13話「秋茜」
庭先に、赤とんぼが数匹、低く飛び交っている。
うるさいほど鳴いていた蝉の声は、いつの間にか消えていた。
棚の袋麺とレトルトを数え終え、段ボールに戻す。
乾物と米を合わせれば、数か月分といったところか。
「港南との搬入は三十六回だ」
キーロンの声が割り込む。
「平均で三日と少しに一度、というペースになる」
「順調ってことか」
「順調の定義による」
「血液パックの残数に変化はない」
キーロンが付け足す。
「ただし保存期限はとうに過ぎている」
「使用は推奨しない」
搬入のたびに顔を合わせる相手も、大方決まってきた。
権藤が荷降ろしを仕切り、朝倉が子供たちを教室へ追い立てる。
悠人だけは毎回、追い立てられる列の先頭で振り返る。
「病院との物資輸送は累計八回になる」
キーロンが言葉を継ぐ。
「頻度は週に一回強、というところだ」
届けるたびに、笹川が積み荷を検め、受け取りの伝票に判を押す。
うち何回かは、ついでとばかりにドローンの点検をねだられた。
「総合点検やパーツ交換の提案も多数受けている」
キーロンが淡々と続ける。
「毎回、結果はほとんど変わらないんだがな」
「暇なんだろ」
「否定はしない」
好かれているな、キーロン。
庭先の赤とんぼを目で追いながら、段ボールの蓋を閉じる。
病院への搬入を終え、荷台の縛りを解いていると、笹川が小走りに寄ってくる。
手には携行缶をいくつか提げている。
「蓮さん、ちょっといいですか」
「何だ」
「地下の発電機、燃料がそろそろ危ないんですよ」
笹川が携行缶を軽く掲げる。
「電力の復旧、正直もう見込めないと思ってます」
「宮本院長にも報告済みで、備蓄の軽油だけじゃ冬まで持たない」
「ガソリンスタンドか」
「察しがいいですね」
笹川が笑う。
「近くに一軒あるんです」
「大手のチェーン店で、たぶん地下タンクにまだ相当量残ってる」
「軽油を地下の発電機用に、ついでにレギュラーも車両用に確保できればありがたいです」
「電気が死んでるのに、どうやって吸い上げる」
「可搬の発電機を積んでいって、電動ポンプを回せば済みます」
携行缶を軽く揺すってみせる。
「こっちはその発電機用のガソリンです」
「タンク自体は無事なはずなんで、吸えさえすれば取り出せます」
「元々、工場のディーゼルタンクも似たような構造でしたから、勝手は分かってます」
「移動は病院のトラックを使えます」
笹川が続ける。
「燃料補給用のやつ、タンクも積んであるんで、そのまま運搬にも使えます」
「僕も同行します、機材の扱いは慣れてるんで」
「現場でのゾンビの遭遇率は、考えておいた方がいい」
キーロンが注意を挟む。
「大手チェーン店は幹線道路沿いの立地が多いから、相応の密度を見込んでおけ」
「聞こえてました。大丈夫です」
笹川が携行缶を担ぎ直す。
「いざとなったら蓮さんが駆けつけてくれますよね」
「その時はお願いします」
伝票に判を押す音が、やけに軽く響く。
病院の燃料補給用トラックは、車体後部に給油タンクとホースリールを備え付けている。
発電機は運転席と助手席の間、ベンチシート中央の座面に無理やり据えられていた。
笹川が荷締めロープを座席の骨に回し、二重に縛ってから体を窓側に寄せる。
「これ、結構窮屈ですね」
笹川が膝を持て余しながら言う。
「他に積む場所がなくて、こうするしかなかったんです」
幹線道路に出ると、放置車両の数が増えていく。
カーブを曲がるたび、笹川が助手席で身を固くするのが分かる。
「この道、久しぶりに通ります」
「発生直後は、何度か買い出しに来てたんですけどね」
「今は」
「怖くて、足が向かなくなりました」
笹川が苦笑いする。
「蓮さんがいるから、今日は多少ましですけど」
やがて、赤と白の看板が見えてくる。
大手チェーン店の給油所、屋根付きのアイランドが並ぶ広い敷地。
車を誘導する店員が立っていたあたりに、色の褪せた三角コーンが一つ転がっている。
「動体反応、十」
キーロンの声が短く切り替わる。
