そろそろ話し合いを始めたい
「ヘルガ、おじさんたちに餌あげなくて良いの?」
「あ、すっかり忘れてた! お二人とも、申し訳ありませんが、中で少々お待ちいただいて良いですか?」
「ええ。承知いたしました」
伯爵令嬢の遣いに気を取られていたふたりは、牧場で飼っているおじさんたちに餌をやるのを忘れていた。いくら信仰心があってもお腹が減ったら死んでしまうかもしれないのだ。
ちなみに、今のやり取りの最中、カール卿は神妙な顔のまま数秒固まり、ロイはこっそりと仮面の位置を微調整していた。おじさんたちに餌をあげるってワード、突然訪ねてきた人物にとって、いったいどんな状況として映るんだろうね。
「エルザ、先に中を案内して差し上げて」
そう言うと、ヘルガはおじさんたちに餌という名の塩肉スープを届けに行ってしまった。まぁ、戻ってくるまでにそう時間はかかるまい。
「はいはーい。じゃあ、こちらにどうぞ~」
「ありがとうございます」
「お邪魔いたします」
エルザは扉を開くと、ロイとカール卿を建物の中へと案内する。
「ここで靴を脱いで入ってくださーい」
「あ、こちらは土足厳禁ですか……?」
「そうですけど、なにか……」
エルザがロイの視線を辿ると、カール卿の足元に行き着いた。そして彼が着用しているのは〝いわゆるフルプレートメイル〟である。
「あ! 足外すの大変?」
「あ、いえ! 鉄靴を外すこと自体は簡単にできるのですが……」
カール卿は妙に言い淀む。何か言いたくないことでもあるのだろうか。それを見ていたロイは、大きなため息をつきながら渋々切り出した。
「カール卿は、靴を脱いだ時の足のにおいを気にしているのです。男所帯なら気にするところではありませんが、淑女に嗅がせるのはあまりにも忍びないものかと……」
「え、臭いの?」
「……っふ。いや、それはもう、激臭です。刺激物と言って良いくらいです」
「いやはや、誠に面目ない……」
「ふーむ……」
ヘルガのまねをして、あごに手を当てたエルザは、すぐに手を打って顔を明るくした。そして、次の瞬間には、家の床をすべて黒い霧で覆ってしまった。即席の汚れ避けコーティングである。
「……これは!」
「すごい……!」
「じゃーん、これで靴のまま上がっても大丈夫! ささ、二人ともどうぞどうぞ」
ロイとカール卿を中に入れたエルザが満足そうにしていると、背後に複雑そうなヘルガの気配を感じた。
「あ、ヘルガぁ~。……どうしたの?」
「ごめん、ちょっと眩暈が……」
ヘルガは上を向いて、何やら目と目の間を一生懸命揉んでいた。日頃の疲れでも出たのかもしれない。エルザはちょっと心配になった。
「大丈夫……? 調子悪い……?」
「……いえ、大丈夫よ」
ヘルガが目を上げると、ロイとカール卿も何やら肩身を狭そうにしていた。どうやら張り巡らされたこの〝黒い床〟が、こちら側の交渉材料の一つだったということを察知しているらしい。彼らがここで強気に出ないのは評価すべきだろうが、このままだと、少々こちらの流れが芳しくないのではないだろうか。
「で、エルザ、この床はどうしたの?」
「あ、これねぇ、あのおじさんが靴脱ぐと足臭いって言ったから――」
「おじっ!?」
「ぶっ」
カール卿が足臭おじさん呼ばわりされた瞬間に、ロイは仮面の下で盛大に吹き出した。どうやら限界だったらしい。
「こら! 失礼なことを言わないの! 大変申し訳ございません……」
「う、ごめんなさい……」
「あ、いえ、私の方こそ手間を取らせてしまって、大変申し訳ありません……」
「ふふっ、カール卿の……足が臭くて申し訳ありません……っふふふ……」
カール卿はこちらに合わせて真面目に謝ってくれたのだが、ロイは自分で変なことを言って更にツボってしまい、ずっと肩を震わせている。
「おい、ロイ! お前まで何てことを言うんだ!」
「ふっ、……ククククククク……、いや、だってさ、事実じゃん。あんたの足のにおいでこんなことになってんじゃん」
「そうだが! どうしてそこに触れるんだ!」
「根本原因を謝罪すべきだろう? そういうの誤魔化すべきじゃないと思うなぁ! 僕は!」
「ふ、ふふふ、足が臭くて謝罪……んふふふふふふふふいてっ!」
「エルザは笑っちゃだめなのよー?」
ヘルガはめっちゃ笑顔でエルザのほっぺたをつねった。とても痛そう。なお、足臭おじさんで笑ってしまったのを誤魔化しているわけではない。多分ね。
「ひはい! つねははいで~! (※痛い! つねらないで~!)」
「フスー」
危険を察知していたアストレアは、交渉用の机の上に陣取ってため息をついている。鳥のクセに苦労面だけは一丁前である。もはや一鳥前と言い換えても良いかもしれない。
「ホラ、向こうにも受けてるじゃん! 結果オーライだって!」
「お前はすぐそうやって調子に乗るッ!」
「アガッ!?」
カール卿がロイの頭頂部にガツンと一撃を加えると、ロイはそのまま黒い床に突っ伏した。笑いのツボが浅い以外は基本いいヤツだったよ。
「……何か賑やかだなと思ったんですけど、何してるんです?」
ドアを開けっぱなしにしていたので、中の様子を気にした女性弓兵が様子を見に来た。そしたら、ロイは床で伸びてるし、桃髪の少女は金髪の少女のほっぺたをつねってるし、綿の塊みたいな鳥が机の上でため息ついてるしで、本当に何をどうしたらこうなるのか意味がわからなかった。
ヘルガとカール卿はゆっくり互いに目を合わせると、同時にこう言った。
『……話し合いの準備を……』
「どこがッ!!?」
※9/27、9/28でお休みをいただきました。




