焚火をしながら疑心暗鬼を拭いたい
日も暮れてきて周囲もだいぶ暗くなると、さすがに少々風が冷えてきたように感じる。こんな広大な場所にいながら街明かりひとつ見えないことが、こんなに薄ら寒く不安を煽るのだとエルザは痛感していた。
そういえば、何気なく目が覚めた場所であるからか日中は気候の不快さについては全く意識しなかった。揺らぐ焚火の熱と光が相対的にありがたくなってくる頃合いに、彼女は屋外用の簡素な椅子に座りながら、この世界での都合の良さと少々の寂しさに思いを馳せる。
「はい、エルザ。そろそろ焼けてると思うよ」
「……あ、ありがと」
アストレアはもう皿に盛ってある肉をがっついている。鳥もどきのクセに羊肉に舌鼓を打つなんて考えてみたら全く贅沢なやつだ。
「やっぱりちょっと疲れてるんじゃない? 大丈夫?」
「あー、ごめん、ちょっと考え事をしてただけ!」
「そう? 食欲あるなら良いんだけど……」
「あるある! 大丈夫だよ、いただきます!」
ヘルガとの出会いは必然であった、と思う。目が覚めて、アストレアがいて、近くで羊に襲われているヘルガを見つけた。自分には助けられる武器があって、助けたら彼女はこちらを助けてくれている。彼女と自分は同じ記憶喪失で、お互い仲間が欲しかったから丁度良かったし、その時の羊は、こうして食事となり、小屋のカーテンやベッドの素材になっている。
――ちょっと都合が良過ぎる気がする。
もしヘルガが色々なことを織り込み済みでこちらに接触しているのだとしたら……? もし何も知らないのは自分だけで、彼女は何もかも知っているのだとしたら……? 疑心暗鬼なんて全くらしくない、と思うが、果たして、真実とやらはどこで遊んでいるのだろうか。
「どうしたの、ため息なんかついて」
「あっ、ため息出てた? ごめん、なんか頭がよく働かなくて」
「まぁ、いきなりこんなところに放り出されて全部納得して理解しろって方がおかしいと思うよね」
「……ぇ?」
いきなり自分が考えていた核心部分に触れられてエルザは動揺する。でも、もしも同じ状況で放り込まれたなら、彼女もまた似たようなことを考えているかもしれない。あるいは……何かぼろを出すだろうか。
「私は……自分が誰かもわからなくて、ひとりで何も持ってない状態でさ、ちょっと歩いたら大きな羊が襲ってきて……ほんと死ぬかと思ったよ」
軽い雰囲気で困ったような笑顔をこぼすヘルガ。けれども、焚火に照らされたその手は少しだけ震えていた。
「助けてもらえなかったら、今頃どうしてたかな……もしかしたらずっとあのまま動けなかったかもしれないし、もしかしたら魔力切れとかになってたかもしれない……」
「……ヘルガだったら、多分上手く切り抜けられたんじゃないかな。あの後思い付いたら何でもできちゃうし、今だって家建てて串焼き作ってくれたしさ……」
それを聞いたヘルガは、黙って首を横に振る。
「あの時エルザに助けてもらったから、今できるってだけだよ」
「……買いかぶり過ぎだよ」
「そんなことない……そういえばまだちゃんとお礼言えてなかったね」
「……?」
「助けてくれてありがとう、エルザ。あの時、ひとりでどうしようもなく不安で、悲しくて、泣いちゃってた」
「……そういえば泣いてたね」
「助けてもらえて、ちょっと安心したらまた涙が止まらなくなっちゃって……困らせちゃってごめんなさい」
「あぁ、そんな! 謝らなくていいのに」
「今もね、ちょっと泣きそうな気持ちがあるんだ」
「……ぇ?」
ヘルガは自分の椅子をエルザの近くまで持って来ると、椅子を置いてそこに座りなおした。それから、エルザの顔をちらっと見てから、焚火に向き直る。
「エルザに会えなかったら、この夜を独りで過ごさなきゃいけなかった……そう考えたら……ううん、ずっと明るい内から考えてて……。だから、自分のできそうなことは頑張ろうって思ったの。エルザの横に居させてほしかったから……」
「……そっか」
どうしてこんな話になってしまったのか……。と考えた折、エルザは自分自身がヘルガと距離を取ってしまっていることにやっと気が付いた。なぜヘルガがわざわざ物理的に近づいて話をしなければならなかったのか、その意味を。
エルザは言葉がうまく紡げなかった。ヘルガは直接的な戦闘力を未だに有していない。それはきっと、自分よりもとてつもない恐怖や不安を抱えながらついて来てくれていたに違いなかった。変に疑心暗鬼になっていたことが恥ずかしくて、とても申し訳ない。
「ちょっと張り切り過ぎちゃったかもしれない……し、仲良くなれたと思って結構なれなれしくしちゃったと思うんだけど……もしかして私のこと嫌いになっちゃった……かな?」
ヘルガの言葉に涙がこもる。それはきっと無意識なのだろうが、出会った直後の敬語が抜けなかった時の話し方に少しだけ戻りつつあった。それを聴いてエルザは強く後悔した。エルザ自身が無意識に彼女から距離を取ってしまっていたことに気付いてなお、ヘルガは平然を装おうとしてくれていたというのに。
「……ごめんなさい……ちょっとね、嫉妬しちゃってたの。ヘルガは色んなことが出来ちゃうから、私なんかいなくても何でも上手くやれるだろうって……」
「そんなことないよ。きっと何でもはできないし、今だって、あなたがいてくれるから……」
