「外の様子、見ておきたいんですよね。端末の目利きとか、交渉材料の見極めなら、僕が適任でしょうし」
探すものは、副首都までの安全な道と、スカイリンクが使える場所だ。
茉莉花の手がかりも、拾えるなら拾う。
笹川と二人で外へ出ることにした。
通用口の前で、装備を確かめる。
笹川は防弾チョッキを着込み、散弾銃を助手席の足元に立てかけた。
警棒を腰に差し、最後に襟元からネックレスを軽く引き出す。
指輪の感触を確かめてから、シャツの内側へ戻した。
千五百ミリの長バールと剣鉈は、運転席の脇に立てかける。
拳銃は腰のホルスターに、散弾銃は運転席の足元へ置いた。
格好は、シャツにジーンズのままだ。
後部座席には、段ボールを積んである。
煙草、インスタントコーヒー、缶詰、酒瓶。
モールで余った宝飾品と、ドラッグストアの消毒液や鎮痛剤も少し入れた。
交渉用の品だ。
乗り込む直前、笹川が虫よけスプレーを取り出し、こちらへ一吹きした。
「ほら、蓮さんも」
「耳と顔にも頼む」
「注文多いなあ」
笑いながら、笹川が顔の周りにも吹きかける。
缶を振る音と噴射の音が、続けて響いた。
垂水が、搬入口のシャッターを半分だけ上げる。
「気をつけろよ」
「行ってきます」
サングラスをかけ、アクセルを踏んだ。
最初に向かったのは、ドローンで見つけていた中学校の避難所だった。
正門が見えてくる。
バリケードと呼ぶには心許ない、机と椅子を積んだだけの防壁だ。
島の高校を思い出す。
畑があった。
洗濯物が、規則正しく干されていた。
子供たちの笑い声があった。
ここには、その気配がどこにもない。
出てきた住民たちは、服も肌も薄汚れている。
目だけが妙に大きく、こちらを窺っていた。
「敷地内の詳細偵察が完了した」
キーロンの声が、骨伝導越しに響く。
「スカイリンク端末の反応はない。武装、防衛設備ともに確認できない。拠点としての価値はないと判断する」
笹川が前に出て、代表らしき男と言葉を交わす。
スカイリンクの有無、周辺の情報。
問いかけるたびに、首が横に振られた。
少し離れた位置に立ち、周囲を警戒しながらそのやり取りを眺める。
笹川が段ボールから食料をいくつか取り出し、住民の手に押しつけた。
「今度、もう少し持ってきてあげましょう」
何も言わず、ジムニーに乗り込んだ。
次に見えてきたのは、鉄骨とコンテナで組まれた門だった。
中学校とは比べ物にならない造りだ。
有刺鉄線、監視台、迷彩ネットで覆われた見張り小屋。
門の手前で、ジムニーを止める。
人影はない。
だが、頭上のスピーカーがノイズ混じりに鳴った。
「ここはニコニコマートだ」
ざらついた声だった。
「お前ら、初めて見る顔だな。商売か、それとも飯か」
見張り台の陰で、レンズらしきものが小さく光る。
こちらを観察している。
笹川が、窓を少し下げた。
「持ってきたもんと交換で、こっちもいくつか聞きたいんですけど」
スピーカーが一度黙り、それから短く鳴った。
門が、ゆっくりと横に開いていく。
「入れ」
誘導されるまま、敷地の中へ車を進めた。
駐車スペースに停め、エンジンを切る。
中は、思いのほか賑わっていた。
露店には、出所の知れない機械部品やジャンク品が雑然と並んでいる。
その隣では、鉄板の上で何かの肉が焼かれていた。
串に刺さった肉の色は、正体を詮索する気になれない。
煙と一緒に、香ばしいような、少し饐えたような匂いが流れてくる。
