ep001「爆ぜろとは言ったが、俺がとは言ってない」
「爆ぜろ、リア充」――それが前世の俺の口癖で、最期の言葉で、そして呪いになった。
白猫を助けてトラックに轢かれた俺は、気づけば見知らぬ事務室のソファに座っていた。
デスクの向こうでは、目の下にクマを飼った美女が判子を構えている。
「間宮充さん、十四歳。才能なし、友人なし、恋人なし……はい、確認しました」
「事実ですけど、そんな読み上げ方あります?」
「多次元管理局です。あなた、さっき死んだのよ。私の担当区でね」
着崩した事務服の奥から、隠しきれない神々しさが漏れている。女神、と言われた方がしっくりくる美女だった。名札らしき欄には、人間には発音できそうもない文字列が並んでいる。
「あの白猫、あれ私。轢かれかけたところを庇ってくれたでしょう。おかげで書類が増えたわ。……というわけで、恩返し。転生させてあげる」
「え、いいんですか。何か裏があったりは……」
「失礼ね。これでも神よ、中間管理職だけど。……まあ、担当の案件を一件でも綺麗に片付けたいっていう下心は、あるけど」
「本音が漏れてます」
「剣と魔法の異世界エルドラント。ステータスはこっちで割り振っておいた。腕力、体力――人類最強値。ついでに顔もそこそこ良くしといたわよ」
人類最強。その響きだけで、前世の十四年ぶんの惨めさが浮かんで、消えた。
才なし、友なし、恋人なし。名前に『充』の字を持ちながら、名前だけがずっと充実していた俺の人生。
それが、今度こそ。
「今度こそ、幸せになれる……!」
「はいはい。それじゃ、いってらっしゃい」
女神が判子を振り下ろす。乾いた音。視界が白く溶けていく、その直前。
女神が、ぽつりと言った。
「……あ」
聞き返す暇もなく、俺の意識は光に呑まれた。
次に目を開けたとき、俺は見知らぬ街道に立っていた。
まず、体が軽い。異様に軽い。試しに足元の岩を握ってみたら、指の先から砂みたいに砕けた。
水たまりを覗き込む。猫背も、瓶底眼鏡も、ニキビの痕もない。目つきの悪さだけは残っていたが、そこにいるのは背の高い、そこそこの好青年だ。
「……マジか。マジで人類最強か」
「毛艶だけは前から良かったけどねえ」
足元で、白い猫がしゃべった。あの女神だ。猫の姿でついてきたらしい。
俺は理解を放棄した。人類最強に転生した男が、しゃべる猫くらいで動じてどうする。
「フェリ課長。その姿だと運びやすくていいですね」
「課長じゃないわよ。……いえ、まあ、課長だけど」
街道の先に、石壁の町が見えた。最初の町、ハゼル。門をくぐった途端、市場の喧噪が押し寄せてくる。香辛料、焼けたパン、人いきれ。
今度こそ、まっとうに生きる。まっとうに働いて、まっとうに幸せに――
その決意を裂くように、悲鳴が上がった。
「やめて、ください……!」
声のした方へ、体が勝手に動いていた。
前世の俺なら、絶対に見て見ぬふりをした。関わって損をするのは、いつだって俺の方だったから。なのに今は、足が止まらない。
露店の前で、売り子の少女が突き飛ばされていた。絡んでいるのは、人相の悪い男がふたり。
「痛い目を見たくなけりゃ、売上ぜんぶ置いていけって言ってんだよ」
考えるより先に、俺は間へ割り込んでいた。
軽く押し返すつもりだった。ほんの、掌を突き出すだけの。
その掌底が男の胸に触れた瞬間、ふたりまとめて屋根の高さまで吹き飛んで、白目を剥いて市場の隅に転がった。
……手加減って、どうやるんだ。
「すごい……!」
「あの人、素手でならず者を!」
群衆がどよめく。少女が、潤んだ目でこちらを見上げた。
「た、助けてくれて……あの、お名前を……!」
人生で、初めてだった。誰かに、そんな目で見上げられるのも、名前を聞かれるのも。
前世じゃ、名前を呼ばれるのは、たいてい舌打ちとセットだった。それが今は、市場じゅうの視線が、まっすぐ俺に集まっている。
胸の奥が、じわりと熱くなる。悪くない。悪くないぞ、この感じ。俺、生まれて初めてモテてるのでは――
「……ミツル。俺は、ミツルだ。きみは?」
少女が口を開きかけた、そのとき。
足元のフェリ課長が、妙に低い声で言った。
「ミツルくん。ちょっと耳、貸して。……言い忘れてたこと、ひとつあるの」
嫌な予感がした。体の芯が、さっきから熱い。視界の端に、見たことのない光がちらついている。
「あなたの体にはね、『前世の呪い』が刻まれてるの」
「呪い?」
「モテると、爆発するのよ」
一拍おいて。
「……は?」
「待て待て待て、なんで俺が爆ぜるんだ!? 爆ぜろとは言ったが、俺がとは言ってない!」
叫んだ拍子に、熱がぐっと増した。視界の光が、じわりと赤く滲んでいく。
そこへ、さっき吹き飛ばした男たちの兄貴分が、十数人の仲間を引き連れて市場へ雪崩れ込んできた。
「うちの若いのをやってくれたなあ、兄ちゃん!」
「英雄だ!」「あの人が助けてくれたのよ!」
群衆の歓声。少女の、精一杯の感謝の声。称賛が、好意が、熱に薪をくべていく。視界が、真っ赤に染まる。
まずい。これは、まずい。爆発が本当なら、この人だかりの真ん中で爆ぜたら、少女も、群衆も、まとめて巻き添えだ。
俺は少女の肩を掴むと、群衆のいる露店の陰へ思い切り突き飛ばした。それから、人けのない門前の広場へ向けて全力で駆け出す。
「英雄が逃げるぞ!」「囲め!」
男たちが、獲物を追う犬みたいに食いついてくる。ちょうどいい。そのまま、ついてこい。
背後で、群衆の歓声が遠ざかっていく。少女の声も、露店の喧噪も。真っ赤な視界の中、足元もおぼつかないまま、俺はただ、みんなから遠い方へと走った。
――せめて、あいつらに、届かない距離まで。
広場の中央。追いすがった男たちが、俺を囲んで密集する。後ろには、もう誰もいない。
「どうせ爆ぜるなら――お前らの真ん中だ!」
閃光。轟音。世界が、白く弾けた。
煙が、ゆっくりと晴れていく。
俺は生きていた。かすり傷ひとつなく。
――そして俺を取り囲んでいた男たちは、綺麗さっぱり消し飛んでいた。
露店の陰では、突き飛ばした少女が、尻もちをついたまま無事だった。遠巻きの人だかりも、誰ひとり欠けていない。
よかった。守れた。……守れた、けど。
自分の両手を見下ろす。焦げ跡ひとつない。破れているのは、服だけだ。
「……なあ、フェリ課長。ひとつ聞いていいか」
白猫は答えない。ただ足元で、面白そうに髭を揺らしている。
どうして、俺は――生きてるんだ?




