二章 群像 24話「宵の街」
高速に乗ったまま、進み続けた。
頭上では、ドローンが変わらず先行している。
島へ続く区間には、バリケードや、撤退した自衛隊が置き去りにした鉄柵が、
まだ残っていた。
押しのけながら進むうち、渋滞で詰まった車列も同じように退かしていく。
トラックの荷台が軋み、金属同士がぶつかる音が響くたび、
後続のジムニーからクラクションが小さく鳴った。
最初の数回は驚いていた守屋も、途中からは慣れた様子で黙ってついてくる。
気づけば、街の外縁にいた。
空の端に、夕暮れの名残がまだ残っている。
街灯が一つ、また一つと灯り始めていた。
島では、こんな光景をもう一年以上見ていない。
「反応、複数」
「悲鳴、複数系統。ガラス破砕音、断続的」
報告と同時に、視界の端にドローンの映像が滲むように重なる。
暗視モードに切り替わった画面が、緑がかった輪郭で人影を拾い上げていた。
路地の奥で、影が二つ、三つと蠢いている。
「蓮さん、ここも……」
助手席で、笹川の声が硬くなる。
音のする方角を見る。
だが、視界の大半を占めるのは、まだ点いたままの灯りだった。
コンビニの看板、信号機、マンションの窓明かり。
その奥に一棟だけ、窓という窓が暗いままのマンションがある。
悲鳴が聞こえてくる街と、灯りの点る街が、同じ場所に重なっている。
――またか。
込み上げたのは、恐怖ではなかった。
既視感が、静かに胸の奥を通り過ぎていく。
「蓮さん」
笹川が、もう一度こちらを見る。
「まだ大丈夫だ」
短く答えて、車を進める。
あの日、島でも似たような音を聞いた。
悲鳴、割れる音、遠くで犬が吠える声。
それが日常に紛れ込んでいく速度を、もう知っている。
体は自然に、次にやることへ動き出していた。
スマホの画面に電波のマークが戻っているのに、先に気づいたのは笹川だった。
「圏外じゃない」
無線機を取り、後続のジムニーへ告げる。
「このまま、コンビニに入る」
応答を待たずに、駐車場へ車を入れた。
降りてきた守屋と千鶴に、笹川がスマホの画面を見せる。
「見て、電波戻ってる。使えるよ」
圏外だとわかっていても、誰もスマホを手放さなかった。
非常用の発電機を回すたび、充電だけ済ませて、また電源を落とす。
それを一年近く繰り返してきた。
いつか繋がるという一縷を、捨てられなかったのだと思う。
電源を入れた途端、画面が埋め尽くされた。
不在着信、未読の通知、メッセージアプリのバッジ。
一年分が、一気に流れ込んでくる。
守屋と笹川の通話は、どれもすぐに切れた。
呼び出し音の途中でぷつりと途切れるか、話し中の音がずっと続く。
「回線が混んでる」
笹川が呟き、通話を諦めてメッセージアプリに切り替える。
文字は送れても、既読はつかないまま画面の上に浮いていた。
離れた場所で、千鶴のスマホから声が漏れる。
「もしもし……お母さん」
震える声に、ほんの少し、場の空気が緩んだ。
だが、長くは続かなかった。
通話は途中でふつりと途切れ、無機質な発信音だけが残る。
何度かけ直しても、同じだった。
千鶴は、しばらく画面を見つめている。
「回線の九割超が、渋滞中だ」
「数分単位で切れるのは、仕様の範囲内だ。今は、繋がるだけでも運がいい」
千鶴は唇を噛みながら、同じ番号へ発信を繰り返す。
守屋も、無言でかけ直しを続けていた。
返ってくるのは、同じ音ばかりだ。
やがて守屋が舌打ちし、端末をポケットへねじ込む。
笹川は諦めが早く、既読のつかない画面を放って荷物の確認に戻っていく。
こちらも登録された番号を順にかけてみたが、
呼び出し音はそのたびに途中で途切れた。
スマホを、ポケットに戻す。
コンビニに入るなり、売り場には目もくれずATMへ向かった。
カードを差し込み、預金を限度額まで引き出す。
画面の残高が、ゼロへ近づいていく。
続けて、キャッシングの画面を開く。
借りた金を返す相手が、この先残っている保証はない。
利息を気にする世界は、もう長くない。
迷わず限度額まで引き出し、札束を財布へ押し込んだ。
「蓮さん、何してるんです」
守屋が、レジ袋を片手に近づいてくる。
「今のうちに」
「今のうちに、って」
「そのうち、紙切れになる」
守屋が、束の間黙る。
まだ普通に電気が点き、レジが動いている店内を見回す。
「……普通すぎて、逆に怖いな、これは」
誰に向けたでもない呟きが、小さく漏れた。
守屋も、黙ってカードを取り出した。
蒼は意味もわからず、財布を覗き込んでいる。
