12話「救急搬送」
校庭のざわめきが、不意に色を変える。
子供の甲高い叫び声が響き、それを追うように大人の怒声が重なる。
顔を上げると、校庭の隅に人だかりができている。
輪の中心、地面にうずくまっているのは中年の女だった。
生徒の誰かの母親らしい。
顔は土気色に近く、額から汗が止め処なく噴き出している。
肩を上下させる呼吸が、近づいて初めて分かるほど浅い。
「お母さん!」
女生徒が泣きながら縋りつく。
周りの大人たちは遠巻きに立ち、手を出しあぐねている。
朝倉が手首を取って脈を確かめる。
その顔が、見る間に強張っていく。
縋りついたまま、女生徒が切れ切れに言う。
「ずっと発作が続いてて……薬も、ここにはなくて」
権藤も追いついてきて、朝倉と短く目配せを交わす。
二人の視線が、同時にこちらへ向く。
「矢代、病院まで出してもらえないか」
権藤が先に口を開く。
「軽トラも運転できる人間もいる」
「ただ、道中で群れに当たったら荷台ごと終わりだ」
「銃を撃てる連中は警備班に張り付いてる。抜いたら今度は学校が空になる」
「調達班も今朝から出払ってて、こんな時に限って、な」
「分かった」
校舎裏の軽トラへ向かう。
荷台には担架代わりの毛布が畳んで積まれている。
病人輸送用に、あらかじめ確保されていた車両らしい。
自分のジムニーから装備一式を移し、助手席に積む。
バールと散弾銃、ドローンのケース。
最後に荷台を軽く揺すり、毛布の崩れがないのを確かめた。
権藤が女を抱え上げ、慎重に横たえる。
女生徒がすがるように荷台の縁を掴む。
「私も行きます」
朝倉が言いかけたところに、権藤が割って入る。
「先生はこの子を見ててくれ」
「俺が付き添う」
朝倉は一瞬迷う顔をしたが、頷く。
「必ず、連れて帰ってきてください」
女生徒の肩を抱き、宥める朝倉の声が遠ざかっていく。
権藤が荷台に飛び乗り、女の頭を膝に乗せる格好で腰を落ち着ける。
「揺らすなよ」
「できるだけ、な」
運転席に乗り込み、エンジンをかける。
「バイタル、微弱だが確認できる」
「病院まで、二十分」
キーロンの声はいつも通り平坦だったが、数字がやけにはっきり耳に残る。
アクセルを踏み込む。
荷台から、権藤の押し殺した声が聞こえてくる。
「しっかりしろ、もうすぐだからな」
道中、対向車どころか人影一つ見当たらない。
路肩に放置された車の脇を、時折すり抜けるだけだ。
カーブを曲がると、白い建物が見えてくる。
三階建ての病棟。
正面玄関には土嚢とバリケードが積まれ、簡易の検問所じみた造りになっている。
「港南の権藤です!」
荷台から身を乗り出し、権藤が声を張る。
「急患です、通してください!」
見張りの男が顔を確認するなり、慌てて手を振って合図する。
「開けろ、港南だ!」
バリケードの一部がずらされ、道が開く。
敷地に乗り入れると、駆け寄ってきたのは白衣の女だった。
四十手前くらいだろうか。
髪をひっつめ、目つきは鋭いが動きに迷いがない。
「患者は」
開口一番、それだけを聞いてくる。
「荷台だ」
「意識、混濁してる」
女はすぐに脈を取り、瞳孔を確認し、短く指示を飛ばす。
「ストレッチャー、こっち」
どこからともなく現れた男二人が担架を運んでくる。
女生徒の母親は、あっという間に建物の中へ運び込まれていく。
残された俺たちの前に、痩せた年配の女が歩み寄ってくる。
白髪混じりの髪をきっちりとまとめ、眼鏡の奥には濃い隈がある。
白衣の下から、隠しようのない貫禄が滲んでいる。
「院長の宮本です」
「うちの遠藤が、失礼しました」
宮本が軽く頭を下げる。
「命に関わる時は、ああなるので」
「詫びられることじゃない」
宮本の視線がこちらに向く。
「あなたが、噂の」
値踏みするでもなく、ただ興味深そうに見られている。
「矢代だ」
「矢代さん」
宮本が繰り返す。
「処置が終わるまで、少しかかります」
軽トラの荷台に腰を下ろし、待つ。
権藤は玄関の前を意味もなく行ったり来たりしている。
建物の影が、駐車場の白線を一本分ほど飲み込んだ頃だった。
作業着姿の男が小走りに現れる。
三十半ばだろうか、日に焼けた顔に人の好さそうな笑みを浮かべていた。
その視線が、一瞬だけ患者の運び込まれた入り口へ流れる。
気づかなければ見落とすほど短い間だ。
「笹川です。いや、話には聞いてましたが」
しげしげとこちらを眺め回す。
「もっとごつい大男かと思ってたら、意外と普通の方なんですね」
「悪かったな」
「あ、失礼しました」
笹川が頭をかく。
「悪気はないんです、いつもこれで嫌われるんで」
言いながらも、視線は軽トラの助手席へ流れている。
さっきまで落ち着かなかった目が、急に止まった。
「それより、例のドローン。モジュール式だって聞いたんですが、本当ですか。よければ、ちょっと見せてもらえませんか」
「見せるのは構わないが」
「対象は初対面の第三者だ」
