17話「収穫祭」
軒先の陽だまりで、バルカが前足を舐めている。
舌の動きに合わせて、耳がぴくりと揺れる。
顔をこすり、また舐める。
その繰り返しを眺めながら、右腕を上げ下げしてみる。
ボウガンで射抜かれた傷は、もう痛まない。
包帯を外したのは三日前だが、皮膚には引きつれの跡すら残っていなかった。
病院で医者が驚いていた回復の速さを、今さらながら実感する。
バルカが顔を上げ、こちらを一瞥してから、毛づくろいに戻った。
「今日の搬入は、通常通りの予定だ」
「前回の搬入で、朝倉の発言回数は平均を下回っていた」
「体調が悪いのかもな」
「声のトーンに、有意な変化は検出されていない。体調以外の要因だろう」
それ以上は、キーロンも言わない。
物資を運び込むと、朝倉は子供たちに囲まれていた。
字を教え、転んだ子の膝を見て、笑ってみせる。
ただ、その笑いが一拍遅れて追いついてくる。
気づいているのは、たぶん自分だけではない。
権藤も、荷降ろしの合間にちらちらと朝倉の方を見ている。
縄をほどく手を止めては、また目をやる。
声をかけるほどの立場でもない。
視線を、荷台に戻した。
朝倉が、荷を下ろしているそばへ近づいてくる。
「矢代さん、腕は」
「もう平気だ」
「そうですか」
朝倉の視線が、一瞬だけ右腕に留まる。
「よかった。あんな怪我をされて」
「思ったより早く治った」
「それは……よかったです」
言葉の終わりが、小さくなる。
朝倉はすぐに笑顔を作り直し、子供たちのそばへ戻っていった。
校庭の隅で立ち話をしていた曽根崎が、こちらに気づいて片手を上げる。
太った体を揺らし、愛想笑いを浮かべて歩み寄ってきた。
「矢代さん、ちょうどよかった」
「実は、お願いがありまして」
「また倉庫の話か」
「いえいえ、あの件は、先生があんなことになりましたから」
「しばらく見合わせます」
「今回は、別のお願いです」
「もっと、健全な話です」
曽根崎が、白い歯を見せる。
「サツマイモです」
「裏の畑が、そろそろ収穫時期でして」
「農作業に護衛がいるのか」
「この辺り、ここ最近は反応がかなり減っているそうですね」
「先日の搬入時に、キーロンさんから伺いました」
曽根崎がそう口にした時、耳の奥で短い電子音が一度鳴った。
低く濁った、聞き慣れない音だ。
「反応数は、事実として減少している」
「ただし、ゼロではない」
「ええ、ええ、承知しています」
「だからこそ、念のため」
曽根崎の口調は、いつも通り丁寧で、いつも通り断りづらい。
「畑は学校のすぐ裏手ですし、大掛かりというほどでもないんです」
「生徒たちにも、いい経験になると思いまして」
「保護者の方々にも声をかけていて、皆さん張り切っています」
「調達班の方にも、護衛として何人か出ていただく手筈になっています」
話は、もう進んでいるらしい。
「子供たちも、参加するのか」
「もちろんです」
「土いじりなんて、久しぶりですからね」
「掘り出す係を、張り切っておりますよ」
校庭の向こうで、悠人たちが何か言い合っている。
言い合いというより、じゃれ合いに近い。
屈託のない声を聞くのは、久しぶりだった。
「日程は」
「明後日の朝から、と考えております」
少し考えてから、頷く。
「分かった」
「助かります」
「本当に、いつも助かっています」
曽根崎が、深々と頭を下げる。
下げる直前の目に、いつもの値踏みするような色が薄く混じっていた。
何も言わず、軽トラへ足を向ける。
戻る途中、朝倉とすれ違う。
「矢代さん」
「ん」
「明後日、よろしくお願いします」
声は、いつも通り丁寧だった。
目は、俺の肩の向こうに抜けている。
「ああ」
短く返して、車に乗り込んだ。
バックミラー越しに、朝倉が子供たちの輪に戻っていくのが見える。
笑い声が、窓越しに小さく聞こえてきた。
当日は、朝から良く晴れた。
畑は学校の裏手、バリケードのすぐ外にある。
軽トラを寄せると、すでに何人かが集まっていた。
「反応、周辺半径二百に六」
「五日前比、四割減少」
「四割か」
「大幅な改善ではある。ただし、ゼロという意味ではない」
念を押すような言い方だった。