「……だよね」
笹川が呟きながら、自分の財布を取り出していた。
カードを差し込み、限度額まで下ろす手つきに、迷いはあまり見えない。
「僕も、島でさんざん見てきたし」
レシートを丸めて、ポケットに突っ込む。
その輪から外れた位置で、千鶴は財布を開かなかった。
まだ大丈夫だと、どこかで思い直しているのかもしれない。
ペットコーナーの棚で、チュールの束が目に留まる。
迷わずカゴに放り込み、会計を済ませた。
車に戻り、ケージを開ける。
出てきたバルカが、低く唸って前脚で手を払った。
構わずチュールの封を切って差し出すと、
唸りは収まらないまま、鼻先がそろそろと寄ってくる。
しばらく喉の奥で唸り続けていたが、ほどなく諦めたように舐め始めた。
ケージに戻そうとすると、バルカが体をよじって抵抗した。
爪を立てて踏ん張り、低く唸る。
無理に押し込むのは諦め、そのまま車を出した。
まだ灯りの点る総合病院を見つけ、千鶴の足を診てもらう。
待合室のテレビが、いつも通りの音量でニュースを流している。
順番を待つ患者は数人で、老人が雑誌をめくっていた。
窓の外を、サイレンを鳴らした救急車とパトカーが、続けざまに走り抜けていく。
誰も、顔を上げなかった。
「宿泊候補を絞り込んだ。ペット同伴可で、三件ある」
「バルカがいる以上、当然の条件だ」
骨伝導越しに、キーロンの声が入る。
診察室から出てきた医者が、レントゲンの結果を淡々と告げる。
「骨には問題ないですね。もうしばらく安静にしてれば」
言い終える頃には、もう次のカルテに目を落としていた。
出てくる頃には、千鶴の足取りは心なしか軽くなっていた。
ファミレスの明かりは、発生前と変わらず灯っていた。
自動ドアが開き、店員の「いらっしゃいませ」が響く。
その一言で、蒼の顔が緩んだ。
「久しぶりだ、こういうの」
守屋が、メニュー表を開きながら小さく笑う。
料理が並ぶ頃、支払いの話になった。
「ここは僕が」
笹川が財布を取り出しかけると、守屋が手で制する。
「いやいや、ここは私が」
「そんな、悪いですよ」
「世話になってる分、少しくらいは」
二人のやり取りに、千鶴が小さく吹き出す。
「それでは、お言葉に甘えて。ご馳走様になります」
くすりと笑いを残したまま、箸を取る。
蒼は、とっくにハンバーグに夢中だった。
その輪から少し離れた席で、料理に箸をつける。
回ってきたパスタも、サラダも、味が遠い。
自分で頼んだのは、レアのステーキだった。
一口、切って口に運ぶ。
赤みの残る断面から、じわりと血の味が広がる。
そこだけは、確かに旨いと感じた。
「蓮さんも、食べてるとこ見ると安心するよ」
笹川が、こちらを見て笑う。
答えず、もう一口切り分けた。
「買うもの、まとめておくか」
独り言のように、骨伝導越しに呟く。
「水、燃料、医薬品。優先度順で並べる」
「寝る場所は」
「当面はホテルでいい。鍵も設備も足りている」
「聞く前に言うんだな」
「先に言った方が早い」
「お前が黙ってた例しがあるか」
「記録上、三回」
「数えてるのか」
律儀なものだと、少し息が漏れた。
押し問答の続く食卓を横目に、リストは淡々と固まっていく。
大型ディスカウントストアの明かりは、コンビニよりもさらに煌々としていた。
入り口には、季節外れのセール品が山積みになっている。
店内には、聞き覚えのある有線放送のBGMが流れていた。
一年以上、耳にしていなかった音だ。
カゴを手に取り、水、缶詰、電池、簡易トイレと、順に放り込んでいく。
迷いはなかった。
棚の並びを見た瞬間、必要なものの場所がわかる。
少し離れた棚で、蒼がお菓子のコーナーに釘付けになっていた。
「これも、これも……いいの」
千鶴が笑って頷くと、蒼は目を輝かせて次々とカゴに放り込み始める。
島では、あの手の棚はとっくに空になっていた。
「早いね、相変わらず」
笹川が、カゴを両手に抱えて追いついてくる。
会計を待つ間、キーロンの声が割り込んだ。
「感染増加率が、指数関数的に伸びている。この街は、まだ入口に立ったばかりだ」
視界に、ドローン視点の映像が薄く重なる。
「わかりやすく言え」
「島で見た数式と同じだ。ここでは、まだ動き出したばかりというだけの話だ」
答えず、レジ袋を受け取る。
ホテルのロビーは、驚くほど静かだった。
カウンターの奥で、制服姿の男が丁寧に頭を下げる。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
