なんとか堀を渡りたい
「あ、だめだぁこれ……」
「えぇ……」
堀の下からは想定以上の強烈な風切り音が、それはもう物理的に見えているのではないかと錯覚するほどに吹き上がっていた。いうなれば風と音の壁のようなものであろうか。最高潮にバイブスぶち上げである。
ちなみにアストレアはというと、普段であればエルザのキャップの上にいるというのに、今日に至ってはずっとヘルガの左肩にとまっている。暴風の前線を行くやつの頭の上になどとまっていられない、という意志表示だろうか。
「まず音が怖いのよ……」
「この風は確かにちょっと想定以上かも……」
原因として考えられるのは、橋を架けたことによって風の流れが若干変わってしまったことだ。風をせき止める形で橋が掛かったことによって、風の流れが乱れ、付近で渦を巻くような気流が大量に発生しているのだろう。ぶっちゃけとてつもなく怖い。ちびることもやぶさかではない。
「……でも乗っけてるだけの割に橋は吹き飛ばずにしっかり架かったままだね。どういう理屈なんだろう?」
現状で理屈の埒外にいるヘルガは現状の冷静な分析を試みる。エルザは、君がそれを言うのか、という瞳で一瞬彼女を見つめた。だが、大概自分のやっていることも理屈の埒外なことを思い出したのですぐに我に返った。えらい。
「なんかね、乗っけるつもりで向こうに伸ばしたんだけど、その場所で固定されるようになってるっぽいんだよねー」
「物質を出して乗っけてるわけじゃなくて、空間固定なのかぁ……」
あごに手を当てながら、ヘルガは一瞬何やら考えていたようであるが、ややあってからエルザに向き直ると彼女なりの考えを述べ始めた。
「この橋が、もし物理現象を超えた空間固定での物質の具現化だとしたら、これ自体の強度は質量や形状には影響されないのかもしれない。ちょっと希望的観測は入ってるとは思うんだけど……」
「なるほど! ……つまり? どゆこと?」
こう返されるのはヘルガ的にも想定内だったようで。
「うーんとね、この橋は風で揺れもしないし、私たちが乗っても叩いても壊れない。限度は全くわからないし、あくまで私の、こうだったら良いな~っていう憶測だけど……ってことで、どう?」
「おぉ! すごくわかりやすい! ……で、どうする?」
エルザは思わず拍手をしてから、現状を鑑みてすぐに冷静になった。あくまで仮定の話という前置きはあるものの、橋は落ちない、壊れない、という前提はできたものとして良さそうだ。しかし大事なのはその後、実際にこのつるっつるの鉄板の上を、暴れ狂う風がバイブス最高潮の中でどう渡るかという話である。
なお仮定の時点で破綻したとしても、力業でどうにか命だけは助かりそうというのはふたりの共通認識だった。やはりチートは強いのだ。
「エルザ、この橋にまだ構造を足すことはできそう?」
「限界はわからないけど、まだ何かを足すってことなら全然大丈夫そう。カツカツって感じは無いよ、全然」
エルザは手元に霧を出して見せる。それを見て、ヘルガは感心するとほぼ同時になんかスンッてなった。なんというかこう、理解を諦めた感じの顔だ。
「ここまで前提が出来てるなら簡単な話じゃない」
ヘルガは急に頭の良い女上司みたいな口調になった。
「……と、申されますと?」
「この橋が動かないなら筒にしちゃえば良いのよ」
「あっ、そういうこと」
エルザの脳内も結構シンプルめな構造をしていると思われるが、何かあった時の解決策を複雑に練ろうとしてしまうクセがあるらしい。それでも限界値は低めなのが悲しいところではあるが、ヘルガの提示した解決策はそれよりもかなり単純であり、いってしまえばレベルを上げて物理で殴れば良いというスタンスだった。何事もシンプルイズベストなのだ。
「工事現場の鉄板のイメージわかる?」
「あ、なんかわかる」
「歩くところをあんな感じにしてもらったら滑りにくくて安心かも。あとは橋をパイプみたいにしてもらえたらもう多分大丈夫なんじゃないかな」
「おっけー、お姉さんに任せて吊り橋を渡る気でいな!」
「ぴ??」
「大船に乗った気でいろってこと? ちょっと意味がわからないけど、吊り橋どころか動かない鉄パイプなのよね……しかもそっちの方が多分安全っていう……」
ヘルガはアストレアと目を見合わせて苦笑いする。でもお姉さんが楽しそうなのでオーケーです!