奥には、ドラム缶を組んだ酒場らしき一角がある。
無頼な男たちが、立ったまま酒を呷っていた。
誰もが、腰や背に何かしらの得物を提げている。
剣呑な空気は消えないが、怒鳴り声も揉め事も見当たらない。
値切る声、笑い声、金属の触れ合う音が入り混じっている。
敷地の奥に、看板の一部が剥がれ落ちたホームセンターの建物があった。
中へ入ると、正面に鉄格子とベニヤ板で組んだカウンターが据えてある。
商品棚だったはずの空間は、ほとんど取引所の体裁に作り替えられていた。
カウンターの向こうに、ひときわ大きな影がいた。
スキンヘッドに、丸太のような腕。
値踏みする目が、こちらをじっと見ている。
「持ってきたもんを見せろ」
「これです……」
笹川がカウンターに歩み寄り、段ボールをそのまま置いた。
声が、わずかに上ずっている。
男が段ボールを開け、中身を漁る。
宝飾品の小箱を摘み上げ、ろくに見もせず脇へ放った。
小箱は乾いた音を立てて、床に転がる。
「ああ、ゴミだな」
続いて煙草の箱と酒瓶を取り出し、指先で軽く弾いて品定めする。
「上物だな」
男の口元が、わずかに緩んだ。
箱の底から消毒液と鎮痛剤のシートが出てくると、その手が止まる。
「おい、これなら買うぞ」
声の調子が変わった。
「薬だ。もっと持ってこい」
笹川が、身を乗り出す。
「スカイリンクが使える場所、知りませんか。あと、副首都から来た人間の噂とか」
男が、鼻を鳴らした。
「そんなもん知らねえよ」
片手を、ひらひらと振る。
「スカイリンクなんて代物、うちの規模じゃ持ってねえ。欲しけりゃ、もっとでかいとこへ行け」
カウンターの下から、小さな布袋を無造作に放り出す。
じゃらり、と重い音がした。
笹川が袋の口を開き、一枚つまみ上げる。
真鍮のワッシャーだった。
表面に、にっこり笑った顔の焼印が押してある。
「ここの通貨だ。敷地の中なら、露店でも酒場でも、これで通る」
ロックが、指先でもう一枚弾いてみせた。
澄んだ金属音が、鉄格子の内側で跳ねる。
「今日の分は、これだけだ」
男は煙草の箱から一本抜き取り、口の端にくわえた。
「また持ってこい。いいものなら、俺の口も軽くなる。俺の名前はロックだ」
取引を終え、ジムニーへ戻る。
行く手に、男が二人立っていた。
酒の匂いが、こちらまで漂ってくる。
一人が、わざと肩からぶつかってきた。
「いてぇな!」
大げさに顔を歪め、腕を押さえる。
「骨折れたんじゃねえのか、これ!」
唾が飛ぶ距離まで、顔を寄せてくる。
答える前に、手が動いていた。
男の頭を、鷲掴みにする。
指が頭皮に食い込む感触。
そのまま持ち上げた。
足が宙を掻く。
悲鳴が、途中で引きつった音に変わった。
「て、めぇ――」
もう一人が、怒声とともに突っ込んでくる。
握った頭を放り出し、腰を落とす。
踏み込みに合わせて、蹴りを叩き込んだ。
骨と肉のぶつかる鈍い音。
男の体が浮く。
背中から露店に突っ込み、木箱ごと潰れる音が響いた。
埃が舞う。
誰も動かない。
静寂の中、放り出された男が、地面に這いつくばってこちらを見上げている。
見開いた目の下で、唇が震えていた。
ポケットから除菌シートを一枚抜き、掌を拭う。
隣で、笹川がやれやれと肩をすくめる。
その視線には構わず、ジムニーに乗り込んだ。
エンジン音が、静まり返った敷地に響く。
助手席に乗り込んだ笹川が、シートベルトを締めながら呟いた。
「連邦製は伊達じゃないんだよなあ、これが」