「敷地内、散開して滞留」
トラックを店の裏手に停め、車を降りる。
給油所の物陰から、緩慢な動きの影がいくつか立ち上がる。
「ドアは施錠して待っていてくれ」
「もちろんです」
「待ってます」
笹川がすぐさま鍵をかける音がした。
剣鉈とバールを手に踏み出す。
最初の一体を薙ぐ。
給油機の陰から二体、三体と続けて現れ、剣鉈とバールを持ち替えながら捌く。
這ってきた一体を踏み砕き、最後に飛び掛かった個体へバールを叩き込む。
静けさが戻る。
助手席の窓が細く下がり、笹川が恐る恐る顔を覗かせる。
「……終わりました」
「ああ」
「連邦のモビルスーツは化け物か」
笹川が嬉しそうに呟きながら降りる。
「発電機、下ろすぞ」
「あ、はい、お願いします」
運転席側から発電機に手をかける。
笹川と二人で座面から抱え上げる。
重さのわりに扱いにくい形状で、角を地面に打ちつけないよう慎重に下ろす。
発電機を地面に据え、燃料キャップを確認し、リコイルスターターに手をかける。
二度、三度と引くうち、エンジンが唸りを上げて安定する。
「これでポンプが回せます」
エンジン音に負けじと笹川が声を張り、アイランドの端を指差す。
地面に埋め込まれたマンホール状の蓋が三つ、並んでいる。
「緑が軽油、赤がレギュラー、黄色がハイオクです」
「ノズルの色と同じなんで、まず間違えません」
緑の蓋をこじ開け、笹川が電動ポンプのホースを差し込む。
もう一方をトラックの給油タンクへ。
スイッチを入れると、モーターの低い音が響き始める。
「動体反応、追加なし」
キーロンが割り込む。
「敷地周辺、静穏を維持している」
ホースの中を軽油が流れる音だけが、しばらく続く。
笹川は計器のようなものを持っていないらしく、時々ホースに手を当てて振動を確かめている。
「思ったより時間かかりますね」
「地下タンクは容量がでかい」
「そのぶん時間もかかる」
「詳しいですね」
「詳しいのはキーロンだ」
「大手チェーン店の地下タンクは、一基あたり数千リットル規模が一般的だ」
キーロンが補足する。
「今回の吸い上げ量なら、この所要時間は妥当な範囲だ」
小さく笑って、また作業に戻る。
十数分ほどで、トラックの給油タンクが満タンに近づいたらしい。
笹川がポンプを止め、ホースを緑の蓋から引き抜く。
「軽油はこれで十分です」
笹川がホースを巻き取りながら言う。
「ついでにガソリンも貰っておきます」
トラックの下部を軽く叩きながら続ける。
「こっちの燃料缶、まだ空きがあるんで」
ホースを逆さに立て、中に残った軽油を地面に落としきってから、赤い蓋の方へ移す。
「混ざると面倒なんですよ、ガソリンの機械に軽油が入ると一発でぐずるんで」
同じ手順で、今度はトラック下部の燃料缶を満たしていく。
燃料缶の注入口にノズルを当て、慣れた手つきで栓を開閉する。
「工場でも、こういう移し替えはよくやってたんで」
側面を軽く叩き、返る音で残量を確かめている。
「音である程度分かるんです」
燃料缶が満たされたところで、ポンプを止める。
「こんなもんですかね」
「現在の運転時間を維持するなら、病院の発電機は当面保つ計算になる」
キーロンが報告する。
「ガソリンの方も、軽トラの往復を今の頻度で続ける限りは問題ない」
発電機のエンジンを止め、笹川が肩の力を抜くように息を吐く。
「今度、酒でも奢らせてください」
「酒はあるのか」
「院長の私物を、こっそり分けてもらえるかもしれません」
発電機を、ベンチシートの中央に据え直す。
運転席に戻ると、笹川がまた発電機に体を押しつけるようにして座る。
「これ、帰りも窮屈ですね」
「我慢してくれ」
エンジンをかけ、給油所を後にする。
誰も立っていないアイランドに、ノズルが垂れ下がったままだった。
バックミラーに映る赤と白の看板が、次第に遠ざかっていく。
道の脇、伸び放題の田が、枯れた穂を風に揺らしている。
「ガソリン満タン、入りました」
そんな声が聞こえた気がした。




