第9話 収支の天秤、ガラクタのローター
ネビルに連れられて地下の最深部へと降りていくにつれ、空気はひんやりと重くなり、巨大な機械がハミングするような、低く不気味な地鳴りが足元から響いてきた。
重厚な気密扉の向こうにあったのは、かつてのハイテク文明の残骸――「バベルの心臓部(主電源室)」だった。
広い空間の壁一面を埋め尽くしているのは、何百ものスロットが並んだ超高密度の蓄電池ラックだ。
だが、その大半はランプが消え、冷たく沈黙している。
中央の古びたモニターには、現在の電力収支を示す歪な一本のグラフが浮かび上がっていた。
「……これが、この街の現実だ」
ネビルが操作パネルの前に立ち、感情の消えた声で言った。
「外部――ジャンナからの送電は、数年前に完全に途絶している。現在のバベルは、都市の上層から漏れ出てくる排熱や、わずかな排水の振動を利用した、微弱な自動発電(環境発電)だけで息をしている。入ってくる電気と、100人の住民が消費する電気が、奇跡的にトントン(ゼロ)の状態で、辛うじて維持されてきた」
ネビルはモニターの一角を指差した。
そこには、昨夜から始まった、わずかな、だけど確実な「赤字」の数値が刻まれていた。
「だが、お前が水道のバルブを開放したことで、天秤は崩れた。このまま電力を垂れ流せば、あと6日で蓄電池の底がつき、この街のすべてのライフラインが完全停止する。ジャンナが電気を恵んでくれることは、二度とない」
「上から見捨てられた街、ね……」
冷酷な現実を突きつけられ、私は腕のバグの画面を見つめた。
メーターの針は、私が当てた「清水のパッチ」のせいで、破滅へのカウントダウンを刻んでいる。良かれと思ってやったことが、街を殺すエラーになる。ネビルの言う通り、これがこの世界の冷徹なルールだ。
「……じゃあ、送電プロトコルが死んでるなら、ここで足すしかないわね」
「足す? 電力をか」
ネビルが眉をひそめ、不審げに私を見た。
「言ったはずだ。ジャンナの発電施設は、お前のような素人がハックできる場所にはない」
「誰がそんな大それたこと言った? 街全体の電気を全部復活させるなんて、いくら私でも無理よ」
私はハッチの壁に背中を預け、不敵に笑ってみせた。
「私が言ってるのは、帳尻合わせ。私が水道で使っちゃった『〇・〇五パーセント分の赤字』。これと同じだけの電気を、自分たちで今すぐここで作れば、天秤はまたトントンに戻るでしょ?」
「……どうやってだ。ここには燃料も、発電機もない」
「あるじゃない。文字通り、死ぬほど余ってるエネルギーが」
私の脳裏に、全身ずぶ濡れになった、あのコンクリートの裂け目から牙を剥くように溢れ出していた『人工の排水滝』の、凄まじい爆音と水圧が蘇っていた。
「あの大排水口の滝よ。あの勢いなら、端っこの水流にちょっと羽根を突っ込むだけで、小さなモーターの一個や二個、簡単に回せるわ。……ネビルさん、この廃墟の資材管理ログを見せて。使わなくなった大型サーバー室の『換気ファン』とか、壊れた『モーター』とか、コイルと磁石が生きているガラクタが、どこかに眠っているはずよ」
ネビルは私の言葉を聞き、一瞬、完全にフリーズしたようだった。
ジャンナの高度なブラックボックスを崇めるだけのこの世界の人々にとって、「ガラクタを組み合わせて自分で電気を作る」というローテクな発想そのものが、盲点だったのだ。
「サーバーのファンを、逆回転させて水車にする……だと? 狂っているな。そんな玩具のようなもので、ジャンナのシステムが動くと思うか」
「動くわよ。電気の正体なんて、磁石の周りで銅線をブン回せば発生する、ただの物理現象(誘導電流)だもの。高度なブラックボックスじゃなくて、ただの大昔の原始的な技術よ。……要は、やるかやらないか。このまま6日後に街を殺すか、私にガラクタをいじらせるか。どっちにする? 管理人さん」
私はネビルの濁った目を、真っ直ぐに睨み据えた。
ネビルは動じない。
だが、その冷徹な脳細胞の奥で、私の提案が「ただのハッタリ」か、それとも「計算の通る現実的なパッチ」かを、冷酷に、緻密に査定しているのが分かった。
長い沈黙のあと、ネビルは腰のキーパレットを静かに操作し、ひとつのデータファイルを私の腕の『バグ』へと転送した。
「……地下4階の第3備蓄倉庫だ。かつて廃棄された冷却用ファンと、高圧ケーブルの残骸が眠っている。……タハールたち住民を好きに使え」
ネビルは私から目をそらし、再びモニターへと視線を戻した。
「ただし、条件だ。作業中の治安維持はお前が管理しろ。私は手を貸さない。……お前のその『原始的な知恵』の価値、見せてもらうぞ」
「言われなくても。……了解よ、ネビル同僚」
私はバグの画面に転送された倉庫のマップを確認し、今度こそ、声に出して不敵に笑った。
街全体の復活なんて大それた夢は見ない。
まずは、私が開けた水道のツケを払う。
廃墟のガラクタを集め、100人の人手を借りて、一番小さな「水力発電パッチ」を当てるための泥臭いエンジニアリングが、今、ここから幕を開けるのだった。




