何ができるか見せて欲しい
気が付くと、ヘルガは色つきの水墨画のような世界にいた。目の前にあるのは栗色の馬の後頭部だろうか。ということは、どうやら自分は馬に跨っているらしい。
周囲は多少の起伏があるものの、そこは一面、背の高い草むらだった。馬を停めているのか、景色は一切動いていない。流れる風は心地よいのだが、草のにおいの他に、どうも変なにおいを感じる。
「全く、どうして深追いするのですか。おかげでこの有様なのですが?」
その言葉に右を向けば、おそらく自分と同様に馬に跨っているであろう、小綺麗な礼服を身に纏った長身痩躯の男性がいた。詳細はわからないが、紫の上衣と浅黒い肌、何より黒い長髪が特徴的で、佇まいや纏う雰囲気に高貴さが窺える。
「いやぁ面目ない。獲物が逃げるのが巧くてな。つい熱中してしまった」
その男性に反応しているのは、どうやら自分、と思われた。目線と同じ高さから声を発しているのがわかる。一体何について話しているのだろう。
「我々が獲物を狩る側だと思っていたのに、どうやら貴殿の弓の腕前はその辺りの道理もひっくり返してしまうようですね。全く恐れ入ります」
「はっはっは! そんなに弓の腕前を褒められたのは初めてだよ。ここの領主殿は全く褒め上手だな」
「その前向きさも見習いたいものですがね……」
なるほど、この上品な男性は領主であるらしい。冗談めかした応酬を続ける両者だったのだが、徐々に空気がピリつき始め、跨っている馬にもどこか緊張した様子が見え始めた。
「いやはや、しかし、逃げずに向かってくる獲物というのも、俺は好きだぞ」
「私はあまり好きではありませんが……、しかしどうするおつもりで?」
「決まっているだろう。片っ端から切り捨てる」
「こんなところで大量に血を撒くおつもりですか? 最近この辺にも大型の肉食獣が出るという話をしたばかりではないですか……」
「もしそいつが出たら、ついでに俺が狩ってやるさ」
どうやら何かが彼らを狙っており、それにどう対処するか、という話らしかった。といっても、自分目線の人物がだいぶ物騒なことを話していたようだが……。
「あなたねぇ……、特使という立場を解っておいでですか? あなた程の腕の人が、我が領内で、流す必要のない血をむざむざ流すのがお務めだとでも?」
「……と言われてもなぁ。あの手合いに俺は加減できないし、良くて皆殺し、悪くてその上での惨殺だぞ。それ以上の高度な対処は、高名な領主殿に任せるのがよかろう?」
露骨に隣の男性は右手で両目を覆う。自分ポジの人物はだいぶとんでもないことを言っている気がするぞ。しかも原因作ってるっぽいし。でも領主からの二人称が行ったり来たりしてるあたり、元々親しい間柄なのかもしれない。
「…………賊に堕ちたとはいえ、元は我が領民なのです。言い方にももう少し手心というものがあるでしょうに」
「賊は既に人に非ず。ならば、その命を奪うなという言葉には、相応の責任が伴うというものだと思うが、違うか?」
「はぁ……、貴殿は責任転嫁という言葉をご存じですか?」
「はっはっは! 知らんな!」
つまりこの二人を狙っているのは盗賊とか山賊とかの類で、原因を作ったのはこの特使とかいう役職の人ということ。多分弓が下手過ぎて獲物を深追いしたら賊に囲まれてしまったということ。そして、領主さん側の領地で襲われているから領主さんに責任を取れって言ってる場面だ、ということだろう。うん、なかなかひどいな?
