25話「拠点」
朝食会場は、一階のレストランだった。
白米、味噌汁、焼き魚。
小鉢に盛られた納豆に、蒼が真っ先に箸を伸ばす。
糸を引かせながら、顔をしかめた。
「あれ、これ美味しい……前は嫌いだったのに」
守屋が笑いながら、自分の分にも箸をつける。
一口運ぶたび、小さな声が漏れた。
「うまいな……」
同じものを取ったが、箸の動きは鈍い。
米も、魚も、味がどこか遠くにある。
それでも半分ほどは腹に収め、残りを皿の脇に押しやった。
骨伝導越しに、キーロンの声が短く告げる。
「摂取カロリー、ここ二日で目標値の六割程度だ」
「わかってる」
少し離れた席で、千鶴がスマホを耳に当てていた。
呼び出し音が続き、やがて途切れる。
かけ直す。
また途切れる。
何度目かもわからないまま、指は同じ番号をなぞっていた。
誰も、その手を止めなかった。
食事を終えた頃、守屋が箸を置いて切り出した。
「今日は、ここでもう一泊できないでしょうか」
少し考えてから、頷いた。
守屋が、ほっとしたように肩の力を抜く。
蒼が「やった」と、小さくガッツポーズを見せた。
部屋に戻ると、キーロンが報告を始めた。
「拠点候補は、もう洗い出した」
「早いな」
「回線が生きているうちに、根こそぎ拾っておいた。十数件から、一箇所まで絞った」
ベッドの下を覗くと、バルカが丸くなったまま動かない。
耳だけが、わずかに動いた。
部屋の隅でタブレットをいじっていた笹川に、声をかける。
「出るぞ。ホームセンターにも寄る」
「了解」
蒼が顔を上げたが、守屋が「ええから、遊んどき」と肩を叩いた。
候補は、小さなモールだった。
駐車場にトラックを停め、建物を見上げる。
入口の電光看板は、まだ点いている。
テナントの半分ほどは営業しているらしく、まばらに客の姿があった。
「出入口は四箇所。区切れば、十人でも守り切れる」
キーロンが、数値を並べる。
「一階にスーパーがある。食料の心配も当面はない」
「決まりだな」
ホームセンターのシャッターも、まだ開いていた。
業務用の台車を二つ引っ張り出し、工具、L字金具、ロープ、シート類を端から放り込んでいく。
資材置き場の鉄板と有刺鉄線も、目につく限り積んだ。
笹川は工具には目もくれず、発電機の棚に張りついていた。
「これ、容量的にはノートパソコン十台分くらいいけるかな」
型番をスマホで調べながら、二台まとめて台車に載せる。
屋外用品コーナーの奥からは、大型のガソリン発電機をキャスターごと引きずり出した。
レジ横のトランシーバーは、数も確かめずに並んでいた分を移す。
店員が台車を押しながら、トラックまでついてくる。
「これ、重いんで気をつけて……え」
軽々と荷台へ担ぎ上げるのを見て、店員が言葉を切った。
横で、笹川が笑いを噛み殺している。
異変は、夜になってから始まった。
夕食の後、念のためドローンを夜間偵察に上げていた。
視界の端に、ドローンの見ている光景が滲むように重なる。
暗視越しの街並みに、白い人影が点々と動いている。
「悲鳴の発生率が、跳ね上がってるぞ」
「三十分前の六倍だ」
骨伝導越しの声が、いつもより早口だった。
「どこだ」
視界が切り替わり、駅前の交差点が拡大される。
「駅前から繁華街まで、この一帯まるごとだ」
隣にいた笹川に、声をかける。
「いつでも出られるようにしとけ」
窓の外を見る。
点いていた街灯が、ところどころ消えている。
遠くで、複数の悲鳴が重なっていた。
「進行速度が、島の比じゃない」
隣室から物音が響き、ドアが小さくノックされた。
千鶴が、荷物を抱えて立っている。
「外の様子が、おかしい気がして……」
千鶴はそれ以上言わず、部屋の隅に荷物を置いた。
夜通し、悲鳴と物音が途切れなかった。
交代で見張りを立て、朝を待つ。
夜が明ける頃には、悲鳴はむしろ増えていた。
チェックアウト前、フロントの男に、一言だけ伝える。
「外がまともじゃなくなってる。早めに閉めて、鍵をかけておいた方がいい」
男は怪訝な顔をしたが、窓の外の様子に気づいたのか、すぐに頷いた。
昨日決めた拠点、モールへ向かう。
守屋たちの車は、手前の路地で待たせた。
着く頃には、シャッターが半分下りていた。
入口の一つで、内側から鍵をかけようとしている男がいる。
作業着姿の初老の男で、名札に「垂水」とある。
「おい」
声をかけると、男が飛び上がるように振り返った。
「な、なんですか」
拳銃を構える。
男が、目を瞬かせながら後ずさった。
「えっ……なんで拳銃。本物ですか、これ」
「開けてくれ。悪いな」
垂水は、震える手でシャッターを上げ直した。
中に入ると、蛍光灯の半分近くが消えている。
人の気配は、他にない。