工事現場の鉄板のイメージがどこから来たのか、ふたりは全く気にしてなかったが、まぁこの際どうでも良いのだろう。潜在的な知識は何の拍子に出て来るかわからない。それを楽しむのも旅の醍醐味ってことにしておけば趣があるというものなのだ。うん、ものは言いようだね。
「よいしょおっ!」
霧がエルザの周囲から一気に放出されると、それは一気に鉄板に合流して巨大な角パイプを形成した。霧が黒いから出る瞬間はすごく怖いし、できた橋も全く廃墟にそぐわない。世界の異物ってこういうものをいうんだなぁ。
「おぉー、期待通りの出来ですよエルザお姉さん」
「もっと褒めて良いよ! 私の自尊心のために!」
「えらいえらい。今日の晩ご飯は高級羊肉の串焼きにするからね」
「……わぁい……たまには他のものが食べたいなぁ……」
「喜んでくれて良かったわ。さぁ、渡りましょう?」
「へぇい……」
角パイプの前に立つと、外側は相変わらず風が雄叫びを上げているが、中はかなり静かに保たれていた。
「あ、すごい静か」
「へへーん、私もちょっと消音、防音を意識してみました」
「えっ、すごい! そういう複雑な制御もできるんだね」
「えっ、わかんない。静かになれー! としか思ってない」
「……そ、そうなんだ。すごいね……」
散々こちらを持ち上げてくれているエルザであるが、シンプルめな思考でとんでもない代物を操れる彼女もやはり人外であるなとヘルガは痛感した。思い付きで組める空間固定の足場なんて使いようはいくらでもあるだろう。場合によっては様々な国家事業……例えば、戦争であるとか。
「あ、命綱どうする? 外しちゃう?」
「まだどうなるかわからないから、一応付けたまま渡りましょう」
「おっけー、じゃあ行こうか」
対岸を向きながら左手と笑顔だけ寄越すエルザ。その手を取ると、何があっても自分がエルザを護ろう、と心の中で誓うヘルガだった。
♢
じゃり、という石畳の上の砂を踏み締める音は、少なく見積もっても数百年振りになるのだろう。それほどまでにこの地は人を拒んできたに違いない。もっとも、まだその人に出会えてないので現在存在しているかも不明であるが。
「ふぅ、渡れたねぇ」
「うん、エルザお姉さんのおかげさまで」
「うはは、照れるぜ」
彼岸への到達は比較的あっけなく済んだ。あとは結んだ命綱の処理と、この角パイプの処遇をどうするかであるが。
「これ、ロープどうやって外すの?」
「ん、こうすれば一発で」
ヘルガが触れ直すと、ロープは一瞬でインベントリに収まった。大きさや状態に左右されずに引き込めるというのはどうあがいても便利だ。きっと軍隊でもあれば兵站がどうとか輸送革命がどうのとか言われるだろう。
「これは何度見てもまだ慣れないわ……橋の方はどうするー?」
「また出せるなら、一回しまっておいてもらった方が良いかも」
「出しっ放しにしようと思えばできるけど、その方が良い?」
「霧の限界量がわからないけど、何かあった時に弾切れするのは良くないと思うし、後追いの魔物に悪さされても良くないからね」
「そっか、わかった」
ヘルガはエルザにそう言い含むが、複合的な理由がもうひとつあった。万にひとつでも考えたくはないが、もしエルザに何かあった場合、どのみち角パイプは霧散するだろう。その理由が霧の弾切れによるものになってしまっては目も当てられないわけで。とにもかくにもリスクは減らしておくに越したことはないのだ。安全第一こそが業界の鉄則! どうぞご安全に!
「よしよし、理解が早くて大変結構です」
「えへへ……」
自分への信頼のもと、エルザはこちらの指示に従ってくれる。相棒としてこんなにありがたいことはない。だが逆を返せば、自分より弁が立つような第三者がエルザに対して自分より大きな信頼を作ってしまった場合、彼女は一体どうするのだろうか……。そう考えると、ヘルガはエルザの顔をつい凝視してしまう。
「ん? 顔に何かついてる?」
「……あ、ごめん。ちょっと考えごとしちゃって」
――いや、そんなことはもうどうだって良いか。
「そう? 頭使い過ぎるとお腹空いちゃうよ?」
「そうね、あまり考えないようにするわ」
エルザとともに無事に探索を終えること。彼女にはかすり傷ひとつ負わせないこと。ヘルガは、この探索の目標をそれだけに絞ることにした。
「さ、探索探索! お宝お宝~♪」
ヘルガはまたアストレアと目を見合わせると、今度は苦笑いではなく何かが吹っ切れたような笑顔をこぼす。そうしてから、少し前を歩いているエルザに追い付くために彼女は駆け出したのだった。
「あんまり先に行かないでよぅ」
差し出されてからではなく、今度は自発的にエルザの左手を取る。
「何? 手つなぐのクセになっちゃった?」
「そうかもしれない!」
「えぇ~? 何それ超可愛いんですけど!」
「えへへ~♪」
何が起こっても、何を敵に回しても、エルザに何を思われていようとしても、自分が絶対にこの人を護る。自分がそうしたいからそうする。ヘルガは己の心の機微を複雑に考えることを金輪際やめることにした。
――きっと、素直でいれば大丈夫。
何事もシンプルイズベストなのだ。