やっぱり自分には疑心暗鬼なんて性に合っていない。もし騙されていようが何だろうが、どうだって良いじゃないか。今はヘルガの横にいられることを、精一杯楽しんで生きられれば良いのだ。エルザは、何かが吹っ切れるのを感じた。そうであるなら、それを誤解なく伝えるべきだ。
「なんかね、出来過ぎだなって思ってたの」
「……何が?」
「ヘルガに会って、助けて、助けられて、ここまでの道が全部!」
「そ、そう? 出来過ぎだった……?」
「私の中ではそう。戦う以外は割とおんぶに抱っこだったし……だからね、ちょっと疑心暗鬼だった。ヘルガは本当は何か知ってるんじゃないか~、とかね」
「そっか……」
ヘルガは目を伏せて明らかに落胆してしまった。だからこそ、この話は続けなければならない。しっかりと伝えなければならない。
「でももうそういう変に複雑な考えはやめることにしました!」
「……ぇ?」
「もうね、ヘルガが横にいたら、寂しくない!」
「……!」
彼女の瞳に光が戻る。潤んでいるのか、その光は余計に眩しく見えた。
「めちゃんこ可愛いし、素材も採ってくれる! 家も作れる! 串焼き作れる!」
「……ふっ、ふふっ……なにそれ」
こういう場合、情にだけ訴えかけるより、こちらにもちゃんとメリットがあるんだよという事実を伝えた方が何かとスムーズだと思われた。不器用なりにぶちまけてみたエルザであるが、思いのほか正解だったようである。
「つまり私にとって超快適! 何があったって離れる理由はない!」
「……本当に?」
「本当に。だから隣にいてよ、ヘルガ……」
ヘルガの顔が一瞬の安堵から崩れ始める。それはきっと最初に会った時と同じなのだろう。
「……ぅぅ……そっか……安心した……」
「そう? なら良かった」
「ぴぴ」
「はいはい、アンタもね」
冷たく不安に感じた夜の空気は、焚火の熱と食事でいつのまにか温まっていた。こんな日が続くのであればそれも悪くないだろう。
♢
食事も終わったので、焚火を消火することにした。早々何かに燃え移るなんてことはないと思われるが、貴重な遺跡付近で火の不始末が原因でとんでもねぇことになっても責任が取れないわけで。
「それじゃ消しちゃうね?」
「お任せいたします」
炎が消えても大丈夫なようにふたりとも灯りを持っている。先程作ったキャンドルライトに持ち手を付けたものだ。やはりこういうアウトドアでも使えるグッズというのはサバイバビリティの補助に実に有効である。
水魔法によるジュッという気持ちの良い音とともに周囲を照らしていた熱と光が消え、ほんのりとした灯りだけがふたりと一羽を照らした。それと同時に緊張の糸が切れたのか、エルザが特大のあくびをかます。
「あくび出ちった……んじゃあ、中に入って休もうか」
「……ちょっとだけ待って」
「……ん? どうかした?」
ヘルガは無言でエルザの近くまで寄ると、自分の持っていたキャンドルの火を吹き消した。それからエルザの手を取ると、こっち、と言って小屋の前を抜けて遺跡の入り口が見えるところまで連れてきた。
「ちょっとその火を消してもらっても良い?」
「ん? 良いけど……」
促されるままに火を吹き消したエルザは、暗がりの中でも空を見上げているヘルガの姿が薄明りに照らされているように見えた。
「エルザ、空見て?」
手は繋いだまま、言われた通りヘルガの見ているであろう空を見上げると……。
「……ぅ……わぁぁぁ……!」
――そこはあまたの光がひしめく、まさに星の海――。
きっと世界中の宝石を片っ端から砕いて空に散らしたって足りないであろう幾億幾万の星々が、まるでその全員で語らっているように瞬いていた。
「……夜ってもっと暗いんだと思ってた」
漠然とした疑心暗鬼は、きっと焚火で温まって煙になった。
「……私も。見られて良かった」
置いて行かれる恐怖と不安は、きっと煙と一緒に星空に溶けた。
眼前の巨大な廃城は漆黒に包まれ、それでいてなお星の明かりに輪郭を顕されてその荘厳さを今に知らしめている。はるか昔、この城の城主が、その一族が、使用人たちが、兵士たちが、商人たちが、農民たちが、どのような生活をしていたのか。今では知りようのないことだが、それでも間違いないことがあった。
彼らもまた、この星空を見て、きっと色々なことを語らっていたに違いない。もしくは、今のふたりと同じように言葉を失っていたのかもしれない。
星の声に耳を澄ませば、風に揺られる森の木が、草原の草が、風が振るわせる大気の声が、近くの川のせせらぎが、色んなものが呼応しているように感じる。全てのものたちが語らっている、そんな気がしてくる。
どれだけそうしていただろうか。繋いだままの手の熱が、夜風に少しさらわれてしまったような気がした。そろそろ頃合いだよと、そう言われているような。
「……ちょっと冷えてきたかも」
「そろそろ戻ろっか。付き合ってくれてありがとうね」
「うん、いいもの見た。すごく」
「うん、きっと一生忘れない」
「また見よう、ふたりで」
「そうだね。また見よう」
「ぴぴ」
「はいはい」
「ふふっ、アストレアも一緒に見ようね」
「ぴー」
少し強まってきた夜風に背中を押されながら、ふたりは少しだけ足早に、少しだけ軽快に小屋に戻った。
雲ひとつなく晴れ渡った星の海は穏やかな凪のごとく、空にあってただただ揺らめいていた。きっとそれは幾百、幾千年前と同じように。