畑の周囲には、調達班の男たちが等間隔に散っている。
銃を提げた者、バットを提げた者。
見覚えのある顔ばかりだが、名前まで覚えているのは数人しかいない。
畑の中では、保護者らしき大人たちが早くも鍬を振るっている。
その中の一人、日に焼けた中年の男が、慣れた手つきで蔓を払いのけていた。
悠人たち子供組は、少し離れた区画で列になり、掘り出す係を任されていた。
「土、硬い!」
「もっと掘って!」
声が飛び交う。
朝倉は、その輪の中心に立っている。
「悠人くん、そこはもう少し掘ってから」
「引っ張るのは、その後」
いつもの声だった。
声は、かけなかった。
権藤が、こちらに気づいて片手を上げる。
「矢代、今日はよろしく頼む」
「配置は」
「北側の外周は、調達班に任せてる」
「畑の中は、俺と朝倉先生で見る」
権藤が、腕を組んで畑全体を見渡す。
「久しぶりに、賑やかだな」
その声に、気安さが戻っていた。
畑の外周をゆっくりと歩き、目を巡らせる。
茂みの深いあたりに目をやると、キーロンが即座に反応した。
「その一帯は、映像の分解能が落ちる。雑草の密度が高い」
「ドローンの死角ってことか」
「正確には、視認性が低下しているだけだ。死角ではない」
「同じことだろ」
「見えないのと、見えにくいのは違う。動くものなら拾える」
畝の間を歩いていると、悠人が土だらけの手のまま駆け寄ってきた。
「蓮、見て」
差し出された手のひらに、小さな芋が乗っている。
「小さいな」
「でも、自分で見つけたんだ」
悠人が唇を尖らせ、芋を握りしめる。
その芋を、軽くつまんで持ち上げる。
「筋がいい。もっと深く掘れば、大きいのが出てくる」
「どうやって分かるの」
「土の盛り上がり方を見る。育ってる証拠だ」
悠人が眉を寄せて、足元を見回し始める。
「蓮も、昔は畑やってたの」
「いや。トラックに積む仕事をしてた」
「じゃあ、なんで詳しいの」
「その日暮らしで、覚えることが増えただけだ」
悠人は首をかしげたが、それ以上は聞かず、また土を掘り始めた。
しばらくして、悠人の手が大きな芋の端を捉える。
「あ、これ大きい!」
「急いで引っ張るな」
「周りから崩せ」
言われた通りに、悠人が慎重に土を掻き分けていく。
やがて、両手で抱えるほどの芋が土から抜けた。
「すごい、でっかい!」
「よくやった」
土のついた悠人の頭を、軽く撫でる。
悠人は、軽い足取りでまた別の場所へ駆けていく。
その背中を、しばらく目で追った。
畑の中央では、別の子供が大きな芋を掘り当てて歓声を上げている。
「先生、見て!」
「わあ、大きい」
「頑張ったね」
朝倉が駆け寄り、両手で受け取って笑う。
声には、ちゃんと明るさがあった。
だが、そのまま少し黙る。
視線が、畑の外へ流れた。
誰もいない方角を、しばらく見ている。
ここからは、その先に何があるのか分からない。
午前中は、そのまま何事もなく進んでいく。
積み上がっていく芋の山と、はしゃぐ声が、畑を満たしていた。
午後になっても、賑わいは変わらない。
保護者の一人が水筒を回し、権藤が「休憩、休憩」と声をかけて回る。
その隙に、子供の一人が輪から抜け出した。
小さな三毛猫が、畝の間をひょいと横切っていく。
「あ、待って!」
声を上げるが早いか、子供は猫を追って、畑の奥の茂みへ駆けていく。
気づいたのは、輪の端にいた朝倉だった。
「駄目、戻って!」
声を張り上げながら、朝倉が後を追う。
その時、権藤と外周の護衛配置について話し込んでいた。
「北側、あと二人回せるか」
「今、確認する」
権藤が、トランシーバーを口元に寄せる。
視界の端を朝倉の後ろ姿が横切ったのは、その一瞬の間だった。
「先生」
権藤が眉をひそめる。
顔を上げたが、距離があった。
「反応、その方向に一」
「ただし、雑草の密度で精度が落ちている」
キーロンの声が、いつもより歯切れが悪い。
「一体だけか」
「確度は高くない」
「行く」
言い終える前に、足が出ていた。
畝を跨ぎ、収穫途中の畑を突っ切る。
茂みの奥は思ったより深く、視界が利かない。
葉が肩に触れ、蔓が足元に絡む。
「先生」
呼びかけても、返事がない。
