臭くて汚いものには近付きたくない
「ヘルガ!? 大丈夫!?」
「……あ、ごめん、もう大丈夫」
エルザの呼びかけがはっきり聞こえて、身体の感覚が戻ってから、ヘルガは自分がベッドに腰掛けていることを思い出した。
「……具合悪くなっちゃった?」
「違うの。多分昨日のエルザと同じやつ」
「昨日の……? あぁ~……何か見たの!?」
「……見た。何か水墨画みたいなやつ」
「あれね! なんかすごいよね!」
「そうね、何か不思議な感じ」
ヘルガは手足の調子を確かめるように、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと、もう立ち上がって大丈夫なの?」
「大丈夫。それより、あれ、何とかできるかもしれない」
あれ、とはつまるところ外の原始人のことである。
「ぇ? 何とかなるの?」
「多分。だからちょっと外出るね」
「えぇ? 外に出るなら一緒に行くよ」
「なんで……? ひとりで何とかなるって」
「ヘルガになんかあったら私が困るでしょ! だから一緒に行く」
「……わかった。じゃあ隣にいて?」
「うん! 任せて!」
入り口のドアノブに手をかけた時に、ヘルガは先ほど見た光景でのことを思い出した。賊はとっても口汚く、そして臭かったのだ。
「……エルザ、臭いにおいは嗅ぎたくないよね?」
「うん? そりゃ嗅ぎたくないね」
「それから、汚い言葉は聞きたくないよね?」
「そうねぇ、できれば聞きたくないね」
「おっけー」
ヘルガは、ふたりが入る球状の防御魔法に防臭と防音の効果も追加してから外に出た。ちなみに指定した物質だけ透過できるので、家の中から防御魔法を使っても問題はないのだ。さっすがー。
「…………………………………………ッ!!」
「………………………………………ッ!」
ドアを開けて家を出ると、さっそくふたりは原始人たちに囲まれた。天井に陣取っていたやつも降りてきたようだ。みんなして何かを言っているようだが、何を言っているのかまではわからない。だが、こちらを見るなりニヤニヤし始めたりしてるので、多分あんまりいいことは考えてないだろうなぁ。
「……何か言ってるみたいだけど、聞かなくて良いの?」
「世の中にはね、聞かなくて良い言葉もあるの。ちょっとやりたいことがあるから、家から離れるわ」
「ん、了解~」
何かを悟っている風なヘルガは、そのままドアを閉めてつかつかと歩き出す。エルザはなにがなんだかわからなかったが、とりあえずヘルガに従っておけば間違いないだろう、くらいの感覚でついていった。
「まぁ、これくらいで良いかな」
家から十メートルほど離れただろうか。六人の原始人はそのまま防御魔法の周囲を取り巻くようについてきており、たまに武器で防御魔法を攻撃したりしていた。足を止めると、その攻撃は激しくなるが、ワイバーンの攻撃ほどの威力はないらしく、防御魔法にはヒビひとつ入らない。
「………………………………ッ!」
「……………………………………ッ!!」
それを横目にしながら、エルザは、これどう見ても原始人だよなぁ、文明滅んでるんかなぁ、などと考えていた。それにしては持ってる武器がしっかり鉄製だったりするんだけど、彼女はそんなことを気にするタマではない。
「……んで? これからどうするの?」
「エルザ、この人たちを腕みたいなもので捕まえることってできる?」
「ん? 多分できると思うけど、正面から掴めば良いの?」
「うん、悪いんだけどお願い」
「おっけ!」
エルザは黒い霧を発生させると、瞬間的に六本の腕に変形させ、一気に原始人六人の胴体を掴んだ。原始人たちはびっくりして武器を落としたりしたようだが、すぐに腕を殴ったり蹴ったりして抵抗を始めた。
「……………………………………ッ!!?」