人数を告げ、部屋数を決める。
俺と守屋、蒼、笹川で一部屋、千鶴だけ別に一部屋。
隣り合った並びで頼み、鍵を二つ受け取る。
支払いは、笹川がまとめて済ませた。
「最近、物騒みたいですね」
守屋が、世間話のつもりで切り出す。
「ええ、そうなんですよ」
男が、困ったように眉を下げる。
「ニュースでも、よくわからないことばかりで」
「まあ、そのうち収まるとは思うんですけどね」
「収まる、ですか」
「これまでも、そういうのはありましたから」
「台風とか、そういうのと似たようなものかなって」
「電話は、いつ頃からこんな感じなんですか」
守屋が、さりげなく尋ねる。
「数日前から、時々繋がりにくいなとは思ってたんですけど」
「今日になって、もう本格的にダメですね」
男が、苦笑まじりに肩をすくめる。
「予約システムの方も、時々おかしな動きをするんですよ」
「まあ、大したことじゃないと思うんですけど」
男は慣れた手つきでカードキーを差し出しながら、続けた。
「今日はお部屋、少し多めに空いてますので、快適にお過ごしいただけると思います」
その口調に、切迫したものはなかった。
鍵を受け取り、頭を下げてカウンターを離れる。
部屋に入ると、蒼が真っ先にベッドへ飛び込んだ。
守屋が、その様子に小さく笑う。
大浴場は、最上階にあった。
脱衣所の籠に荷物を放り込み、蒼が真っ先に湯船へ駆け寄る。
「熱っ」
声を上げながらも、すぐに肩まで沈み込んでいた。
守屋が続き、湯気の向こうで大きく息を吐く。
「生き返るな、これは」
洗い場に移り、体を流す。
湯が肌を伝う感覚だけは、やけにはっきりと届いた。
熱い湯が、肩から背中を伝う。
強く目を閉じ、しばらく動かずにいた。
湯船に浸かった笹川が、大きく息を吐く。
「沁みますね、蓮さん」
「……ああ」
「今は、それでいいですよ。楽しめる時に楽しんどかないと」
笹川が、湯気の向こうで軽く笑う。
笹川の首元で、細い鎖が揺れているのに気づいた。
鎖の先で、小さな指輪が湯気に濡れて光っている。
「それ」
「ああ、これ」
笹川が指先で鎖をつまみ、持ち上げてみせる。
「遠藤さんの指輪なんです。サングラス見つけた時、一緒に出てきて」
「持ってたのか」
「捨てるのも、なんか違う気がして。ずっと」
笹川が、鎖を胸元へ戻す。
湯気の向こうで、視線が少し揺れた。
サウナに入ると、守屋が壁際で目を閉じていた。
「これも久しぶりだ」
返事はせず、隅の段に腰を下ろす。
汗が滲み出るまでの間、誰も口を開かなかった。
壁の時計の秒針が、やけに大きく聞こえる。
「冷たっ……いや、これは無理だ」
水風呂から上がった守屋の悲鳴じみた声に、湯船の蒼が笑った。
風呂を出る頃には、蒼の顔は上気してすっかり緩んでいた。
脱衣所に、髪を乾かす音がしばらく響く。
自販機で買ったフルーツ牛乳を、脱衣所の長椅子で飲む。
ふと思う。
この世界は、いつまで続くのだろうか。
テレビをつける。
ニュース番組が、いつも通りの調子でキャスターの声を流していた。
各地で発生している「集団暴行事件」と、それに対する各自治体の注意喚起。
あの島についての言及は、一切ない。
「島の件、出てこないな」
「公式には、封鎖された情報だ」
笹川がスマホで遡って検索すると、一年ほど前の発表が一度だけ見つかった。
奇病の集団発生による、予防的隔離措置という内容だ。
「これ以降、何も出てないね」
画面をスクロールする笹川の指が、途中で止まる。
話題そのものが、不自然なほど少ない。
検索しても検索しても、当たり障りのない断片ばかりが出てくる。
「これ、誰かが意図的に抑えてるね」
笹川が、画面から目を離さずに言った。
あの島で起きたことが、ここではこの程度の扱いらしい。
笹川の手元の画面から、目を外す。
「これだけの規模の情報を、ここまで綺麗に抑え込むには、報道機関だけでは足りない」
「通信事業者への介入も必要になる」
「単独の企業や個人の判断では、不可能な範囲だ。相応の組織力を持つ主体が関与している」
キーロンの声が、皮肉げに割り込んだ。
「褒めてるのか」
「事実を述べているだけだ」
窓の外には、まだ消えていない街の灯りが並んでいる。
その向こうで、サイレンの音が途切れずに鳴っていた。
どこか懐かしい響きだと思いながら、目を閉じる。
新章で強くてニューゲーム。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