代わりに、短い悲鳴が聞こえた。
朝倉の声だ。
叫びというより、驚きの声に近い。
茂みを抜けると、朝倉が地面に膝をついていた。
その腕の中に、子供がいる。
子供の足元、雑草に半ば埋もれるようにして、それはいた。
上半身だけのゾンビだった。
下半身がなく、腕の力で這ってきた跡が、周囲の草を薙いだ形で残っている。
汚れた土と枯れ葉に紛れて、色までも周りに溶け込んでいた。
朝倉が、その顔面に踵を叩き込む。
一度、二度。
三度目で、動きが完全に止まった。
肩で息をしながら、朝倉が子供を抱き上げる。
「大丈夫。どこか痛いところは」
子供は、きょとんとしたまま、こくりと頷いた。
駆け寄ると、朝倉が弾かれたように顔を上げる。
「矢代さん」
声が、震えていた。
「猫を追いかけて、それで」
「私が、すぐ気づいていれば」
「怪我は」
聞くと、朝倉の視線が、子供の足元へ落ちる。
ズボンの裾がわずかにめくれ、足首のあたりに、赤い筋のようなものが見えた。
朝倉が、素早くその裾を戻す。
「擦り傷です」
「茂みで、転んだだけで」
早口だった。
普段のゆったりした喋り方とは違う。
「見せてくれ」
「本当に、大したことないんです」
「私が、ちゃんと見ましたから」
朝倉は子供を抱え直し、一歩後ろへ下がる。
その拒み方に、眉が寄る。
だが、朝倉の腕は、拒むというより子供を強く抱き込んでいた。
肘のあたりまで、力でこわばっている。
「反応、消失」
「対象は完全に停止している」
キーロンの報告は、地面に転がった上半身だけの個体に向いていた。
見せろ、ともう一度言う代わりに、剣鉈の汚れを草で拭う。
「戻ろう」
「まだ収穫の途中だ」
結局、そう言うに留めた。
朝倉が、小さく頷く。
「はい」
「ご迷惑、おかけしました」
声には、普段の丁寧さが戻っている。
子供の背に回した指は、まだ白くなるほど服を掴んでいた。
畑に戻ると、何事もなかったように収穫は続いていた。
子供たちのはしゃぐ声、鍬の音、保護者たちの笑い声。
朝倉は教師の顔に戻り、子供たちの間に入っていく。
足取りに、乱れはない。
だが時折、目があの子供の方へ動く。
誰かに見られていないか、確かめるような動きだった。
あの傷が気にならないわけじゃない。
ただ、あの場で押し問答をしても、朝倉は裾を上げなかっただろう。
権藤の耳には入れておくか。
そう思って振り向くと、朝倉が権藤の隣で、子供の頭を撫でていた。
足が、そこで止まる。
「今のところ、他に異常な数値は検出されていない」
キーロンの報告に、「ああ」と返す。
午後の日差しが、畑いっぱいに降り注いでいる。
収穫の山は、予想以上に大きくなっていた。
権藤が腕を組んで、その山を見渡す。
「これだけあれば、しばらく保存食には困らんな」
「反応数は、当初予測より一割少ない。終了条件を満たした」
キーロンの報告に、権藤が苦笑する。
「キーロンさんは、いつもそうやって数字で締めるんだな」
「事実を述べているだけだ。感想を求められれば別だが」
「求めたら、何か言ってくれるのか」
「求めるかどうかは、お前次第だ」
権藤が、声を上げて笑った。
悠人が、両手いっぱいに抱えた芋を高く掲げている。
「見て見て、これ全部僕が掘ったんだよ!」
「一人でそんなに掘れるわけないでしょう」
朝倉が、笑いながら突っ込む。
その笑い方だけを見れば、普段と変わらなかった。
撤収の準備が整う頃、日は西へ傾き始めていた。
軽トラの荷台に、芋の詰まった袋が積まれていく。
「ありがとうございました、矢代さん」
曽根崎が、満足げに頭を下げる。
「いやあ、皆さんのおかげですよ」
「これだけ採れれば大成功ですね」
軽く顎を引いて応じる。
学校まで一行を送り届け、荷降ろしを手伝う。
子供たちが、めいめいに芋を抱えて校舎へ駆けていく。
芋の袋を運び込む途中、保健室の前を通る。
取っ手を引くと、鍵がかかっていた。
昼間に鍵が下りているのを見るのは、初めてだった。
「今日は世話になった」
権藤が、軽トラの窓越しに手を上げる。
片手を上げて応える。
助手席には、分けてもらった芋が一袋ある。
明日はふかし芋にするか。




