26話「文明の終わり」
寝具店の通路に、マットレスが行儀悪く積み上げられていく。
「これ、めっちゃふかふかや」
蒼が跳ねるように乗って、そのまま仰向けに沈んだ。
守屋が苦笑いで手を伸ばす。
「こら、店の商品や。試すのはええけど、跳ねなや」
「べっちゃない、べっちゃない」
部屋割りは、その場のノリで決まっていった。
守屋と蒼が同室、ほかはそれぞれ個室。
垂水だけは、設備管理室の奥にある宿直室から動かないという。
「慣れた場所の方が、落ち着きますから」
バルカのキャリーケースは、誰に断るでもなく、こちらの部屋の隅に運び込まれた。
夕方、荷物を運び終えた守屋が、フードコートの厨房を見て切り出した。
「今日は、私が作ります。モスドナルドです」
蒼が、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「モスドナルド、食べられるの!」
冷凍庫には、パティもバンズも手つかずで残っていた。
フライヤーのタンクだけが空で、笹川がストックの食用油缶を運んでくる。
守屋はタンクへ注ぎ入れ、慣れた手つきで温度を確かめた。
「守屋さん、詳しいですね」
千鶴が、感心したように覗き込む。
「学生の頃に、モスドナルドでバイトしとったんや。まさかここで役に立つとは思わんかったな」
守屋がバンズを並べ、笹川がパティを焼き、千鶴がレタスをちぎる。
手持ち無沙汰のまま、口を開いた。
「手伝うことは」
笹川が、親指で棚の方を指した。
「ケチャップの位置がわからない」
棚を探したが、見つかったのはポテト用の紙容器が三つだけだった。
「探し物としては微妙な成果だね」
「悪いか」
笹川は、パティを何枚も重ねていた。
バンズからはみ出るほどの塔を、こちらへ押しつけてくる。
「はい、蓮さんの分。最近食べてないでしょ、奮発した」
「量、間違えてないか」
蒼が、羨ましそうに覗き込んだ。
「蓮さんだけずるい」
「じゃあ蒼の分も、次は五枚重ねにしよっか」
「僕は十枚」
千鶴が、小さく笑った。
守屋は黙って、ポテトを一本ずつ口へ運んでいる。
途中で、誰にともなく呟いた。
「まだ、こんな味出せるんやな」
五枚重ねのバーガーは、思ったより早く腹に収まった。
少し離れたテーブルで、垂水が弁当の蓋を開けていた。
傍らに競馬新聞が広げられ、缶ビールが一本立っている。
「垂水さんも、どうぞ」
「いやー、若い頃は散々食いましたからね。今は、こっちの方が落ち着くんですよ」
垂水は赤ペンで新聞に印をつけ、ビールを一口あおった。
「食欲が、戻ってきたようだな」
キーロンの声が、インカム越しに届く。
「ああ。美味かった」
「摂取カロリー、目標値の百三十パーセント」
翌朝、ジムニーの運転席には笹川が座った。
「今日は僕が出すよ。蓮さん、ドローンの方お願い」
「わかった。行き先は港湾部の燃料商だ。発電機の軽油が、満タンで三日分しかない」
「備蓄、作っておかないとね」
助手席でサングラスをかける。
視界の端に、ドローンの映像が重なった。
屋上を発った機体が先行し、進行方向の交差点を上空から映し出す。
幹線道路へ出ると、路肩に一体、少し先にもう一体、
うずくまるような姿勢のゾンビが見えた。
まだ数は多くない。
歩道側のシャッターはほとんどが下りていて、
二階の窓からこちらを窺う人影がいくつかあった。
「立てこもってるね、みんな」
「まだ、動く判断がつかないんだろう」
信号のない交差点で、スーパーの前だけが人だかりになっていた。
台車を押す主婦、子供を抱えた男、レジ袋を両手に提げた老人。
まだ機能している店に、買えるものを求めて人が集まっている。