サングラスを外し、胸ポケットに差し込んだ。
「一人か」
「昨日の夕方から、誰も来なくて……ずっと一人です」
垂水が、力なく答える。
「連絡もつかなくて」
壁の時計を、ちらりと見上げた。
「なんで俺が……」
誰に言うでもない呟きだった。
外の状況を、手短に説明する。
悲鳴、増え続ける群れ、島で起きたこと。
垂水は、話の途中で何度も瞬きを繰り返した。
「はあ……そんな、映画みたいな話」
「本当だ」
「いや、でも、今日競馬の予想してたとこで」
スマホの画面を見せてくる。
一瞥して、目を逸らした。
続けて、垂水に館内の構造を聞く。
「出入口は、四つで間違いないか」
「せ、正面と、裏の搬入口と……あと、従業員通路が二つ」
「シャッターは、全部下ろせるか」
「はい、それは、できます」
「電気と水は」
「停電したら、地下の非常用発電機に切り替わります。自動で」
そこだけ、垂水は言い淀まなかった。
「燃料は」
「軽油です。満タンで、三日……たしか、三日です」
「三日か」
「水は、屋上のタンクです。断水しても、上から落ちてくるんで。
あと、地下にもでかいのがあります。百二十トンあると、聞いたことが」
「どのくらいもつ」
「さあ……普段は、テナント全部で使う量なんで」
「屋上のタンクは、昨日ドローンで見た。
あの外寸なら、四十立方メートル前後だ。
地下の百二十と合わせて、百六十になる。
十人が飲み水と調理に使うだけなら、十四年はもつ。
毎日シャワーを浴びても、八ヶ月は困らない」
垂水の案内で、テナントの奥、バックヤード、非常階段、駐車場まで見て回る。
人の気配はない。
教えられた出入口を一つずつ確かめ、シャッターを施錠していく。
駐車場の出入口にはトラックを寄せ、簡易のバリケード代わりにした。
裏口には、念のため資材を積んでおく。
「残留反応なし」
キーロンの声が入る。
垂水は、気づけば一歩後ろをついて歩いていた。
外で待たせていた守屋たちを、中に入れる。
「もう大丈夫だ」
そう言っても、すぐには誰も動かなかった。
守屋が、蒼の肩に手を置いたまま、あたりを見回している。
千鶴は、通路の奥をじっと見つめていた。
少しして、蒼が守屋の袖を引く。
「父さん、行っていい」
守屋が束の間迷ってから、頷いた。
蒼が駆け出す。
千鶴が、小さく息を吐いた。
天井のスピーカーからは、誰に聞かせるでもなく、軽いBGMが流れ続けていた。
止まった売り場の間を、エスカレーターが空のまま上り続けている。
蒼が駆け込んだ先は、誰もいないゲームコーナーだった。
電源の入ったままの筐体が、並んで光っている。
蒼はその一つ一つを指差しては、目を輝かせた。
「これと、これと、これやりたい!」
隣の化粧品売り場で、千鶴が高級ブランドの品を一つ手に取った。
鏡に映った表情が、少し緩む。
スマホは、片手から離さなかった。
車に残していたキャリーケースを、取りに戻る。
バックヤードの奥、職員用の休憩室を覗いた。
古びたソファと自販機のほかには、何もない部屋だ。
扉を閉め、キャリーケースの蓋を開ける。
バルカが、鼻先だけを外に出した。
鼻先を小さく動かして、匂いを確かめている。
やがて、ゆっくりと降り立った。
ソファの下に潜り込み、耳を伏せて、そのまま出てこない。
声はかけず、扉を細く開けたまま部屋を出た。
フードコートを抜ける。
誰かが席を立ったままの向きで、椅子が散らかっていた。
「本日の閉店時間は」
途切れた館内アナウンスが、繰り返し流れている。
一階のスーパーでは、守屋と笹川が肉や魚のパックを運び出し、バックヤードの業務用冷凍庫へ入るだけ詰め込んでいた。
「電気が動いてる間に、詰められるだけ詰めとこう」
蒼が氷菓子のケースを開け、中を覗き込む。
「これも入れていい」
「もちろん」
守屋が、笑って答えた。
夕方、館内モニターの一台に目が留まった。
駐車場を映した画面に、人影が一つ、よろめきながら歩いている。
少し遅れて、もう一体。
遠くのシャッターで、鈍い音が一度響いた。
「侵入される可能性は」
「今の構造なら、破られる確率は低い」
「ただし外の密度は、これからも上がる」
窓のない通路まで下がり、モニターで外を追う。
画面の隅に、遠い火の手が映り始めていた。
街灯の消えた区画から、煙が立ち上っている。
垂水は、隣に立っている。
目が、モニターに張り付いていた。
「……本当だったんですね」
声が、さっきより低くなっている。
「シャッターに、弱いところはあるか」
問うと、垂水はしばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……裏の搬入口、そこだけ手動です。案内します」
二度目が始まった。




