疲れたからちょっとだけ横になりたい
「まさかそんな手作業だとは思わなかったなぁ……」
「初日の夜にここまで出来るならじゅうぶんだと思うんだけどね……」
ランプが各所に置いてあるとはいえ全体的に薄暗い小屋の中、エルザが持つ灯りを頼りに、ヘルガは風呂、トイレ、流し共用の清水タンクの水を温めていた。方法は実にシンプルかつ不可解、水の中に火魔法を発生させておくことだけである。酸素の供給とかどうなっとんねんと思われるだろうが、そこは安心して欲しい。これ魔法なんで! ちなみにちょっと時間が掛かっているのでアストレアはちゃちゃっと作られた簡素なテーブルの上に羊の綿を敷いて寝てしまった。薄情なやつめ。
「……まぁこんなもんで良いかな。ちょっと温度見てくれる?」
「お、どれどれ~……?」
ヘルガに持っていたランプを渡すと、エルザはタンクに手を突っ込んだ。タンクといっても急造のため木製であり、下手に炙ると火事になる可能性がある。そのためヘルガは水の中で小さめに火を起こすしかなかったわけだ。で、水の中で火を起こすって何さ。
「ん! 丁度良いかも!」
「おっけー、そしたらエルザ、先に入っちゃって」
「おっと、そういうときは、先にシャワー浴びて来いよ……って言うんだぜ?」
「……冗談言ってると冷めちゃうんだからね」
「にしし、でもこっち先で良いの?」
「冷めても私なら温め直せるじゃない?」
「だったらそっち先に入っちゃって、私入ってる時に冷めてきたら温めてもらう方が効率良くない?」
「……あ、そう言われるとそうかもしれない」
実際やる手間としてはそんなに変わらないのであるが、時間の配分的にはエルザの提案の方がスムーズな気がした。
「じゃお先に入ります」
「あい、ごゆっくり~」
ヘルガはちゃっかり作った風呂桶とハンドタオル、バスタオルを持ってシャワー室に消えていった。ランプは通気口付近に杭を打って吊り下げてあるので酸欠になる心配も水が掛かって消える心配もないだろう。
「……づぁー、疲れたぁ~!」
エルザは着用していたキャップとパーカーを脱ぎ散らかすと、そのままベッドの上にうつ伏せで倒れた。素材が簡素なはずなのに寝心地としては上々だ。ヘルガのスキルに感謝しなければなるまい。
正直藁屑のベッドを出されても文句は言えないと思っていたのに、お出しされたのは――高級木材と高級羊毛のベッド ふかふかの枕と掛け布団を添えて――である。これで加工した本人が「てきとうに作った」とか言うからタチが悪い。この世界に家具屋と寝具屋があるなら揃って卒倒することだろう。
「……ここ、だだっ広い草原の真ん中なんだよなぁ」
なんなら周りは広大な森、そしてしっかり廃墟前である。考えてみたら夜ってだけでとんでもなく不気味な立地だった。この広い土地で昔戦争があったりしたらアンデッド湧き放題なんじゃないの、ここ。
「い、一応簡易索敵し直しておくか……」
周囲を警戒してみたが、取り立てて怪しい存在もない。アンデッドの類が湧いてる風でもないし、他の生物に関してもわざわざ入れもしない廃墟に寄り付く存在などいないようだ。実際実益もないだろうし。
ほっとした勢いでうつ伏せのままため息をついたエルザは、そのままでは苦しかったので仰向けに直り、もうひとつため息をついた。
「なーんか色々あったな……」
などとつぶやいて、精神的なものか身体的なものかわからない疲労感にまぶたの操作を委ねてしまうと、そのまま目を閉じて寝息を立て始めてしまった。ベッドの寝心地が気持ち良過ぎるのも考え物のようだ。
♢
気が付くと、彼女は白い空間にいた。
無機質なわけではなく、仄かに暖かみのある空間だが、特に物が置いてあるわけでもない。まるで現実味はないが、手を動かしてみたところ違和感もない。
「どこだろ、ここ」
周囲を見渡しても何もない。ただ空間が広がっているだけだった。