そんな中、僅かな弦音のあと、風を切る音と同時に四本の矢が二人を襲った。それらは見慣れた球状の防御魔法によって弾かれ、無力化される。特使の視点で見ていると、馬が少々暴れそうなのを「どうどう」と言って落ち着けていた。弓は下手らしいけど馬の扱いは上手なようだ。
「いいぞ! やっちまえ!」
『うおおおおおおおおおおおッ!』
そんな下卑た掛け声を合図に、六人ほどの賊が二人に飛び掛かった。得物は斧や槍、ロングソードあたりだろうか。それと同時に後ろからは矢が飛び、また簡易的ではあるが、攻撃用の火魔法も飛んできていた。一見恐ろしいそれらの波状攻撃も、全て順に防御魔法で無力化されていく。
草むらに紛れていたにおいはこれだ、とヘルガは思った。賊がものすんごく臭い。ギラギラの殺気もあるのだろうが、そもそもこんなにおいを振り撒きながらの奇襲なんて、そりゃバレバレだろうに。
「クソッ! 卑怯者が! その中から出て来やがれってんだ!」
「さっさと死体になるか身包み剥がれるか選びやがれッ!」
相手を領主とその連れだとわかっているのかいないのか、下卑た罵詈雑言は鳴り止まない。あまりの酷さに特使と呼ばれる人物は大笑いを始めた。
「はっはっはっはっは! いやいや傑作じゃあないか! 貴殿はこれの命乞いをしているのだぞ? 全く面白いなぁ!」
「……よろしい。今回は私が泥を被りましょう。ただし、原因は特使殿ですからね。今度上等なワインでも送ってください」
「よし、言質はとったぞ。思う存分辣腕を振るうが良い」
「辣腕などと……そんな大仰なものではないのですが」
「っは! 貴殿の振るうのが細腕なわけがなかろう。さぁ何を見せてくれるのかな?」
パチン、と領主が指を弾けば、防御魔法から外に違和感が走る。目視はできないが、おそらく魔力の波のようなものが一瞬で周囲に広がったように感じた。
「う゛っ……ぐっ……な、何を……?」
直後、近くの者から遠くにいた者まで、襲い掛かっていた賊が苦しみながら全てその場に倒れ始めた。それを目視すると、領主は躊躇なく防御魔法を解く。
「ほう! 殺したのか?」
「そんなわけないでしょうが!」
「はっはっは! いや失敬、あまりに見事でな。で、どんな手品だ?」
「体内を素通りするはずの魔素を、ちょっとばかり末梢神経の一部に滞留させています。麻痺魔法といったところでしょうか」
「息の根は止まったりはしないのか?」
「あなたは物騒な言い方をしますね……。手足の神経をメインに、あと痛覚を司る神経にも滞留させていますので、呼吸は問題なくともそれなりに〝痛くて苦しい〟でしょうね」
「ほう! 拷問に使えるな」
「……使いませんよ?」
「そうか? 囚人や捕虜の四肢欠損をなくすという意味では非常に倫理的というか理にかなった技術だと思うのだが」
「こんなまどろっこしい技術、この状況の私以外に誰がするというのですか」
「はっはっは! それもそうだな!」
そう言いながら、領主は空高く火属性の魔法を打ち上げる。宙で爆ぜたそれは攻撃のためではなく、家臣……おそらく直属の騎士を呼ぶためのもののようだ。要は周囲の賊の回収を任せるということなのだろう。
「良いものを見せてもらったので、ワイン以外にも礼をしたいのだが、どうか」
「貧乏領主なもので、いただけるなら何でもいただきますが……」
領主がそう言っている間に、特使は真上に近い角度で突然矢を射る。それは空中を飛行していた何かに直撃した。
「…………弓、使えるんですか?」
「さぁ、どうだろうな? 偶然当たっただけかもしれん」
矢が直撃した〝何か〟は、そのまま落下すると、その場を一切動かなかった特使の手の中にすぽっと収まった。雉に似た鳥のようである。
「そこまでやっておいて偶然だと……?」
「いやぁ、偶然というものは恐ろしいな! はっはっは!」
「あなたという人は……私を試して楽しいですか……」
「うん? 楽しかったぞ! 偶然にもこんな成果も得られたしな! これは貴殿の晩飯にでもすると良い、領主殿!」
「……はぁ……全く……」
つまり、この特使という人は、弓が下手なフリをして賊の真ん中に突っ込んで、領主の出方を見ていたわけだ。さては中々腹黒いな? でも謝罪を兼ねたお礼はするんだな? 彼は、いや、彼らは一体どういう人物なのだろうか。
そうして、また視界がザラついていく。色のついた水墨画は薄れていき、その後は白い霧が晴れていくような感覚があった。
特使という人も物騒だけど、やってること自体は領主も大概だったなぁ、とヘルガは思った。でも、領主さんは面白い魔法の使い方をしていた。心の中で得るものがあったという確信だけ、強く残っていた。