「…………………………………………ッ!!!」
「なんかすごい怒ってるみたいだけどどうする?」
「そのまま地面から少し持ち上げちゃってくれる?」
「あいよー」
持ち上げられた原始人たちは足の踏ん張りが効かないため、蹴りでの抵抗はやや大人しくなった。でもまだ全然あきらめる感じではない。
「なんかまだあきらめてないっぽいけど、次は?」
「そのまま捕まえててね」
そう言うとヘルガは、防御魔法に手をかざす。すると、一瞬だけ防御魔法に青い光のラインが幾重にも走った直後、球状の魔法全体から外側に水が溢れ出した。その水は原始人たちに直撃していく。
「………………………………ッ???」
「…………………………ッ!?」
「わぁ……水攻めだ!」
「ちょっと違うけど、まぁ似たようなもんか……」
原始人はもともと、身なりも肌も全部茶褐色っぽい感じの色をしていたのだが、水が当たったところから本来の色に戻っていった。最終的に出来上がったのは、ズタボロなのに本来の色の戻った服や防具を身に纏った髪やヒゲの伸びたおじさん六人だった。全体的にしゅんとしている。
「うわぁ……何かちょっとかわいそう」
「撒いた水にできるだけ洗浄と浄化の作用を組み込んでみたから、少なくともこれでにおいは何とかなったんじゃないかな」
「なるほどねぇ。……やっぱこういう人たちって臭いの?」
「多分えぐい」
「そっかぁ……」
「ちょっと試しに話聞いてみても良いかな?」
「ん、任せるよ?」
「腕そのまんまにしといてね」
「おっけー」
ヘルガは防御魔法を解くと、リーダーっぽいおじさんに話を聞いてみることにした。
「おじさん、話通じますか?」
「……チッ、ガキが色気付きやがって! さっさと俺達を離せ! そしたらてめぇらに――」
瞬時にヘルガは防御魔法を展開。零コンマ五秒後には再び先ほどの水攻めが二割増しの威力で開始された。
「…………あぁ~、なるほどこういう感じだ?」
「多分もっと聞くに堪えないこと言ってたはずだから、まだこれで少しは聞けるようになったくらいでしょうね……」
「こりゃシャットアウトしてもらって正解だねぇ……」
「でも、こっちの話は通じてるみたいだし、向こうの言葉も聞き取れるんだね。最悪なに言ってるかわからないかと思ってたわ」
「そう言われればそうか。っていうかこの人たちもしかして原始人じゃないの!?」
「そうねぇ、どっちかと言うと現地人ね」
「ぶっは! 誰が上手いこと言えと!」
「まぁ盗賊とか山賊の類でしょうから、人とカウントして良いのかは微妙なところかもしれないけどね……」
「んー……、まぁ話が通じるなら、とりあえず人ってことで良いんじゃないのかな?」
「そう? エルザがそう言うなら、とりあえずそういうことにしておきましょうか」
水を浴びせ続けること五分ほど、おじさんたちはさらに綺麗になってさらにしゅんとしていた。
「おじさん、話通じますか?」
「……俺達を離せ、クソが……!」
おじさんはヘルガに向かって唾を吐いてきたが、それは一瞬部分的に現れた防壁によってカウンターされ、おじさんの顔にかかった。ざまぁ。
「うわっ!何しやがる!」
「ヘルガ!? 大丈夫!?」
「ええ、大丈夫よ」
下ろした髪で見えていないが、ヘルガのこめかみあたりにはきっと青筋が脈打っていることだろう。今にもそれがブチ切れてしまいそうだ。
「……はぁ、もういいわ。相方の手前、失敗したらどうしようかと思って使わなかったけど、失敗してもどうせうるさい猿が死ぬだけですものね」
「……何?」
「エルザ、失敗しちゃうかもしれないけど、いい?」
「何するのかわからないけど、そこまで怒っちゃったなら好きにしちゃって良いよ? どうせ痕跡ごと消せるだろうし」
