話し合いは続けたい
魔王。それは概ね、ファンタジー世界におけるラスボスの代名詞である。その言葉の意味するところは、際限なく魔力を行使し、魔物や魔族を使役し、世界を滅ぼすか、もしくは支配する、文字通り〝魔の王〟である。
「……何かスケールが大きな話になってきたね、……ヘルガ?」
思うところがあるのか、ヘルガは黙ったまま、しばし目を伏せていた。
「……なるほど、ここまでの話の全容が見えてきました」
場の空気が一瞬で変わる。若干重かった空気がさらに重さを増し、肌がピリつくほどの緊張感が漂い始める。その発生源は、ヘルガである。
「次は私たちのお話を、と言いたいところですが、その前に二点ほど聞かせていただきたいのです。よろしいでしょうか?」
「……ええ。……どうぞ」
仕切っているはずのアデーレが、その場を支配するプレッシャーに押し負ける。そんな状況で、ロイもカール卿も固唾を飲む。
「まずひとつめ、あの巨大な廃墟について、あなた方の知っていることをお聞かせ願いたいのですが」
ロイとアデーレが顔を見合わせてまごついている内に、今度はカール卿が重い口を開いた。
「あの廃墟は千年ほど前、世界を恐怖に陥れた魔王が住んでいたとされている城です。ただしその話も口伝でしか伝わっておらず、文字による記録らしい記録は、不自然なほどに何も残っていません」
「廃墟自体の調査はされたことがあるのですか?」
「……ご覧の通り魔素が濃く、誰であっても入って数歩で膝をつく状態でして、現在まで調査らしい調査は進んでいないとのことです」
それを聞いてエルザが何か反応しようとするが、それより先にヘルガがエルザの腕を掴み、それを無言で制止する。
「ありがとうございます。ではふたつめ、あなた方は随分と私たちに丁寧に接してくださいますね。最初は、小娘をかどわかすための薄っぺらな口実かと思っていましたが、どちらかと言えば随分と取り入るような態度――」
ヘルガは順番にロイ、カール卿、アデーレを品定めするように眺める。
「あなた方の抱える恐怖、伯爵令嬢と冒険者ギルドによる手厚い保護、周辺のきな臭い事情、そして魔王が復活するのではないかという危惧。……何より、魔王城と思しき廃墟が、こんなに近くにあるということ……」
睨みを通り越して、それはまるで、人を蔑むような視線で。
「あなた方はまるで、私たちが〝復活した魔王〟だとでも言いたげですね?」
その反応は三者三様だったが、いずれにも「やはり触れなければ良かった」という後悔が滲んでいた。これではもう、和やかな話し合いではない。もはやこの会談の先にあるのは、戦闘か服従か、という岐路である。
「そう言われてしまうと、我々は〝その通りでした〟と申し上げるほかありません……。しかし、その疑念はもはや消えております。ですからこうして話を――」
「私たちに伯爵令嬢の傘下に入って協力しろと? 能力を振るえと?」
「その辺りの話は追々、レナーテ様も含めて方針を固める方向で――」
「私たちを取り込む前提で話を進めないで!」
少しでも状況を好転させるための、ロイの必死のフォローであったのだが、それに対して、ヘルガは平手で机を打った。痛烈な打撃音のあとの静寂には、まるでこの場の全てがご破算になるかのような気配すら漂い始めていた。
この場で誰も口を開くことができない。
ただひとりを除いて。
「ヘルガ、良くないよ」
「……え?」
エルザは、ヘルガとは対照的な、慈悲にも似た視線を三人に向ける。
「この人たちは、怖くても話し合いに来てくれたんでしょ? だったら、脅かさないでちゃんと話を聞いてあげなくっちゃ」
「でも、このままじゃ私たち利用されて――」
「そこはほら、お互い様じゃない?」
「……どういうこと?」
エルザは、人差し指を自分のあごに当てると、視線を宙に向けながら、なにやら楽しそうに考える素振りを見せる。
「んー? だって、甘い物は食べたいし、野菜は必要でしょ? くれるって言うなら貰えば良いじゃん!」
「……え?」
「その代わりぃ~、手伝えることがあったら手伝う。それくらいで良いんじゃないの? あんまり肩ひじ張らずにさ。ね?」
「…………そう、……ね」
それまで肌をピリつかせていた緊張は影を潜め、その場にいる全員が、のしかかっていた空気の重さすら霧散したように感じた。
「ほい、そしたら一回謝ろ?」
「うん。……少々取り乱してしまいました。申し訳ありません……」
ヘルガは我に返ると、三人に向けて深々と頭を下げた。
「すいませんでした!」
エルザもそれに倣って深々と頭を下げる。
「いえ! そのように思われるのは当然のことですし、誤解ですと言えるほど間違いでもありません。先ほどのご指摘もごもっともです。なので、どうか頭をお上げください……」
改めて聞いても、ロイの言葉には嘘はない。それなのに、ヘルガは疑心暗鬼に陥ってしまった。彼女としては、悔やんでも悔やみきれない。
「むしろ、我々は少し安心した部分もあるのです。悪意を持ってあなた方に近づく者がいたとしても、きっとヘルガ様は言葉に踊らされず、エルザ様が本質を見抜いてくださる。そんな方々と、我々が最初にお話しできたのは幸いでした」
カール卿もロイに続く。彼の言葉には、父性を思わせる芯の強さが感じられる。温かくて力強い、意志の籠もった言葉だ。
「私たちはおふたりを利用しようなどとは考えておりません。ですが、領都の甘い物を一緒に食べることについては、やぶさかではないですよ? うちにも女子があと二人おりますので、女子会で甘い物、食べに行きませんか?」
エルザの軽口に乗る形で、アデーレも精いっぱいフォローする。私情が漏れている気がするが、むしろそれくらいの方が信用できるというものだ。
「皆さん……お心遣い、本当にありがとうございます」
「ありがとうございます!」
ふたりは同時に頭を上げる。その際、エルザはアデーレにウインクをひとつして見せた。恐らく、ナイスフォローといった意味だろう。それを見てアデーレは、少しはにかんだ笑顔を見せた。
「もう普通にお話できそ?」
「うん、もう大丈夫」
「よっし。じゃあ、今度はこっちの話をしても良いですか?」
エルザはアデーレに確認を取る。甘い物のやり取りを挟んだことで、お互いにだいぶ気安い空気ができたようだ。
「ええ。ぜひお願いします」
「ありがとうございます! そしたらねぇ、何から話そうかなぁ?」
答えを求めて、エルザはヘルガの顔を覗き込む。
「全部じゃなくても良いと思うけど、やっぱり、最初からじゃない?」
「おっけー。最初からね」
エルザは三人に向き直ると、突然軽いノリでこう切り出した。
「えっと、私たち記憶喪失なんですけどぉ――」
今度はその場が凍りついた。