キーロンの声がリストバンド越しに割り込む。
「ドローン仕様の開示は推奨しない」
「機体だけだ、中身まで見せるわけじゃない」
「……それなら、許可する」
「ただし電源は落としたままにしろ」
助手席からケースを引き出し、荷台の上で蓋を開ける。
折り畳まれたドローンが姿を現すと、笹川の目の色が変わる。
「これ、フレームはカーボンですよね」
覗き込みながら、指先で軽くアームに触れる。
撫でるというより、傷がないか確かめるような触れ方だった。
「うわ……この傷、ちゃんと使ってる傷ですね」
声の速度が、さっきまでより一段上がっている。
「モーター、四発それぞれ独立制御ですか。変形機構持ちのMSみたいな構造ですね、これ」
「らしいな」
「詳しいのは、そっちに聞いてくれ」
「アーム接続部の設計は悪くない」
キーロンが答える。
「ただし三番モーターのマウントは、経年で緩みやすい構造だ」
「あ、それ分かります」
笹川が食いついた。
「振動が集中しやすい位置ですよね、この形状だと」
「うちの発電機も同じです、マウント周りの疲労。増し締めとワッシャーで誤魔化してますけど」
「その場しのぎとしては妥当だ」
「記録しておこう」
「AIに褒められたの、人生初です」
「褒めてはいない」
「事実を評価しただけだ」
「……ですよね」
笹川がそれでも嬉しそうに笑う。
「次に来た時、工具持って見させてもらっていいですか。うちにベアリングの予備、多分合うのがあります」
「お前がやるのか」
「僕は元、工場の設備保全担当だったんで」
笹川が胸を張る。
「病院の発電機も、換気システムも、大体僕が見てるんで」
「この施設の発電機は稼働率が高い」
キーロンが割り込む。
「その状態を長期にわたって維持している例は、統計的には少数派だ」
「お前が言うなら、任せる」
「壊すなよ」
畳んだドローンを無造作にケースへ放り込むと、笹川の眉がぴくりと動いた。
「あ……そんな乱暴に入れると、アームの付け根が」
言いかけて、口をつぐむ。
「いや、すみません。矢代さんの機体ですし」
「気になるなら言えよ」
「……次から、置き方だけでも気をつけてもらえると」
笹川が小さく頭を下げる。
ふと思い出したように、建物の方へ顎をしゃくる。
「さっきの患者さん、峠は越えたみたいですよ」
「こういう時、僕にできるのは電気を止めないことくらいなんで」
「笹川さん」
少し離れた場所から、宮本の声が飛ぶ。
それだけで、笹川の背筋が伸びた。
「あ、はい」
さっきまでの早口が嘘のように、声が急に小さくなる。
宮本が短く何か言いつけると、笹川は何度も頷きながら小走りに離れていった。
機械の話をしている時とは、別人のような後ろ姿だった。
助手席に、権藤が乗り込んでくる。
女生徒の母親は、意識が戻らないまま病室に移されたと聞いている。
エンジンをかけ、病院の敷地を出る。
しばらく、権藤は窓の外を眺めたまま黙っている。
「助かった、恩に着る」
ぽつりと漏らす。
「校長に言えば、調達班を無理にでも呼び戻せたかもしれんが」
「言わなかったのか」
「言う暇がなかった、というのもあるが」
権藤は自嘲気味に笑う。
「あの人に頼むと、話が長くなる」
「『これを機に護衛体制を見直すべきだ』とか、『次からは事前に相談を』とか」
「人が倒れてる横で、そんな話をされたくなかった」
ハンドルを握ったまま、黙って続きを促す。
「悪い人間じゃないんだ」
「学校を回すには、あの厳しさも必要なんだろう」
権藤が窓の外に目を戻す。
「ただ、境目がない。与えても与えても、次の要求が来る」
道端の廃車を避けながら、ハンドルを軽く切る。
「……すまん、こんな話」
権藤が我に返ったように言う。
「学校じゃ、誰にも言えないからな」
「聞いてるだけだ」
しばらく、車内には走行音だけが響く。
「にしても、お前の動きな」
権藤が思い出したように言葉を継ぐ。
「群れに突っ込んで、金属バット一本で崩していく姿、素人目にも異常だと分かる」
「褒めてるのか」
「羨ましいんだよ、正直」
権藤は自分の右膝を軽く叩く。
「昔、実業団の内定まで貰ってたんだ、陸上で」
「膝、やっちまってな。手術しても、元の走りには戻らなかった」
初めて聞く話に、視線だけ横へ向ける。
「それで教師に」
「潰しが効くのが体育しかなかった、というのが正直なところだ」
権藤の口の端だけが、皮肉っぽく上がる。
「今でも、たまに走ってる夢を見る。目が覚めると、膝が疼く」
「そうか」
「だから、な」
権藤がこちらを見る。
「お前のその力、無駄にするなよ。俺はもう、二度と手に入らないものだからな」
言葉に湿っぽさはない。
帳簿の数字を読み上げるような調子だった。
「校長には」
権藤が話を戻す。
「今度、お前を護衛に、って話も出てる。断っといた方がいい」
「あの人の『期待』は、際限がないから」
「覚えとく」
権藤がまた窓の外に目を戻す。
学校まで、あと十分ほどあった。




