32話「六つの影」
キィィン、と甲高い唸りが空気を裂く。
直後に、腹に響く重低音が押し寄せた。
改造バイクの一団が、爆音の塊となって突き抜けていく。
誰かが、野太い叫びを空に向けて上げる。
別の誰かが、それに応えて吠えた。
先頭の一台が、土埃を巻き上げて蛇行する。
後続がそれに合わせて車体を振り、排気音を重ねる。
アスファルトの継ぎ目を越えるたび、
車体が跳ねて着地する乾いた音が続いた。
郊外の工場の駐車場に、改造バイクが何十台と並んでいる。
車体の塗装は剥げ、代わりにスプレーで殴り書きした模様が目立つ。
ドラム缶を囲んで、人影が動いていた。
何かを燃やしているのか、細い煙が一筋立ち上っている。
逆光で、顔までは見えない。
一人が、缶を蹴り飛ばす。
甲高い金属音。
別の一人がそれを追いかけて笑う声が、遠く歪んで届く。
有刺鉄線だった。
土嚢の積まれた正門、屋上に据えられた重機関銃らしき影。
正門前に装甲車が停まり、制服姿の人影がその周りを巡回している。
高度を下げすぎたのか、映像の揺れが大きくなる。
不意に、機関銃座が旋回した。
同じ速さで、腕が回っている。
スーツ姿の一団が横一列に並び、大きく腕を回していた。
ラジオ体操だった。
朝の光が、高層ビルとアンテナ塔、貯水設備を白く照らしている。
停電の進む市街の中で、そこだけ窓に明かりが灯っていた。
発電機の唸りらしき低い振動音を、映像の端が微かに拾っている。
膝を曲げ、伸ばす。
動きは、端から端まで揃っている。
揃ったまま、列が一斉に伏せた。
白い装束の背中が、横一列に並んでいる。
「穢れを脱ぎ、影を捨て、朽ちぬ姿へ還りたまえ」
「痛みは通過点、恐れは迷い、飢えこそ真理」
「先に逝きし者よ、我らを導きたまえ」
「肉は仮初め、魂は不滅、汝はすでに浄められし」
のぼり旗が何本も突き立ち、同じ一文が染め抜かれていた。
旗の根元には注連縄が張られ、細い煙が真っ直ぐ立ち上っている。
唱和は乱れず、同じ調子で繰り返される。
咳き込む音一つ、混じらない。
フェンスの内側には、ゾンビが数十体。
押し合うでもなく、ただ立ち尽くしている。
唱和が一巡すると、フェンスの上から何かが投げ入れられた。
もう一つ、列の端からも。
ゾンビたちが、それに群がる。
重なり合った影は、しばらくして散っていった。
信者たちは、まだ額を地面につけたままだ。
同じ角度で伏せた顔が、盤を見下ろしている。
好々爺然とした老人だった。
向かいには、肩の張った強面の男。
男の傍らには、カラシニコフ小銃が一丁立てかけてある。
商店街の両端が、廃車と土嚢と鉄骨で塞がれている。
隙間にはトタン板や古タイヤが詰め込まれ、
継ぎ接ぎだらけの壁になっていた。
アーケードの屋根が途切れず続き、内側の様子までは見通せない。
将棋盤が置かれているのは、入口の一軒の前だった。
老人が駒を持ち上げ、しばらく迷ってから盤上に置いた。
男は腕を組んだまま、次の手を睨んでいる。
バリケードの上の見張り台に、人影が数人。
慌てた様子の者はおらず、それぞれの持ち場で通りを眺めていた。
頭上をドローンが通過しても、顔を上げる者はいない。
駒を置く音が、規則正しく続く。
夕暮れの中、市庁舎の複合施設が赤く染まっている。
駐車場に、横断幕とプラカードを掲げた一団が並んでいた。
文字までは判読できない。
整然と列を組み、拳を上げ下げする動きが揃っている。
声を張り上げているのか、口が同じ形で開閉を繰り返す。