「あれ……私、誰だっけ」
自分が誰なのか、何をしていたのか、全てどこかに置いてきてしまったような空虚な感覚。こういった状況にはどこかで覚えがあった。
「あぁ、夢か」
おそらく現実ではない、だがどこかで現実に繋がっている場所。そうであるならば、今の自分が繋がっている現実とはどこなのだろうか。
「何してたんだっけな……うーん、思い出せない……」
あーでもないこーでもないと首を捻っていると、自分のやや後ろを誰かが……おそらく見知った少女が通り過ぎた気がした。
「……っ!?」
振り返ってもそこには誰もおらず、だが、確かにそこには誰かがいた気がした。名前は、確か……。
「……ヘルガ! 近くにいるの? ……いないの? おーい……」
彼女の名前は私が付けたはず。強そうな名前が良いと言っていた。……ヘルガ、間違いなく私が付けた名前だ。そんな彼女から私も名前を貰ったはずだ。
「私は……エルザ……そう、エルザ。……あともうひとり誰かが……」
もうひとり、仲間がいたと思う。私のネーミングセンスがなくて、拒否されて、結局ヘルガが名前を付けた仲間が……。
「……アストレア! いないの? ヘルガ! アストレア!」
呼びかけても何の反応もない。自分はここにひとりなのか、そう彼女が打ちひしがれそうになったとき、どこかで話し声が聞こえた気がした。
「誰か! 誰かいるの!?」
こちらへの反応はない。だが、誰かがどこかで会話をしている。その声が聴こえる方に歩いていくと、ほどなくして人影が見えた。三人いるだろうか。
「やはり……のためには……との……が必要だろう……」
「私も……です。……でずっと……というのは……でしょう……」
「あなたたちは……過ぎる! ……で……なったか……でしょ!……」
「とは言っても……じゃあなぁ……」
「……なのはわかりますが……では……、これは……の……でもあるのです」
「そうは言うけどね! ……あ」
三人はやり取りを止めると、一斉にこちらを見た。男性がふたり、女性がひとり、ぼんやりしていて外見もわからなければ話していたことも全く聴き取れなかったが、ただ、こちらを見る眼差しの柔らかさは感じ取れた。
「すいません、声が聴こえたんで来ちゃったんですが」
「あぁ、構わないよ。何か聴きたいことがあれば答えられる範囲で答えよう」
「お答えできないこともあるので、その時はご容赦くださいね」
咄嗟に受け答えに応じてくれたのはふたりの男性のようだった。もうひとりは声の感じからして女性らしいが、どうもこちらの様子を伺われているようだ。
「それじゃお言葉に甘えて……ここはどこですか?」
「ここは……そうだな、君の夢の中、とでもしておいてくれ」
その人は、快活そうな青年と思しき雰囲気があった。誰とでも打ち解けられそうなコミュニケーション強者の貫禄がある。しかしここが夢と言われるとは、中々ストレートな夢である。
「そうなんですか……えっと、何の相談をしていたんですか?」
「我々の今後の方針会議、といったところです」
その人は、冷静さと慎重さを持った大人の男性という雰囲気があった。明確に内容を話さないということは、これ以上踏み込むべきではないか。
「あの、私ここに居て大丈夫なんですか? 何か聴いちゃいけないこととかありませんか?」
「大丈夫よ。あなたには全部は聴き取れないようになっているの。安心してちょうだい」
その人は大人の女性であったけれど、どこか茶目っ気と幼さを併せ持つ雰囲気があった。様子は見られていたようだが、敵意はないらしい。
「そうなんですか……あの、元の場所に戻るにはどうすれば……」
「心配しなくても大丈夫。もうすぐ目が覚めるはずさ」
「ここでのことは、きっと忘れてしまうでしょうけれどもね」
「……せっかくだから、目覚める前に何か一言送ってもあげたら?」