コンビニもホームセンターも同じだった。
店という店に、人が溢れている。
遠くで、サイレンが交錯した。
消防車が一台、黒煙の上がる方向へ走り抜けていく。
救急車も、それに続いた。
その少し先では、警察官が数人がかりでゾンビ一体を取り押さえていた。
拘束具をかけ、パトカーの後部座席に押し込もうとしている。
「あれ、意味あるのかな」
笹川が、横目で見ながら呟く。
「現在の法体系では、公務執行妨害・傷害・器物損壊に該当する。量刑だけなら十年前後だ」
キーロンの声には、皮肉の色がわずかに滲んでいた。
「消防も救急も、まだ動いてるんだね」
「火災は市内の複数箇所で同時多発している。救急も含めて、対応能力を明らかに上回っている」
港湾部に近づくと、コンテナの積まれた敷地の隅に、
燃料商の看板が見えてきた。
事務所に明かりはなく、人の気配もない。
敷地を囲む電動ゲートは、施錠されたまま固く閉じていた。
「開けるか」
車を降り、ゲートの隙間にバールを差し込んで体重をかける。
金属のひしゃげる音とともに、ゲートがわずかに歪んで開いた。
同時に、けたたましい警報音が敷地に響き渡る。
「警備会社の通報装置だろうね。警察、来ないかな」
「上空はドローンで見ている。近づいてくるものがあれば、先に知らせる」
答えたのは、キーロンだった。
警報音には構わず、ゲートをさらに押し広げる。
敷地には、タンクローリーが五、六台並んでいた。
事務所の壁際のキーボックスから、ガソリン車と軽油車の鍵を一本ずつ外す。
戻ると、笹川が車体を見上げて口を開けていた。
「これ、蓮さん運転できるの。こんな大きいの」
「自衛隊で大型免許は取ってる」
「へえ。……このピカピカに光ってるの、かっこいいね」
キーロンが淡々と応じた。
「反射率を高め、直射日光による内容物の温度上昇を抑えるための仕様だ。光沢は結果に過ぎない」
「いや、ロマンの話なんだけど」
二往復して、二台とも搬入口の内側に収めた。
シャッターが下りると、外の音が一段と遠くなった。
館内へ上がると、ドラッグストアとクリニックを回ってきた守屋と千鶴が待っていた。
薬も器具も、ほとんど手つかずで残っていたという。
「内科の冷蔵庫に、血液パックもありました」
千鶴の言葉に、笹川がタブレットから顔を上げた。
何か言いかけて、そのまま画面に目を戻す。
その夜、夕食の片付けが終わると、誰からともなくテーブルに集まった。
「発電機の燃料は、これで当面困らないね。水も屋上のタンクがある。これだけ揃うと、次は、いつまでここにいるかだね」
笹川が、タブレットを机に置いた。
「俺たちは、いずれ副首都へ向かう」
そう告げると、千鶴は静かに頷いた。
「島を出る時に、聞いてましたから。でも、まだ世界が戻るかもしれません。数ヶ月は、ここで様子を見てもいいと思ってます」
守屋が、蒼の方へ一度目をやってから頷いた。
「私も、それで構いません。蒼と一緒に住めるとこが見つかるまでは、ついていきます」
「じゃあ、まず一ヶ月。様子を見て、それでも駄目なら、僕と蓮さんで発つ。それでいいね」
笹川がそうまとめて、こちらへ目を向けた。
「一ヶ月だな。異論はない」
垂水が、少し離れた椅子で首を傾げた。
「そんな先のこと、決めなくても……。すぐ、元通りになるかもしれませんし」
誰も、返事をしなかった。
その夜遅く、笹川は自室のベッドに腰掛けていた。
部屋に戻っても、笹川はタブレットを開いたままだった。
しばらく、画面を見つめている。
やがて手を止め、首から下げた鎖を指先で持ち上げる。
小さな指輪が、常夜灯の明かりを映して鈍く光った。
しばらく眺めてから鎖を胸元へ戻し、灯りを落とした。