音は拾われていない。
ゾンビの姿は、どこにもない。
隊列は、崩れないまま動き続けていた。
夜、厨房でキャベツの山を前に、笹川が唸った。
「これ、今日中に食べきらないとさすがにダメだ。半分萎びてる」
「今日はお好み焼きにします」
千鶴が、包丁を取り出す。
「キャベツが、そろそろ限界のようですから」
まな板にキャベツを乗せ、刻み始める。
リズムよく刃が入るたび、細切りの山が高くなっていく。
守屋は大きなボウルを抱え、生地を混ぜていた。
腕の動きにつられて、ボウルの縁で粉がぱらぱらと跳ねた。
蒼が缶詰の棚を漁り、ツナ缶とコーン缶を両手に抱えて戻ってくる。
「僕の具はこれね」
俺はイカとエビの冷凍パッケージを開け、
解凍具合を確かめてからバットに空けた。
鉄板の前では、笹川が電源を確認し、油を薄く伸ばしている。
「温度は十分です」
垂水が、缶ビールを配って回る。
プシュ、と小気味いい音が一つ、また一つと続いた。
隅の椅子に腰を下ろした菱沼の膝で、
バルカが丸まって鼻をひくつかせている。
「今日はお好み焼きですか。楽しみです」
菱沼は、手伝う素振りも見せずに眺めていた。
鉄板の上で、生地の焼ける音がする。
ヘラが鉄板を擦る音が重なり、
香ばしい匂いが厨房に満ちていく。
菱沼の隣に腰を下ろした。
油の弾ける音が、耳の奥まで響いてくる。
焼き上がったお好み焼きが、順に取り分けられていく。
ソースの焦げる匂いと湯気が、フードコート全体に広がった。
自分の皿の一枚には、ほとんど箸をつけない。
代わりに、グラスに注いだジムビームを一口あおる。
氷を入れる気にもならず、そのまま喉に流し込んだ。
一枚、二枚と減っていく頃、笹川がリモコンを取ってモニターを点けた。
「みなさん、今日の偵察映像です」
昼間見た映像が、もう一度画面に流れ始める。
「バイクの連中は分かりやすいですよね」
笹川が、ソースの瓶を振る。
「あの校舎の銃座、M2ブローニングですよ。よく動く状態で残してるな」
「ラジオ体操か。私もしようかな」
菱沼が真顔で言って、バルカの背を撫でた。
「白装束の奴ら、がいにおかしいわ」
「あれ、なに投げとったん」
「……知らんでええ」
守屋が、焼けたばかりの一枚を蒼の皿に滑り込ませる。
「あのアーケード、家の近くやったわ」
垂水が、缶の縁を指で弾いた。
「こんな世界でも、まだデモをされる余裕があるんですね」
千鶴が、小首を傾げる。
しばらくして、キーロンの声が流れた。
「現在確認済みの勢力は六つだ。それぞれに識別名を付けた」
「郊外の工場地帯が『マッドマックス』。
要塞化した校舎が『武装警察』。
通信施設が『企業戦士』。
儀式集団が『カルト宗教』。
商店街が『ヤクザ組』。
市庁舎が『終末市役所』」
「名称は識別のために付けた。文句があるなら、自分で付け直せ」
「武装警察は、巡回に規則性がある。
旧治安組織の残存部隊である可能性が高い」
「カルト宗教がフェンスの中へ投げ入れていたのは、生存者だ」
「ゾンビの検知数は、大半がこの六拠点の周辺に集中している。
それ以外の区域では、空白化が進んでいる」
「六つ……」
笹川が呟いて、口を閉ざした。
夜が落ちている。
バイクのライトが行き交う中、燃料ドラムが台車で運ばれていく。
重機の腕が、何かの資材を積み上げていた。
金属の擦れ合う音が、暗闇に響いていた。
蒼が、皿の上のコーンを一粒つまんで口に運ぶ。
「コーン、美味しいね」