「……え? 参ったなぁ……」
「今忘れてしまうと伝えたばかりなのですが……」
「ちょっとぐらい良いじゃない! ノリの悪い男は嫌われるわよ」
どうも力関係的には女性の方が強いらしい。夢の中の登場人物にもそういうことがあるんだなぁ、とエルザは他人事のように思っていた。
「あの、私は別に何もいらないんで……っ!?」
断ろうとした矢先、体が急に重くなったような気がした。何か下の方に引っ張られるような強い力に、身体中の感覚が落下の準備をしているような。
「おっと、そろそろ時間のようだね」
「ほら、何か気の利いたこと言いなさいよ」
「そうだな……では、君たちに楽しい旅路があらんことを!」
「あなた方の幸福を、いつも祈っていますよ」
「あなたたちが、美味しい物をたくさん食べられますように」
女性がつかつかと近付いてくると、エルザの額のあたりを人差し指でちょん、と小突いた。
「じゃあ、またね」
「えっ、あ、あの!?」
そう言いかけた直後、エルザの身体は下方に強く引っ張られ、三人を見上げるような形で一気に引き離されていった。
はっきりした姿は終ぞ見えなかったが、遠ざかる三人はどこか楽し気に手を振っているようだった。
♢
「……ねぇ、エルザ、このまま寝ちゃう?」
「はひっ! 私寝てた?」
エルザは反射的に飛び起き、よだれを手首で拭った。何か夢を見ていたような、何も見ていないような。まぁ寝起きならそんな感覚はよくあるものだろう。
「思いっきり寝てたよ。疲れてるなら無理にシャワー行かなくても良いとは思うけど……どうする?」
「行きます行きます! 汗臭いままは嫌だし」
自分で言っておきながら、咄嗟に自分の右肩あたりのにおいを嗅ぐ。酷いにおいはしないが、清潔にできるならそれに越したことはないわけで。
ついでにいうと、エルザは寝起きのために脊髄反射で会話をしているが、普段とそんなに内容が変わらないためヘルガに気付かれていない。
「桶と石鹸は中に置いてあるから、これ、ハンドタオルとバスタオルと……」
「至れり尽くせりじゃん」
「あとこれ、部屋着みたいなの用意したんだけど、良かったらパジャマとして使ってみて」
「え、いいの? めっちゃ着心地良さそう~! ありがとう~」
「いえいえ、どういたしまして」
差し出されたのはちょっと厚みのあるルームワンピースといった代物だった。そういえばヘルガも同じものを着てるっぽい。やっぱりここ高級ホテルのツインルームだよね。っていうかもうしれっと出てくる完成品に何の驚嘆も疑念も消えているあたり、やっぱり会話の機会というのは大事なのだ。
「バスタオルは入り口寄りのところに掛けるところ作ってあるから。で、その横に棚あるから服とかはそこに入れてね」
「ほいほい」
寝ぼけていてよく見ていなかったが、ヘルガは今ふたつに結っていた髪をほどいてストレートロングになっている。そればかりか、お湯で温まって頬がほんのりと上気していて可愛いのに大変色っぽい。昼から見ててもそうだが、すっぴんでこのレベルは異常と言って良い。この娘だいぶやばい。
「あ、石鹸ね、ちょっと強過ぎると思うから、タオルで擦った分をお湯で薄目に溶いて使ってね。今度作り直しておくから今日はそれで我慢して」
「了解了解。石鹸まで使えるなんてほんとどこの高級ホテルなのよ」
「こんな石鹸じゃ高級ホテルは名乗れないかなぁ。あ、お湯はちょっと沸かし直しておいたから多分温かいと思う」
「いやぁ、何から何までありがとうございますなぁ」
「どういたしまして。さぁ、冷めない内に入ってらっしゃい」
「そうすることにします」
エルザはまだ半分寝ぼけたままシャワーを浴びることにした。重要なようでそうでもないような夢を見たことは、その頃にはもう髪の毛の先から足の先まで綺麗さっぱり忘れてしまっていた。