エルザも後頭部で両手を組んであきらめモードである。どのみち大事な相棒と、それに唾吐いた猿とではどっちを取るかは火を見るより明らかというやつなのだ。
「てめぇ! 何するつもりだ!」
「……猿に知る権利があると思うな」
ヘルガはまた防御魔法を展開、追加の効果を入力していく。追加するのはもちろん、先ほど見た麻痺魔法である。散布した後の魔素の動作を慎重に組み込む。
「……失敗したらごめんね?」
「……? いいよ? その時はその時」
「麻痺魔法……!」
「や、やめッ――」
精密な魔素の操作なんてしたことがないまま、ヘルガはその魔法を発動してしまった。大量の魔素の波が周囲に押し寄せる。
正直、うまく制御できる気はしなかった。使わずに済めば良いかなとすら、ヘルガは思っていた。しかし、外界というのはことごとくこちらの配慮というものを打ち砕くものだと、今し方思い知った。だから、失敗して対象がどうなろうとも構わないと思った。
きっと失敗しても、エルザなら「ま、しゃーないよ」と言って慰めてくれるに違いない。でも、そこに甘えるのは、隣に身を置くものとして許されないような気もしていた。
――エルザの悲しそうな顔は見たくないなぁ。
その時、ヘルガのつけていたネックレスの宝石が、その心に呼応するように一瞬だけ輝いた気がした。
六人の人体に滞留した魔素は、末梢神経の働きを見事に奪い、彼らの動きを完全に封じることに成功した。六人のおじさんたちは、黒い腕の中でデロンと伸びてしまっている。そして恐らく今、彼らはそれなりに〝痛くて苦しい〟状態になっているはずだ。あぁ、かわいそうに。
「……成功しちゃった……」
「お? まじ? てっきり本当に殺っちゃったのかと思ったよ!」
「そんなわけないでしょう? ……って自信を持って言えれば良かったんだけど……」
無意識にヘルガは、ネックレスの宝石部分を掴んだ。よくはわからないが、このネックレスが手助けをしてくれたような気がしたのだ。
「今回成功したならさぁ、次から自信を持って言えるね」
「…………!」
にししと笑うエルザの言葉に、ヘルガはハッとさせられる。
「そっか……そうだね!」
エルザはヘルガの意志を汲み、相手をビビらすブラフにも乗って、それでいて背中を押してくれた。なんと感謝すべきだろうか。ヘルガはそんなことを考えていた。
「いやー、失敗しても良いかなって思ってたんだけど、さすがヘルガだね」
「…………へ? よくブラフに乗ってくれたなぁって思ってたんだけど……」
「ん? ブラフってなぁに?」
「え? いや、ちょっと相手を怖がらせる……的な?」
「え? あれそんな感じだったの? てっきりマジ切れしてて本当に殺すつもりかと思ったのに! すご! ヘルガ女優じゃん!」
「あ? へぇ……いや、あれ? そう、だったんだ……?」
「だってさぁ、あのおじさんたちだいぶアレだったじゃん?」
「まぁ、そうね……」
「ひどいこと言うし唾吐かれてたしさー、それで生かしておくのってだいぶ聖人じゃない? あ、女の子だから聖女かな?」
「あはは……それはちょっと大げさかも」
ヘルガはとてもエルザに感謝していたのだけれど、エルザはなんかもうヘルガが唾吐かれた時点で人権とか倫理観とかどこかへ行ってしまっていたらしい。その軽さ、風前の紙切れがごとく。これが最初からわかってたらヘルガは別の手段を考えていたかもしれない。
「でさぁ、このおじさんたちどうするの?」
エルザが伸ばした黒霧の腕には、未だにデロンとしたおじさんたちが六人、水浸しで麻痺ったまま苦しそうに伸びている。
「……どうしよっか……このまま分子レベルで分解しちゃおっか……?」
「それはさすがにやばくない!?」
【 エルザ と ヘルガ は いらない おじさん ×6 を てにいれた ! 】




